可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 上田暁子個展『A Walk of Broken Theatre』

展覧会『上田暁子「A Walk of Broken Theatre」』を鑑賞しての備忘録
ユカ・ツルノ・ギャラリーにて、2021年4月17日~5月29日(※当初5月22日までの会期を延長)。

上田暁子の絵画10点を紹介。

表題作《DÉJÀ-MAIS-VU (A Walk of Broken Theatre)》は、縦横ほぼ200cmの正方形に近いリネンの画面で、木枠に貼られることなく、直接壁に掛けられている。灰白色が中心の画面で目を惹くモティーフは、ピンクで描かれた大きなカーテンだ。右側手前に中央をタッセルで縛ったカーテンが、左側の中景に対となるやはりまとめられたカーテンがそれぞれ描かれ、両者を繫ぐようにテントのような円蓋が架かっている。これはテント式の劇場(theatre)であろう。円蓋には大きな穴が開き、「壊れた劇場(broken theatre)」であることが示されている。やはりタッセルでまとめられた青いカーテンが画面で骨格を成している《太陽のサーカスの(終焉と未だ)陽気な切れ端達》には多数の人影が描き込まれているのに対して、「壊れた劇場」の内外に人気は一切無い。その代わりに「劇場」の内外を執拗に埋め尽くしているのは、8の字などのカーヴする力強い描線、震えるように戸惑いながら進む線、機械の部品のようなカクカクとした線、切箔のような細かな四角形などである。
中心となるモティーフであるピンクのテント式劇場は、舞台を囲うように描かれてはいない。舞台の左右の袖でまとめられたカーテンの部分が画面に浮かぶように描かれている。すなわち、カーテンがプロセニアム(舞台額縁)のように働く様が鑑賞者の目に飛び込んでくる。

 古代の劇場にはペリアクトイとよばれる回転しながら絵によって場面の変換を観客に提示してみせる機械が舞台の両脇の入口におかれていた。イエイツはルネッサンスの後期の宮廷の私的な劇場になると、ヴィトルヴィウスのなかではそれほど重要に思われていなったこの珍しい仕掛け、ペリアクトイの方を発展させることを指摘している。事実、学識ゆたかなダニエーレ・バルバロのヴィトルヴィウス註解においては、ペリアクトイは舞台の袖ではなく舞台正面壁にあるすべての入口のうしろにおかれ、それがやがてパラーディオがヴィセンツァにつくるテアトロ・オリンピコの背景入口の背後にあらわれる。この劇場はローマの古代劇場を建物の内部におさめたようなものでフロン・スカエナエ(舞台正面)は念入りに装飾された建築的な壁であり、そこにヴィトルヴィウス的な5つの入口が再現されていたが、パラーディオの仕事をひきついで完成させたスカモッティは、この入口の奥にパラーディオが想定していたと推定されている描かれたペリアクトイの代りに、俳優の出入も兼ねた、しかし遠近法にもとづいて短縮された街並みを実際に通路として設置したのである。こうしたパラーディオやスカモッティに先立って、すでにセバスティアーノ・セルリオは舞台は単一の消失点をもつように構成されねばならないとのべ、またヴィトルヴィウスが言語でのべた3つの絵演劇の場面を線的遠近法で描きだしていた。ルネッサンス後期のイタリアにはじまり、やがてヨーロッパ全体に及ぶ劇場の構成は、15世紀の絵画において最初のあらわれをみた線的遠近法が16世紀になって劇場空間に侵入する徴候であった。
 劇場での視線の優位はパラーディオ-スカモッティの過渡的な劇場(テアトロ・オリンピコ)よりも、やがてスカモッティがサビオネッタにつくる古代風劇場にはっきりと現われる。ヴィセンツアの舞台正面壁の3つの入口はサビオネッタではひとつにまとめられて大きくなり、その奥に舞台全体がおさまるようになり、そこにセルリオの描いた絵をそっくりに、街路がこれまた遠近法を施した実物としてつくられる。もはや背景はローマ的な「壁」ではなくなり、アルベルティが遠近法を喩えた「窓」になっていたのである。舞台はすでにイリュージョンになろうとしていた。そこからやがてもっぱら眼のたのしみに捧げられた劇場がうまれ、まもなく音楽と結びついて新しいスペクタクル(宮廷バレエ、オペラ)が生じるようになると、もはや舞台と客席は別々の空間になって、それをプロセニアム(舞台額縁)がわかつことになる。プロセニアムがいつどこから生じたかはよく判らないが、これによって舞台と客席とを分離したことが演劇性に決定的な影響をもたらした。(多木浩二『眼の隠喩 視線の現象学筑摩書房ちくま学芸文庫〕/2008年/p.84-88)

本来、プロセニアムは、舞台と客席とを分離するよう働く。だが、《DÉJÀ-MAIS-VU (A Walk of Broken Theatre)》において、プロセニアムとなるカーテンの内外は、カーテン自体をも含め、固視微動を表すかのような灰白色ないし灰色の描線によって埋め尽くされている。それら無数に重ねられていく描線は、舞台と客席とが象徴する対象と主体との切断を、繋ぎ合わせようとしているようにも見えるのだ。円蓋に現れた大きな穴もまた、切断状態の崩壊を意味するだろうか。
また、誰もいない劇場とは、無人島に比することができるだろう。すなわち自我の成立(ないし経験世界の生成)しない状況の謂いである。

 (略)無人島には他者がいない。もはや、自分には見えていないが、誰かには見えているはずだ、と想定することができない。したがって、そのとき、私に見えていないものは端的に存在しない。ドゥルーズトゥルニエの小説〔引用者註:ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソーに取材して書かれた、ミシェル・トゥルニエの『フライデーあるいは太平洋の冥界』〕からロビンソンの言葉を引いている。「私が島において見ないものが、絶対に知られないものである」(*ジル・ドゥルーズ小泉義之〕『意味の論理学』河出文庫/2007/下233)。それだけではない。他者がいないのだから、自我も成立しない。したがって、「私の意識とその対象の区別」が成立しない。「意識とその対象はもはや1つでしかない」。ゆえに、無人島の上にある被造物は「それ自身、無人島である」。「島は人間の夢想にすぎず、人は島の純粋意識である」(*ジル・ドゥルーズ宇野邦一ほか〕『無人島』河出書房新社/2004/上16)。(國分功一郎ドゥルーズの哲学原理』岩波書店〔岩波現代全書〕/2013年/p.56-57。*ジル・ドゥルーズの出典は同書記載の邦訳文献のみ転記。)

そして、自我が成立(経験世界の生成)するためには、「誰もいない劇場」が「劇場」へと転じるためには、役者の存在だけでは足りない。観客という他者の存在が必要である。「或る島が無人島でなくなるには、そこに人が住めば済むわけではない」のだ。

 「無人(désert)」は、このような逆説的な状態、他者がいないから自我もいない状態を指している。「無人島の原因と理由」は「或る島が無人島でなくなるには、そこに人が住めば済むわけではない」と述べていた。それはなぜかといえば、無人島の無人状態が崩壊するためには、人が住まうだけでなく、他者による知覚領域の構造化が起こらなければならないからである。他者は私と対象の区別をもたらす。他者を欠いていれば、そのような区別はない。私という主体と島という客体があるのではなく、「無人島とその住民の一体性」(*ジル・ドゥルーズ宇野邦一ほか〕『無人島』河出書房新社/2004/上17)があるだけだ。
 以上を我々は、感性による直観の形式としての時間・空間の発生プロセス、更にはその形式で多様なものを受容する主体ないし自我の発生プロセスを描写した理論として読むことができるだろう。ドゥルーズは、カントが自我や超越論的統覚を想定していることを批判した。そして、実際にその批判に基づいて、自我や時間・空間の発生を理論化した。しかも、その理論化の根幹には、ヒューム的な発想がある。「無人島の原因と理由」で、ドゥルーズは次のように述べている。

 無人島とその住民の一体性とは、それゆえ、カーテンの裏にいずしてカーテンの裏を見ていると考えるのと同様に、現実的なものではなくて想像的なものである。(*ジル・ドゥルーズ宇野邦一ほか〕『無人島』河出書房新社/2004/上17)

 ここで語られるカーテンの話は、先に見たトゥルニエ論の一節「対象の中で私が見ていない部分を、私は同時に、他者には見えるものとして考える」と全く同じことを述べている。そして、自分に見えていないカーテンの裏側を他者が見ているだろう、と考えることは信念に属する。ヒュームは、信念によって人間の認識が所与(=カーテンの表側だけの知覚)を超出する、と考えたのだった。ドゥルーズ無人島論はヒューム的発想を根幹にもっていることが分かる。ただし、1つ違いがある。それは「他优」という要素が登場していることである。知覚はあくまでも他者によって成立する。信念というのは、その効果に他ならない。ならば、ドゥルーズはカント的な想定を批判する中で無人島を理論化しつつ、ヒュームが認識の事実――信念による所与の超出――としてしか考えなかったものの発生を問い、他者のもたらす効果に注目した、と考えることができるだろう。実のところ、トゥルニエ論では、「要するに他者は、世界の中の余白と推移を保証する他者は近接と類似の潤滑剤である」(*ジル・ドゥルーズ小泉義之〕『意味の論理学』河出文庫/2007/下232)と述べられていた。「近接」と「類似」は、ヒュームが観念連合の原理として挙げたものに他ならない。「絵画は我々の思考をその原像へと自然に導く」(類似)とか、「ある建物の一区画への言及は、他の区画についての想像を自然に導く」(近接)といった原理でヒュームは我々の観念連合を、ひいては所与の超出を説明したが、結局のところそれらは単なる認識の事実として――すなわち、どうしてかはよく分からないが、認識を調べてみると出てくる事実として――提示されていたにすぎない。それに対して、ドゥルーズは「他者」こそがこれらの原理の発生源だと述べていることになる。
 更に、ここから、先の引用の冒頭について考えることができる。「無人島とその住民の一体性」は――カーテンの話と同様に――「想像的なもの」だ、とドゥルーズは言う。カーテンの話は、ヒューム的な信念の議論と直結している。ならば、「想像的なもの」とは、ここで、認識が信念によって支えられているのと同様の事態を指していると考えることができよう。すなわち、「無人島とその住民の一体性」もまた何か信念のようなものによって支えられている危うい存在だということになるだろう。確かに、「哲学的」には島が無人であるのは正常なことであるし、「理論的」にはいかなる島も無人であり、またそうであり続ける(*ジル・ドゥルーズ宇野邦一ほか〕『無人島』河出書房新社/2004/上14-15)。だが、そのような哲学的・理論的に「正常」な状態、自我と対象が区別されない状態、無人島とその住民の一体性、無人島の無人性……何と呼んでもよいが、そのようなものは、現実にはカーテンの裏にいないのにカーテンの裏を見ていると考えるような危うさを孕んでいる。だから、ドゥルーズは次のようにも述べるのだ。人間は島を作り出す運動そのものと一体にはなれないのだから、実際には「彼らは常に外部から島に遭遇するし、事実の上での彼らの存在は島の無人状態を邪魔する(*ジル・ドゥルーズ宇野邦一ほか〕『無人島』河出書房新社/2004/上17)。島の無人状態が「邪魔」されるとは、対象の対象性、知覚の構造、自我、統覚といったものが発生することを意味する。外部から来る他者によって、カントが想定していたいくつもの概念が発生するのである。(國分功一郎ドゥルーズの哲学原理』岩波書店〔岩波現代全書〕/2013年/p.57-59。*ジル・ドゥルーズの出典は同書記載の邦訳文献のみ転記。)

 

《DÉJÀ-MAIS-VU (A Walk of Broken Theatre)》における固視微動を表すかのような灰白色ないし灰色の描線とは他者の視線であり、プロセニアムとしてのカーテンは自我を表すものであった。円蓋に生じた穴は、他者の視線によって修復されるであろう。