可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『エンパイア・オブ・ライト』

映画『エンパイア・オブ・ライト』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のイギリス・アメリカ合作映画。
115分。
監督・脚本は、サム・メンデス(Sam Mendes)。
撮影は、ロジャー・ディーキンス(Roger Deakins)。
美術は、マーク・ティルデスリー(Mark Tildesley)。
衣装は、アレクサンドラ・バーン(Alexandra Byrne)。
編集は、リー・スミス(Lee Smith)。
音楽は、トレント・レズナー(Trent Reznor)とアティカス・ロス(Atticus Ross)。
原題は、"Empire of Light"。

 

1980年のクリスマス。イングランド、ケント州北部にある海辺の町マーゲイト。雪の舞う朝、海岸通りに面して立つ老舗の映画館エンパイア劇場は暗く静まりかえっている。運営マネージャーのヒラリー(Olivia Colman)が正面玄関を開けて入ってくる。ヒラリーが照明を点けると、白と黄の壁や赤褐色の絨毯で落ち着いた雰囲気のエントランスホールが一気に華やぐ。八角形のカウンターのガラスケースの中に並ぶ菓子も彩りを添える。ヒラリーはシアター1の照明を入れる。赤い緞帳の下がるステージ、その両脇には柱の上に立つ白い彫像、赤い絨毯の敷かれた床。ヒラリーは客席を抜け、支配人の部屋へ。デスクの上にはカップと吸殻の溜まった灰皿。ヒラリーが吸殻をごみ箱に捨てると、ストーブを点け、その前に靴を置いて暖める。ヒラリーはロッカーで制服に着替える。窓から雪の降る海岸を眺める。
ありがとうございます。ヒラリーが正面玄関で客を送り出す。メリー・クリスマス。客を送り出したヒラリーはシアター1で客席の清掃に加わる。ニール(Tom Brooke)とジャニーン(Hannah Onslow)がお喋りしている。新しいズボンじゃないよ、ちょうどそこに落ちてたやつ。あたしもそうだった。ママが家の外でミニスカートを履かせてくれなかったから、席で着替えたのよ。使用済みのおむつもあった。吐瀉物の入ったポップコーンのカップ。スーパーのレジ袋に入ったチキンの丸焼き…。最悪のものって何がありました? 印象的なものは? ニールが離れた客席後方で作業していたヒラリーに尋ねる。死体ね。数年前。『トランザム7000』上映中に心臓発作を起こしたの。3人がかりで運んだわ。ぶのに彼を動かすのに3人かかった。地獄ね。雰囲気が台無し。3人が笑う。
ヒラリーが照明を落とした劇場の正面玄関を出て鍵をかける。雪道を1人歩いて帰宅する。カップルや家族連れと擦れ違う。
朝8時。ヒラリーがベッドで目を覚ます。洗面台で歯を磨く。棚から薬の瓶を取り出す。
賛美歌を聞きながら、テーブルで1人、ワインと1皿のクリスマスの食事を取る。蝋燭を点した浴室で浴槽に浸かる。鼻をつまみ、ヒラリーは湯の中に沈んでいく。
レアード医師(William Chubb)の診察室。頭痛や吐き気は? ありません。ぐっすり眠れてるかな? はい。いいね。体重を量りましょうか。ヒラリーが体重計に乗る。理想的とは言えないね。2キロ増えてる。医師はカルテに記入する。気分はどうかね? いいですよ。聖ユダ病院を出て気分は改善してるかな? はい。感情が揺れ動くことは? いいえ。いいね。安定している。いいことだよ。…何も感じないんだと、思います。回復するだろう、リチウムに慣れればね、効果がある。話ができる家族や友人はいるんだろうね? はい。
社交ダンス教室。音楽に併せて既に皆が踊っている。1人立って見守っているヒラリーに講師が慌ててやって来る。パートナーは? はい、いないと思います。講師(Mark Goldthorp)は老齢のビル(Adrian McLoughlin)をヒラリーに紹介し、組ませる。よろしく。お会いできて嬉しいわ。上手く踊れなくても許してね。ヒラリーとビルがややぎこちなく踊る。
従業員の控え室。ニールは勝手にジャニーンのポータブルオーディオプレイヤーを使っていた。ヘッドホンを付けたニールが眠たい音楽だと言って馬鹿にして歩き回るのを、ジャニーンが返してと憤慨して追いかける。2人をヒラリーや他の従業員が笑って見ている。ジャニーンによって取り返された後もニールが演奏を真似して声を張り上げている。支配人のドナルド・エリス(Colin Firth)が姿を現わすと、ニールが押し黙る。一体何事かね? ジャニーンがウォークマンで音楽を聴いてたんです。そうか、まあ、落ち着きたまえ。支配人はトレヴァーが出社せず人手不足だからとジャニーンにチケットを任せる。ジャニーンがまだ食事休憩だと訴えるが、昼食を取っているようには見えないと却下する。他の従業員たちが控え室を出て行く。ジャニーンも出て行って、残ったのはヒラリーだけ。支配人がオフィスでトレヴァーの件について10分ほど話したいんだとヒラリーに告げる。
締め切った暗い支配人室。デスクの前に2人の人影。パンツを下ろした支配人の息は荒い。ヒラリーが彼の下半身を手でしごく。咥えてくれ。いや。頼むからしゃぶれ。いや。このまま。
ヒラリーが支配人室を出る。ドナルドは何事も無かったかのようにデスクに向かっている。ヒラリーは洗面所に行き、丁寧に手を洗う。そんな自分の姿を鏡に映す。
夜、こぢんまりとしたレストランでヒラリーが1人本を読みながらワインを飲んでいる。2人だ。ウェイターに案内されて席に着いたのは、妻ブレンダ(Sara Stewart)を伴ったドナルドだった。ヒラリーが彼に気が付き身を潜めるようにするが、ドナルドが気が付く。ご注文はお決まりですか? ウェイターに尋ねられたヒラリーは、約束があるのを急に思い出したと言って店を出る。
ベッドで1人、ヒラリーが車のヘッドライトの光が天井に差すのをぼんやりと眺めている。
エンパイア劇場のホールで、支配人が従業員一同を前に、トレヴァーの代わりに採用したスティーヴン(Micheal Ward)を紹介する。

 

1980年のクリスマス。イングランド、ケント州北部にある海辺の町マーゲイト。老舗の映画館エンパイア劇場では運営マネージャーのヒラリー(Olivia Colman)が最終上映の客を送り出す。ニール(Tom Brooke)とジャニーン(Hannah Onslow)とともに客席の清掃を終えると、劇場の鍵締めをして、雪道を1人帰宅する。ヒラリーは賛美歌を聞きながら、ワインと簡素な食事で1人クリスマスを祝う。精神科医のレアード(William Chubb)を訪ねたヒラリーは体重が増えていることを懸念され、気分安定薬の服用と会話を促された。
エンパイア劇場の支配人ドナルド・エリス(Colin Firth)は辞めたトレヴァーの分も働けと従業員に命じ、善後策を講じる名目でヒラリーを執務室に連れ込む。ドナルドはヒラリーを性欲の捌け口として利用していた。妻との冷え切った関係を口実にするドナルドだが、ドナルドが妻ブレンダ(Sara Stewart)と仲睦まじく姿をヒラリーは街で目にしていた。
トレヴァーの穴を埋めるためスティーヴン(Micheal Ward)が採用された。運営マネージャーのヒラリーがスティーヴンを伴い、スナックの販売、最終上映後の清掃、チケットの半券の回収、気難しい映写技師のノーマン(Toby Jones)について、劇場内を歩きながら説明していく。立ち入り禁止の上層階を見てみたいというスティーヴンの訴えで、2人は今は使われていないスクリーン3とスクリーン4の吹き抜けのロビーへ、さらに階段を上り、アールデコスタイルの展望レストランへ。スティーヴンが迷い込んで羽が折れて動けなくなった鳩を保護してやる。気さくなスティーヴンにヒラリーの胸はときめくのだった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

ヒラリーが誰もいない劇場にやって来て、電灯を点けると、劇場が一気に光に包まれた暖かな世界へと変貌する。この冒頭シーンでノックアウトされてしまう。
孤独なヒラリーを慰めるものは読書である。とりわけ詩を愛読する。まさに新年を祝う花火が打ち上げられようとする直前には、教会の鐘が打ち鳴らされる中、アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson)の詩"In Memoriam"の一節(Ring out, wild bells, to the wild sky, The flying cloud, the frosty light: The year is dying in the night; Ring out, wild bells, and let him die.)をヒラリーが暗唱する他、W.H.オーデン(W.H. Auden)やフィリップ・ラーキン(Philip Larkin)の詩が重要な場面で登場する。ヒラリーとスティーヴンが砂浜で城を造るのもフィリップ・ラーキンの詩に関連付けられているようだ。
ティーヴンが保護する翼の折れた鳩はヒラリーのメタファーである。
ルネ・マグリット(René Magritte)の"L'Empire des lumières"の英訳と同じ言葉をタイトルに掲げているのは意図されたものか。夜だと思い込んでいるかもしれないが、実は青空の広がる昼である。それは、映写技師のノーマンが説明する映画の仕組みを踏まえれば、光に充ちた世界は闇と共存していること、あるいは光だけを認識することだけは可能であることを訴えているのではいか。