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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『月に吠えよ、萩原朔太郎展』

展覧会『月に吠えよ、萩原朔太郎展』を鑑賞しての備忘録
世田谷文学館にて、2022年10月1日~2023年2月5日。

詩人・萩原朔太郎(1886-1942)の没後80年を記念した「萩原朔太郎大全2022」の一環として行われる回顧展。序章として「猫町」を置き、誕生から自筆歌集を制作した27歳まで(19886-1913)を取り上げる「1章:ソライロノハナ」、室生犀星北原白秋との交流しながら詩作し、詩集『月に吠える』を刊行した翌年に一旦詩作を中断する1918年までを紹介する「2章:月に吠える」、上田稲子と結婚していた時期(1919-1929)に焦点を当てる「「3章:青猫」、父の死後、世田谷を拠点とした晩年を扱う「4章:氷島」の5つの章に、デザイン、音楽、写真に焦点を当てたコラムを挿入し、折本を展開したように構成される。

プロローグ「序章」では、金井田英津子の《猫町》のイラストレーションとともに朔太郎が1935年に発表した短編小説「猫町」(抄)が紹介される。朔太郎は1931年に下北沢に移り住み、2年後に代田に自邸を新築して晩年を過しており、作品の舞台は下北沢を思わせるという。

 私は夢を見ているような気がした。それが現実の町ではなくって、幻燈の幕に映った、影絵の町のように思われた。だがその瞬間に、私の記憶と常識が回復した。気が付いて見れば、それは私のよく知っている、近所の詰らない、ありふれた郊外の町なのである。(略)何もかも、すべて私が知っている通りの、いつもの退屈な町にすぎない。一瞬間の中に、すっかり印象が変ってしまった。そしてこの魔法のような不思議の変化は、単に私が道に迷って、方位を錯覚したことにだけ原因している。いつも町の南はずれにあるポストが、反対の入口である北に見えた。いつもは左側にある街路の町家が、逆に右側の方へ移ってしまった。そしてただこの変化が、すべての町を珍しく新しい物に見せたのだった。(萩原朔太郎猫町」)

違う角度から現実が幻燈の幕に映る幻想になる。ファブリス・ドゥ・ベルツ(Fabrice Du Welz)監督が映画『依存魔(Adoration)』(2019)に掲げたエピグラフが想起される。

"Il suffit d'un peu d'imagination pour que nos gestes les plus ordinaires se chargent soudain d’une signification inquiétante, pour que le décor de notre vie quotidienne engendre un monde fantastique. Il dépend de chacun de nous de réveiller les monstres et les fées." Boileau-Narcejac
「少しばかりの想像力で、ありふれた仕草が突然不穏な意味を帯び、日常を取り巻く世界が幻想的になる。1人1人の心がけ次第で目覚めるものなのだ、モンスターたちも妖精たちも。」ボワロー=ナルスジャック

ところで、晩年の朔太郎と最も親しかった詩人の丸山薫(1899-1974)に宛てた書簡(本展4章に展示)では、谷崎潤一郎ドストエフスキーボードレールも「最も弱く劣敗者の性格を逆に最も強い積極的の性格に変えた」と、創作に当たり欠点を逆手に取るよう勧めている。『氷島』所収の詩「乃木坂倶樂部」に「我れは何物をも喪失せず/また一切を失ひ盡せり。」とオクシモロンを用いた部分は、「虚無の歌」のエピグラフとして用いられているほど作家自ら気に入っていたようだが、矛盾する語句を並べるのは、作家にとって創作の秘訣なのだろう。朔太郎が愛好したステレオスコープの2枚のイメージ(本展「朔太郎と『写真』」に展示)や、自ら設計に関与した代田の自邸に「鏡の間」があったこと(本展4章に展示された「世田谷代田住居平面図」)も象徴的である。

 (略)私は反対の方へ降りたつもりで、逆にまたU町へ戻って来たのだ。しかもいつも下車する停車場とは、全くちがった方角から、町の中心へ迷い込んだ。そこで私はすべての印象を反対に、磁石のあべこべの地位で眺め、上下四方前後左右の逆転した、第四次元の別の宇宙(景色の裏側)を見たのであった。つまり通俗の常識で解説すれば、私はいわゆる「狐に化かされた」のであった。(萩原朔太郎猫町」)

その点、清家雪子が漫画『月に吠えらんねえ』(本展4章に展示)を著したのは、『月に吠える』朔太郎の教えに忠実であったと言える。

月夜をイメージさせる、青と黄で統一された会場のデザインが素晴らしい(会場構成:DO.DO.、グラフィックデザイン大西隆介、イラストレーション:塩川いづみ)。とりわけ作品をイメージさせる青い糸と絵で構成された抽象的なイメージ――竹林や猫の爪痕を著す青い縦線、満月を表わす青い円と青糸、氷を表わす多角形の青糸、舟越保武萩原朔太郎像》の背後の青い格子など――が、まさに「挿絵」として、作品を邪魔することなく、テキスト中心の展示に彩りを添えたのが良かった。