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芸術鑑賞の備忘録

映画『生きててごめんなさい』

映画『生きててごめんなさい』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の日本映画。
107分。
監督は、山口健人。
脚本は、山口健人と山科亜於良。
企画・プロデュースは、藤井道人
撮影は、石塚将巳。
照明は、水瀬貴寛。
録音は、岡本立洋。
美術監督は、相馬直樹
美術は、中島明日香。
小道具は、福田弥生。

 

大衆的な居酒屋。大勢の客で卓は埋まっている。本当にいいのか、あんな奴と。場にそぐわない紺のスーツにシルバーの蝶ネクタイの男(飯島寛騎)が連れのチャイナドレス風のワンピースの女性(八木アリサ)を熱心に口説いている。何か頼もうよという彼女の言葉をきっかけに、店員の清川莉奈(穂志もえか)が注文を取ろうとするが、話の腰を折られたくない男に鬱陶しがられる。それでも男が卓上のメニューを指差したので、莉奈は店主のもとへ。注文は? たぶん柚子サワー。店主は訝しむ。傍のカウンターに1人で来ていた男(黒羽麻璃央)がハイボールを注文する。莉奈は柚子サワーを運ぶ。蝶ネクタイの男は日本一のテック・カンパニーを一緒に創って欲しいと熱弁を振っていた。…柚子サワーです。そんなの頼んでねえよ。これ、レモンサワー。話を中断された上に注文していない飲み物を持って来られ、男は憤慨する。莉奈がカウンターに戻ろうとして店主とぶつかり、柚子サワーを連れの女性の服に溢してしまう。動顚する莉奈。おい、さっさと拭けよ! カウンターに戻った莉奈はしばし動けない。大丈夫ですか? ハイボールを注文したカウンターの客が見かねて声をかける。莉奈は皿の上にあった1本の蟹の脚を手にすると、蝶ネクタイの男に向かって思い切り投げつけた。莉奈は逃げようとしてハイボールを注文したカウンターの客にぶつかる。
馘ですかね。莉奈が自分を背負っている男に尋ねる。きっとうまくいきますって。男は莉奈を背負って踏切に向かう上り坂を歩いている。お名前は? 清川莉奈です。お名前は、なんて言うんですね。園田修一です。園田さん、歩けそうです。降ろして下さい。大丈夫です、体力には自信があるんです。適当なこと、言わないで下さい、地面に着きそうじゃないですか。
今、装幀やってもらってるところです。今日中ですか? 出勤前の修一が自宅で電話を受ける。修一が電話を終えると、ベッドで寝ていた莉奈から腕を引っ張って起こして欲しいと頼まれる。修一が抱き起こしてやると、莉奈は修一に後ろから抱きつく。今日どっか行こうよ。仕事だから。休んじゃないなよ。苦笑する修一。じゃあ、好きって言ってよ。修一が莉奈に向かって好きと口にする。今日帰りに多和田彰の講演会行ってくるから。帰りにたこ焼きね。たこ焼き好きだな。送っていい? 修一とともに莉奈が部屋を出る。階段で鍵を落とす莉奈。何でこんなとこに入れてたんだろ。莉奈が鍵を拾う。2人の暮らす東京近郊の住宅地は丘陵地に開発され坂や階段が多い。駅へ向かう道すがら、莉奈は脇にある長い階段の先を見上げて立ち止る。最寄り駅の改札。たこ焼きね。莉奈が念を押して修一を見送る。
修一がオーシャン出版の編集部へ。隣のデスクで眠っていた後輩(冨手麻妙)が修一が荷物を置いた音で目を覚ます。人気の整理術の本のオフィス篇を出すために多忙らしい。彼女が修一の机にある文芸誌『潮騒』に目を留める。さすが園田さん、趣味が高尚ですね。意識が低いと自虐的に述べる彼女は、刺さる言葉があると「イキゴメ」のツイッターを修一に見せる。小説家として羽ばたいて下さい。書いてるんですよね、小説。適当に相槌を打つ修一。忙しさに感けて執筆は進んでいない。
非常階段に煙草を吸いに出た修一は、『潮騒』誌の新人賞公募の頁に目を通す。

 

園田修一(黒羽麻璃央)はオーシャン出版の編集者。作家志望の修一は、文芸誌『潮騒』の新人賞に応募しようと、物理学者が亡き妻と再会するという物語を執筆中だが、多忙なせいもあり筆は遅々として進まない。1人で入った居酒屋で客(飯島寛騎八木アリサ)とトラブルになった店員の清川莉奈(穂志もえか)を介抱したことをきっかけに同棲している。不器用な莉奈は仕事が続かず、両親との折り合いも悪く、大家(春海四方)とその娘(安藤聖)の経営するペットショップで仔犬を見て過すなど、ぶらぶらしている。同僚(長村航希)の仕事の穴を埋めさせられた修一は、憧れの作家・多和田彰の講演会に間に合わなかったが、会場で高校の文芸部の先輩・相澤今日子(松井玲奈)と再会した。今日子は多和田担当の編集者となっていて、新人賞の応募原稿を是非読ませて欲しいと言う。執筆に奮い立つ修一だが、折悪しく穴を開けて突然退社した同僚の担当だった西川洋一(安井順平)の自己啓発本『目の前の時間を生きろ』の編集を部長(山崎潤)から任されてしまう。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

ぶらぶらしている莉奈は捨てられた仔犬を見て衝動的に保護を思い立つ。修一は捨てられている犬を全部救う気かと、自分の面倒も見られない莉奈を非難する。それに対し、莉奈は、今の私に助けられるのはこの子だけだったと溢す。かつて加藤周一は、目の前の1頭の牛を救えと主張した孔子を引き合いに、「常識」に囚われず眼前の出来事に対する感覚を大切に生きることに文学の役割があると訴えたが、その意味では、莉奈は作家志望である修一よりも文学的である。ところで、莉奈が捨てられた仔犬を可哀想だと保護しようとするのと、修一が不器用で友達がいない莉奈を可哀想だと思って同棲しているのは、パラレルであり、2人は実は似たもの同士である。従って、修一よりもむしろ莉奈の方が文学で成功する可能性が高いのである。
冒頭、居酒屋での莉奈の接客とトラブルを描くことで莉奈の不器用さと衝動的な性格を伝えるとともに、そんな莉奈に繰り返し大丈夫かと声をかけ、彼女の意志に反して修一が背負って歩く姿を映して、修一が莉奈の保護者として振る舞い自尊心を保っていることを示す。両者の性格とお互いの関係性の見取り図が軽やかに与えられる。
莉奈が修一よりも俯瞰する眼差しを持っていることが、莉奈だけ階段に対する執着する一瞬や、莉奈だけが旅行先の展望台から景色を眺める姿で示される。
「生きててごめんなさい」を略した「イキゴメ」というハンドルの雑感を吐露したツイートが多くの共感を呼びリツイートされる。人に迷惑をかけてしまうことは不可避であり、否、生きることは人に迷惑をかけることでさえある。「生きててごめんなさい」というネガティヴな言葉が他者に力を与えられる可能性を持つことこそ、本作品が訴えようとしているポジティヴなメッセージである。
この映画のポジティヴなメッセージを発するためには、莉奈が反感を買いそうでギリギリ買わないキャラクターである必要があったが、穂志もえかがその微妙なラインを見事に演じた。