映画『ボーンズ アンド オール』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のアメリカ映画。
130分。
監督は、ルカ・グァダニーノ(Luca Guadagnino)。
原作は、カミーユ・デアンジェリス(Bones and All)の小説"Bones and All"。
脚本は、デビッド・カイガニック(David Kajganich)。
撮影は、アルセニ・ハチャトゥラン(Arseni Khachaturan)。
美術は、エリオット・ホステッター(Elliott Hostetter)。
衣装は、ジュリア・ピエルサンティ(Giulia Piersanti)。
編集は、マルコ・コスタ(Marco Costa)。
音楽は、トレント・レズナー(Trent Reznor)とアティカス・ロス(Atticus Ross)。
原題は、"Bones and All"。
山並を背景に立つ鉄塔とそれ伝いに延びる送電線。生徒たちの描いた鉄塔のある風景が掲示板に貼り出されている。終業のベルが鳴り、生徒たちが下校する。折良く雨は上がっていた。
他に誰もいない講堂のステージでピアノを弾くマレン(Taylor Russell)。シェリー(Kendle Coffey)が入って来る。ピアノ弾けるなんて、意外。どこにいたの? ここんとこ家庭科出てないよね。卒アルの編集、締切り過ぎててさ。シェリーが隣に腰掛ける。どうなの? 興味ないでしょ。エッサー先生は写真撮れって3回伝えたって言ってたよ。でさ、今夜パパが仕事でいないから、キム(Madeleine Hall)とジャッキー(Ellie Parker)が泊まりに来るの。来てよ。無理だよ、パパが許してくれない。パパが寝た後、こっそり抜け出せば? どうやって行くの? サウスウィンドの端だよね。丘を登る送電線は分かるでしょ? 頂上がチェサピークロードで、うちはそこにあるの。もっと友達が欲しいって言ったでしょ。
マレンの父親フランク(André Holland)が車で迎えに来ている。お前が運転しろ。
ヴァージニア州。
マレンの運転で粗末な平屋が並ぶ地域に立つ1軒に帰って来る。マレンとフランクが買い物袋を抱えて車から降りる。路上はいい。駐車はまだまだだな。ドアを開ける父親にマレンが尋ねる。今夜降るかな? フランクは空を見上げる。降らないんじゃないか。
1台のナイトライトだけの暗いリヴィング。壁際の小さなテーブルでマレンが食事を取る。ビールを取りに来たフランクが宿題はないのかと娘に尋ねる。読書だけだよ。
フランクがリヴィングのカウチで横になり、テレビを見ている。…男は自殺を図りました。彼は自分の関与していた計画に常に極めて激しい罪悪感を感じていたんだと思います…。マレンは歯磨きを終え、洗面所から部屋に戻る際、ドライバーを密かに手にする。お休み、パパ。ちゃんと眠れよ。フランクは娘の部屋のドアに鍵を掛ける。
マレンは靴を履き、ドア越しに父親が起きていないか物音を確認すると、ドライバーで窓の螺旋を外し、部屋の外へ抜け出す。鉄塔と送電線に沿って歩き、シェリーの家に着く。ドアを叩いてシェリーを呼ぶ。トゲだらけね。シェリーがマレンを迎え入れる。
リヴィングのカウチではシェリーとジャッキーがマニキュアを試している。その脇の、天板がガラスのセンターテーブルの下に潜り込んでキムとマレンが話している。泊まれないの? 徹夜は無理。6時までには戻ってないと。みんなが眠くなったら出るよ。どこから来たの? 東海岸。ママの写真は? シェリーはパパしかいないって。シナモン・グレーズ! シェリーがジャッキーに塗ったマニキュアを2人に見せる。話してるんだよ。キム、手を出して。シェリーがキムの爪にマニキュアを施す。ママのことは気にしなくていいからさ。だって余計なお世話でしょ。ママの記憶がないの。写真も。パパは何も教えてくれなかった。カッパー・フィーヴァー。シェリーが施したマニキュアをキムが確認する。オレンジが強すぎるね。キムの手を見詰めていたマレンは薬指を口に含むと、囓る。ギャーッという悲鳴を挙げるキム。慌ててシェリーがマレンを引っ張り出す。キムの薬指は噛み切られていた。マレンはシェリーの家を飛び出す。
マレンが家のドアを叩く。フランクが起きてドアを開ける。やっちまったか。3分で車に乗るんだ。3分で用意しろ。マレンは血で汚れた自らを姿見に映す。急げ。警察が来る前に姿を消さないと。
メリーランド州。5月。マレンがベッドで目を覚ます。部屋を出ると父親の気配がない。パパ? トイレを済ませ、家の中を見て回るが、父親の姿がない。窓から表を見ると、家の前には車もなかった。テーブルの上に封筒とカセットテープが置かれているのに気付く。封筒には紙幣と出生証明書が入っていた。ポータブル・プレイヤーで、カセット・テープを再生し、ヘッドフォンで聞く。お前に伝えておきたいことがある。それで確認しておきたいんだが、このテープは破棄してくれ。とっておくな。もう二度と会うことはない。もう助けられないんだ。もう何もしてやれない。警察を呼ぶか、誰かが俺の代わりをするか。自分で理解するために置き去りにするしかない。母親がしたようにな。すまん。言いたいことは分かるな。俺が言うことをどれほど覚えているか分からないが。確信はないんだ。だが知っていることは全て伝えておく。最初は3歳のときだ…。マレンは聞き続けることができず、テープの再生を止める。
暗い部屋。ベッドに坐ったマレンが出生証明書を眺める。マレン・イヤリー。1970年5月19日生まれ。母親はジャネール・メイ・カーンズ。ミネソタ州バグリー出身。
グレイハウンドの発券カウンター。マレンは煙草を吸っている係員(Marcia Dangerfield)に地図を拡げて見せる。ここに行くならバスの最寄りは? デトロイト・レイクスでしょうね。乗り換えは3回。フレデリック、コロンバス、ミネアポリス。片道? 83ドル。コロンバスまでならいくら? 係員がマレンをじっと眺める。学校にいる時間じゃないの? そう思うよね。何が言いたいのか分からない。私は18。メリーランド州じゃ自分の居場所は自分で決められるの。運転免許証か学生証を確認しないと。出生証明書があるよ。コロンバスまででいいなら49ドル。
グレイハウンドに乗り込んだマレンは父親の残したカセット・テープを聴く。…当時ベビーシッターがいた。彼女の名はペニー。俺が浴室に行くと、床に倒れてた。沢山の血が流れてたんだ。顔がぐちゃぐちゃで、一番酷かったのは首だ。ペニーはお前を抱いてたんだろう。手は完全に噛み砕かれてた。お前も死んだと思ったよ。誰かに2人とも襲われたんだろうって。でもお前は眠ってた。お前を抱き起こすと、口のまわりに血がこびり付いてた。頬が膨らんでた。取り出すと、柔らかかった。チューイングガムみたいにな。小さな穴があって。イヤリングを嵌める穴だ…。
1988年。ヴァージニア州。転入生のマレン(Taylor Russell)は唯一親しくなったシェリー(Kendle Coffey)から、父親が不在でキム(Madeleine Hall)とジャッキー(Ellie Parker)が泊まりに来るからと自宅に誘われる。その晩、マレンがおやすみと言って部屋に入ると、父親フランク(André Holland)はいつものように外から部屋に鍵を掛けた。マレンは密かにドライバーを持ち込んで、窓をこじ開けて家を抜け出す。キムと話していたマレンは、シェリーがマニキュアをしたキムの手を眺めているうち、薬指を口に咥えて噛み千切る。キムが泣き叫ぶ中、マレンは飛んで家に帰る。血だらけのマレンを見て事情を呑み込んだフランクは、すぐさま娘とともに姿を消すことを決断する。
メリーランド州。5月。フランクが蒸発した。父は僅かな金と出生証明書、そしてメッセージを吹き込んだカセットテープをマレンに残した。母親について何も知らされていなかったマレンは、出生証明書を頼りに母を訪ねることにする。長距離バスに乗り込み、まずはコロンバスに向かったマレンは、父親のカセットテープで、ベビーシッターを噛み殺した過去を知る。コロンバスのバス停でマレンが夜を明かそうとしていると、同じ匂いがするお前さんを探しに来たと老人(Mark Rylance)が近付いて来た。
(以下では冒頭以外の内容についても言及する。)
山の中に立つ鉄塔とそれ伝いに伸びる電線の絵が冒頭で映し出される。鉄塔は孤立する食人鬼のメタファーであろうか。
マレンがキムの指に噛み付くとき、キムの指の爪には「カッパー・フィーヴァー」のマニキュアが施されていた。マレンの食人のスイッチを働かせる電導性をイメージさせる。
マレンの匂いを嗅ぎ分けて近付いてきたサリーは、彼女にとって食人鬼のメンターとなる。嗅覚で同種の存在を識別できることを教わる。
長きに渡って孤立してきたサリーは、マレンと共に人間を喰らうことで強い幸福感を覚える。しかし、自らを「サリー」と呼ぶことや、捕食した相手の髪の毛をロープにして持ち歩く偏執狂などサリーの得体の知れなさを受け容れられず、マレンはサリーの前から姿を消してしまう。一度味わった幸福感が消え去る、その喪失感によって、サリーはマレンに対する執着を強めることになる。
食人鬼のリー(Timothée Chalamet)に出会ったマレンは、もっと早くに仲間がいれば、過ちを回避できていたのではないかと嘆く。
リーは妹のケイラ(Anna Cobb)の前から姿を消す機会に食人の欲求を満たすことで、自らの素性を隠しながら生活している。ケイラは父親を殺したと警察に疑われたことを引き摺っているために兄がそんな生活を送らざるを得ないのだと考えている。
『ぼくのエリ 200歳の少女(Låt den rätte komma in)』(2008)(『モールス(Let Me In)』(2015)はリメイク)、『ビザンチウム(Byzantium)』(2012)、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ(Only Lovers Left Alive)』(2013)などの吸血鬼と比較対照すると、素性を隠して転々とする点では共通するが、嗅覚が鋭いもののより人間に近い本作の食人鬼は、齢を重ねていくという点で異なる。マレンは(おそらくは老いたサリーの姿を思って)食人鬼としての流浪の生活が続くことに絶望するが、吸血鬼と違っていつかは終焉が訪れることになる。
リーがホモセクシャルで独身者だと判断して食べてしまったランス(Jake Horowitz)には実は妻子がいることが判明し、マレンは激しく動揺する。マレンの(前で)犠牲になるのは、老人、性差別主義者(?)、ホモセクシャルらである。それは言わば逆トリアージであり、その判断の妥当性が問題となる。
食人が逆トリアージであることが示されるが故に、食べることが愛することのメタファーとして成立しがたい。だからこそ、食べることが愛することへと転換することは、奇蹟となるのかもしれない。
マレンはトールキンを読んでいる。