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芸術鑑賞の備忘録

映画『唄う六人の女』

映画『唄う六人の女』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の日本映画。
112分。
監督は、石橋義正
脚本は、石橋義正と大谷洋介。
撮影は、高橋祐太。
照明は、友田直孝。
録音は、島津未来介。
美術は、黒川通利と将太。
装飾は、須坂文昭。
小道具は、宮本里菜。
アートプランニングは、石橋亜樹。
着物デザインは、江村耕市。
着物制作は、下城美香。
衣装デザインは、川上須賀代。
衣装制作は、川上須賀代。
ヘアメイクは、中野泰子。
特殊メイクは、中田彰輝。
造形は、中田彰輝。
音響効果は、大塚智子。
VFXスーパーバイザーは、寺岡マサヒロ。
編集は、石橋義正
音楽は、加藤賢二と坂本秀一。
振付は、藤井泉。

 

鬱蒼とした森。羊歯などの下草が生い茂る。川のせせらぎ、鳥の声。苔の上を這い回るイモムシ。木の洞から飛び出すハチの群れ。
山道を猛スピードで走る車。激しく揺れる車の後部座席で気分を悪くしているのは萱島森一郎(竹野内豊)。東京で広告専門のフォトグラファーとして成功している。40年以上会っていない父が孤独死したとの連絡があり、遺品の確認と相続した山林の売却のために亡き父の住まいを訪れた。帰りの足が無いと言われ、買主の代理人である宇和島凌(山田孝之)の車で最寄駅に向かっていた。東京の自宅にいる歳の離れた交際相手かすみ(武田玲奈)と電話で話す。契約相手、ジェネシスジャパンって言ってたよね。そうだよ。ネットで見てたらその会社なんか評判悪いよ。…そうなんだ。予定通り今日中に帰って来れるんだよね。ちょっと気になることがあって、一泊しようかなって思って。何それ、絶対ダメ。編集の方、ずっと待たせてるんだよ。それに、ちょっと話したいことがあるし…。え、何の話? 電話が繋がらなくなる。荒い運転の宇和島森一郎が注文を付ける。あの、運転、もうちょっとどうにかなんない? 駅に行かないんですか?
日傘を差した白い着物の女性(水川あさみ)が、山を抜ける自動車道で転がったセミを拾い上げる。羽を毟ると、口に入れ囓り始める。
民家の前に広がる草叢では、緑色のドレスの女性(服部樹咲)が寝椅子に仰向けに寝て、日光浴をしている。
宇和島の車に揺られる森一郎は、父の遺品である写真を取り出して眺める。根上がりした樹木と、羽搏くフクロウ。車がトンネルに入ると、宇和島は煙草を取り出して火を点ける。困惑する森一郎。トンネルを向けると、日傘を差した白い和服の女性が道路の真ん中に立っていた。宇和島が急ハンドルを切る。女に向かって怒鳴りつける宇和島森一郎は彼女の口からセミの足が覗いているのを見る。道路を塞ぐ落石に森一郎が気付き指摘するが、暴走する宇和島のブレーキは間に合わない。車は大きな岩に衝突した。
東京。森一郎の自宅。ベッドで抱き合いながら、かすみが森一郎に日程の確認をする。これからってときにスケジュールの話するか? どうせ終ったら寝ちゃうでしょ。老体に鞭打って。もう少しムードあるようにできないのかよ。森ちゃんそろそろ子供欲しくない? 自信ないよ。もうジジイだからね。森一郎の電話が鳴る。…萱島森一郎です。…えっ? はい、そうですか…。…そうなんですね、じゃ、伺います。森一郎が電話を切る。電話の間に淹れたコーヒーをかすみが森一郎に手渡す。どうしたの? 親父が死んだそうだ。でも随分前に亡くなったって。4歳のとき離婚して会ったことないんだ。死んだようなもんだろ。それでお父さんずっと1人で? 昔住んでたとこで孤独死。妻と幼い子供を棄てた報いだろ。役場の方で遺体処理は済ませてるって。ただ親父の遺品を取りに行かないと。すごい山奥なんだ。かすみは嗅覚が鋭くなるなど妊娠の初期症状が出始めていた。だが森一郎には言えずにいた。
森一郎が山中のバス停でバスを下りると山道を歩いて行く。記憶にある黒い屋敷が目に入ってきた。門を潜ったときには少し息が切れている。突然、轟音がして、草刈り機を持った老女(白川和子)が出て来た。あんた、何やってんの? この家の息子の萱島です。大きくなって。お父さんによく似てるね。小さいときよく遊んであげてたんだよ、覚えてる? 昔のことはほとんど記憶になくて…。父をお世話して頂いたんですか? 森一郎は魔法瓶のお茶を入れて手渡されたが熱くて飲めない。毎日1人で山の中をうろうろしてて。山に毎日って、仕事は? うちの仕事を畑を手伝ってもらったり。母もろくでもない人だと言ってました。この辺の土地、みんな売ったからね。あの人は山に取り憑かれた、変わった人だった。売ることにした村長さんも悪い人じゃない。開発業者の人も親切だよ、荷物持ってくれたりね。父を見付けてくれたんですか? お風呂で亡くなってたの。あの日はものすごい鳥の声がしてね。フクロウがこの家の屋根にいっぱいで、見に来た。フクロウが? 亡くなるちょっと前に何か見付けたって息巻いてて、そのときは元気だったのにね。あんた仕事は? フォトグラファーです。写真、お父さんもやってたよ。老女は出て行った。
雨が降る中、母(下京慶子)が幼い森一郎とともにタクシーに乗り込む。父・山際茂(大西信満)を置いて、母子のタクシーが門を潜って出て行く。
家の戸を開けると。脇の戸棚のカメラが目に入った。レンズキャップがない。カメラを構えてみる。森一郎が初めて触ったカメラだった。古い新聞がとってある。いつの新聞だ? 森一郎が広告賞を受賞したときの新聞だった。その上を這うクモを振り払う。部屋の角には、森一郎が幼い頃に使っていた机や椅子、図鑑、壁のひらがな一覧表などがそのまま残されていた。机には時計や玩具、顕微鏡などが載っている。お気に入りのカエルの人形もあった。
幼い森一郎が寝ていると、母が父に怒りをぶちまけるのが襖越しに聞こえた。あなたの妄想でしょ。私はあの子を連れて東京へ行くわ。あなたはその女のとこにでも行けばいいでしょ!
思い出に浸る森一郎スマートフォンが鳴る。かすみからだ。お父さんの暮らしてたとこはどう? 一番近くのコンビニまで1時間半だよ。本当にこんな山奥に女なんかいたのかな。女? 話があるんだけど…やっぱり帰ってからでいい。今日中に帰れるよね? 聞いてる? かけ直す。森一郎は締め切られた戸が気になり、電話を切ると、固くなった戸をこじ開ける。その部屋には壁中に付箋や写真、山の地図が貼られていた。何やってたんだ? 写真の中には赤い鼻緒の女物の草履を写したものがあった。そして、根上がりした大木と、フクロウが飛翔する姿を捉えた写真もあった。

 

萱島森一郎(竹野内豊)は広告賞の受賞歴のあるフォトグラファー。マネージャーを務める、歳の離れた交際相手かすみ(武田玲奈)に尻を叩かれながら、公私とも順風満帆だ。ある日、父・山際茂(大西信満)が孤独死したとの連絡が入る。4歳のとき離婚した母(下京慶子)に連れられて出てきた家で父はずっと一人暮らしを続けていたという。遺品整理と相続した山林の売却のために人里離れた山奥の屋敷を約40年ぶりに訪れる。管理のために居合わせた杉田(白川和子)から、村長の方針で村人たちが土地を手放す中、土地を売らず1人山を歩き回る父が変人扱いされていたことを知る。父が亡くなった日は鳥が異常に激しく鳴き、家の屋根には数多くのフクロウが群がっていたという。家には使い方を教わった父の遺愛のカメラがあり、森一郎のものは全て出て行ったときのままに残されていた。それらを目にすると、幼い頃の記憶が次々に蘇った。固く閉ざされた部屋に入った森一郎は、壁中に貼られた付箋や写真、山の地図を発見する。根上がりした巨樹と羽搏くフクロウ。そのとき、水から上がった女性のイメージが脳裡に浮かんだ。不動産屋の松根(竹中直人)の仲介でジェネシスジャパンの宇和島凌(山田孝之)と山林売買の本契約を結んだ森一郎は、帰りの足が無いからと宇和島に車で最寄駅まで送ってもらうことになった。山道を暴走する宇和島の車。トンネルを抜けたところに立っていた日傘の女性(水川あさみ)を急ハンドルを切って避けた。擦り抜ける瞬間、彼女が虫を囓っているのに気付く。直後、先日の大雨による落石に車は衝突してしまう。森一郎が目覚めると、日本家屋の畳敷きの部屋にいた。赤い布団に眠る森一郎の手首は何故か縄で縛られていた。台所では日傘の女が出刃包丁を振り下ろしていた。

(以下では、冒頭以外の内容についても触れる。)

自然環境についてのストレートなメッセージを、自然界の存在を妖艶な女性たちに象徴させる幻想譚として魅力的に描いた作品である。山田孝之が、彼の代表作の1つで演じたキャラクターを彷彿とさせる、「ウワジマくん」と呼びたくなる暴力的で冷徹なキャラクターが自然環境に与える人間の脅威を体現している。

萱島森一郎は両親と山奥で暮らしていたが、両親の離婚を機に4歳で母とともに東京に出た。以来、40年以上、父親とは音信不通だった。父親の孤独死をきっかけに、遺品の整理と相続不動産の売却のために父親の暮らしていた家に向かった。自らが幼少期を過していた住まいでもあり、変わらぬ佇まいと品々とに、森一郎は記憶を次々と蘇らせていく。根上がりした樹木と羽搏くフクロウの写真を見た森一郎は、山で遭難して川に呑まれたこと、自分を救ってくれた女性がいたこと、彼女を求めて父が山を渉猟するようになったことを思い出した。
森一郎は縁の切れていた父との関係を清算するつもりで、父から相続した山林を東京の業者ジェネシスジャパンに売却する。バスの足がないなら歩くつもりでいた森一郎だったが、不動産業者の松根に言われるがままに、ジェネシスジャパンの宇和島の車に最寄駅まで送ってもらうことになる。暴走する宇和島の車に乗ることは、森一郎が開発業者の口車に乗せられたことを暗示する。森一郎は車中で改めて根上がりした樹木とフクロウの写真を見ることで、村人から変人扱いされていた――宇和島統合失調症と決めつけた――父の真の狙いを探る決心をする。すると森一郎は、突然、日傘の女性――ハチの化身――を見出す。森一郎は、幼い頃のように、山に生きる「人間ならざるものとの地続きの感覚」を回復させ、生きものたちを自分たちと同じ地球のステークホルダーと見る、マルチスピーシーズ的世界への道を開くことになる。

 作家アミタヴ・ゴーシュが『大いなる錯乱――気候変動と〈思考しえぬもの〉』(2016年)で論じるところによれば、ここ200年ほどの西洋の小説は、連続する時間と空間から愛や死や冒険や葛藤をめぐるブルジョワ的日常を切り取り、人間のドラマが展開する舞台以外のもの――すなわち人間ならざるもの――を排斥した。逆に言えば、そうした小説の慣習が確立する前は、人間の現実が、人間ならざるものの諸力の綱の目においてとらえられていたのである。〔引用者補記:小説『オーバーストーリーズ』の著者リチャード・〕パワーズもインタビューや対談で、『オーバーストーリー』で人間ならざるものを主要キャラクターに据えたのは革新的なことではなく、人類の誕生以来、文明の中核を占めていたものへの回帰にすぎないと述べている。
  近代小説が排斥した人間ならざるものとの地続きの感覚は、先住民文学、神話、児重文学、ネイチヤーライティングに息づいている。『オーバーストーリー』にはそうした小説以外の文学への言及が多い。なかでもオイディウス『変身物語』の「あなたに語って聞かせよう。人が他のものに変身する物語を」という一節は、作品全体を通してリフレインされる。(略)
 近代以降、地球のお客さん目線で書かれてきた小説を、人問と人間ならざるものが同じ地球の住人である物語世界へと戻すパワーズの試みは、単なる過去回帰ではない。むしろ現実主義的である。この小説では樹木伐採抵抗活動がことごとく失敗に終わるが、まさにそうした展開に、環境をめぐる大義や正義が通用しない「地球(グローブ)」の現実が映し出されている。理想を振りかざした現代批判に走らず、現実を多角的にとらえて地球の住人になることに想像力をのばす『オーバーストーリー』は、人新世リアリズム小説とよぶにふさわしい作品だ。(結城正美『文学は地球を想像する エコクリティシズムの挑戦』岩波書店岩波新書〕/2023/p.199-200)

宇和島が暴走させる車が落石への衝突事故を起こすことで、「人問と人間ならざるもの」との境界を超え、両者が「同じ地球の住人である」世界へと突入するのだ。

(以下では、結末も含め、後半の内容についても言及する。)

森一郎の父が山に取り憑かれて妻子の関係が切れたように、森一郎もまた山の存在たちに心を奪われ、かすみ――森一郎は気付いていないが妊娠している――を蔑ろにしてしまう。森一郎の転向を引き起すのは、ハチやヘビやシダといった山の存在たちが怪しく魅惑的な女性として姿を現わすことによってである。妖艶な女性たちの描写は本作の真骨頂だ。
森一郎はハチの化身である女性を恐怖から受け容れられない。森一郎が蜂の子の吸い物のような食べ物を受け付けない点が、その象徴である。だが食文化の差異は、杉田の差し出した飲み物を熱くて吐き出してしまうのと質的には違いはない。実際、森一郎は未知に対する恐怖心が和らぐと、異なる文化を認め、受け容れるようになる。
人間ならざる生物たちの化身である女性たちが侵入者である森一郎らに提供するのは、たとえ全面的ではないにせよ、恢復のための世話である。彼女たちが体現するのは、キャロル・ギリガンが言うところの「ケアの倫理」である。

 ギリガンは、2つの声のそれぞれに「正義の倫理」(ethics of justice)、「ケアの倫理」(ethics of care)という名前を与えて、両者を対比した。〈何が正義にかなうか〉という問いに主導される「正義の倫理」によれば、道徳の問題は諸権利の競合から生じるものとされ、形式的・抽象的な思考でもって諸権利の優先順位を定めることで解決が図られる。またこの倫理の基底には、自己をあくまで他者から「分離」した存在、「自律」の主体として捉える人間観が横たわっている。これとは対照的に「ケアの倫理」――すなわち「すべての人が他人から応えてもらえ、受け入れられ、取り残されたり傷つけられたりする者は誰ひとり存在しないという理想像」――では、〈他者のニーズにどのように応答すべきか〉という問いかけが何より重視され、道徳上のジレンマは複数の責任が衝突するところに成立する。したがって、「ケアの倫理」の場合、目の前のジレンマに対処するためには、「文脈=情況を踏まえた物語り的な(contexual and narrative)思考様式」に頼らざるを得ない。そしてこの倫理を支える人間観によると、自己は他者との「相互依存性」やネットワークの中に居場所を有することになる。(川本隆史「解題『もうひとつの声で』を読みほぐす」キャロル・ギリガン『もうひとつの声で――心理学の理論とケアの倫理』風行舎/2022/p.409)

山の存在である女性たちが言葉を発することがないのに対して、男たちは言葉を発するのみならず契約=法を重視する。宇和島が最後まで書類(の入った鞄)に執着する点に典型的に描かれている。問題解決をロゴスの問題として割り切って判断しようとする。本作は、「正義の倫理」一辺倒の男たちの末路を描き出した作品とも言える。もっとも、山の存在である女性たちを救おうとした森一郎の試みも徒労に帰してしまう。
森一郎は、一度山から下りながら、再び山へ帰って行く。引き留めようとするかすみに必ず戻ると約束――言葉である――を交わして。森一郎は結果として、かすみとの約束を破ることになる。それでも、かすみは森一郎の思いを引き継ぐことになる。かすみには明らかに「文脈=情況を踏まえた物語り的な(contexual and narrative)思考様式」で行動し、森一郎と言葉を交わすことなく、彼の意図を汲む。森一郎はそんなかすみに感謝を伝えるために、かえるの姿となって姿を見せる。森一郎は、童心に、父親の下に、妻のもとに、何より自然に帰って行ったのだ。