可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『17歳は止まらない』

映画『17歳は止まらない』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の日本映画。
96分。
監督・脚本は、北村美幸。
撮影は、田宮健彦。
録音は、飴田秀彦。
美術は、貝原クリス亮。
編集は、清野英樹。
音楽は、林魏堂。

 

鶏舎の藁の中にはたくさんのヒヨコがピヨピヨと鳴いている。作業着を着た生徒たちが入って行く。選べないと言いながら近寄ってヒヨコを品定めする。彼女たちは農業高校畜産科の2年生。ブロイラー実習が始まったのだ。瑠璃(池田朱那)がこの子に決めたと1匹を捕まえる。
ヒヨコを手に瑠璃が畜舎の隅でしゃがみ込む森先生(中島歩)の下へ向かう。この子一番可愛かったの。森は辛そうな表情を浮かべている。大丈夫ですか? そんなにしんどいですか? 森は大丈夫だと言って立ち上がり、生徒たちに声をかける。決まったら中庭に集合して。
中庭のテーブルに載せてヒヨコの写真を撮る瑠璃。写真、撮らない方がいいんじゃないの? モモ(片田陽依)が忠告する。こんなに可愛いんだから、ぴよたん。名前付けたの? 性別も分からないのに? 彩菜(白石優愛)がヒヨコを手にやって来て、クラスで一番可愛いヒヨコだと自慢する。くるみ(大熊杏優)も合流して、森先生に元気が無かったことを話題にする。二日酔い? さっきまで吐いてたらしいよ。可哀想。酒飲んだら変わるタイプだったり? うちのパパとか酔うとベタベタ触り出すよ。真面目な人に限って危ない。絶対どスケベ。バイトの酔った客が1万円差し出して来てさ。もらったの? もらわないよ、何されるか分かんないでしょ。4人がヒヨコを手に歩いていると、森先生の車が停まっていた。汚れたドアに「どスケベ」と指で書いておく。
瑠璃が1人下校すると、川沿いの道で私立の進学校の制服を着た男子生徒(青山凱)から挨拶された。瑠璃が相手にせず歩いて行くと、彼は瑠璃が文化祭に来たときに紹介されたと説明し、そんなに印象が薄かったと悄気る。沢山紹介されたから一々覚えてない。何してたの? 待ってたんだよ、話したかったから。バイトあるから。一緒に帰るくらいいいだろ? 知らない人に付いていっちゃいけないって言われてる。タイプなんだよ。大して話してもないのに? 顔がタイプ。私も君みたいのタイプ。だけど毛先遊ぶ人はね。坊主頭にときめく。
トイレの鏡に向かって瑠璃が念入りに髪の毛を梳かす。次は森先生の授業なのだ。くるみが隣にやって来て髪に櫛を入れる。るーたんのためにもう1回聞いてあげた。本当に彼女いないんですかって。人使って何言ってんの。本当はいるんだって。動揺する瑠璃。噓、いないって。忙しくてそれどころじゃないって。
森先生がびっしりと書き込んだ黒板を前にインプロバックによる豚の免疫学的去勢について説明している。睾丸の物理的除去と同様の効果が期待できます。日本では2010年に承認されましたが、未だに使われていないのが現状です。瑠璃は理解に努め、くるみはただ森先生に見蕩れている。
厩舎でポニーの世話をする瑠璃。モモは瑠璃にアプローチしてきた田中君とデートするよう頼む。文化祭にはモモが瑠璃を誘って出かけたのだが、瑠璃の人気は高く、モモは瑠璃との仲を取り持つことで自分もダブルデートのチャンスを得ることになっていた。だが同世代のガキは嫌だと言って瑠璃はつれない態度をとる。もう1回会ってくれないかな? ホース持ってきて。親友だよね? 親友がお願いしてるんだからさ。瑠璃はホースを自分で取りに行って、ポニーに水をかける。
瑠璃がコンビニエンスストアでサンドイッチを並べていると、森先生が弁当を買いに来たのに気が付いた。森先生がレジに向かうと、瑠璃が慌ててレジを担当させてもらう。全然来てくれないかないですか! キャバクラか? 売り上げ上がってもバイト代変わらないだろ。瑠璃は森が暖めなくていいというのも聞かず弁当をレンジに入れる。コンビニ弁当でいいんですか、医食同源とか言ってるのに。来て欲しいのか来て欲しくないのかどっちなんだよ。家近いんですか? 食事作りに行ってあげてもいいですよ。ほら、次のお客さん待ってるから。森先生は話を切り上げて店を出て行く。

 

瑠璃(池田朱那)は農業高校畜産科の2年生。家畜とペットは違うとは分かっているものの、生まれたての牛や豚などの可愛さには蕩けてしまう。ブロイラー実習が始まり、ヒヨコを育てた上で屠殺・解体しなければならない。瑠璃の生活はコンビニでアルバイトをしてもかつかつだ。離婚した父が養育費を入れないのだ。瑠璃の心の支えは入学以来憧れている森先生(中島歩)。だが校内での「森ちゃん」人気は絶大で、友人のくるみ(大熊杏優)を始めライヴァルは多い。親友のモモ(片田陽依)の付き合いで足を運んだ私立高校の文化祭で知り合った美男子の田中(青山凱)から積極的にアプローチを受けるが、瑠璃は同世代のガキは眼中にないとつれない態度をとる。母親の不在の土曜日に食事会を自宅で開いた瑠璃は、モモの差し入れた自家製の梅酒に酔い、彩菜(白石優愛)に今告白しろと嗾けられて、森先生が宿直をしている学校へ向かう。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

森先生に憧れる瑠璃は、授業を受けたり、校内で擦れ違ったり遠目に眺めたり、たまにアルバイト先のコンビニで会うだけでは物足りず、次第に先生に対して大胆なアプローチをとるようになる。父親がいないこととかつかつの生活を送っていることが、瑠璃の森先生に対する執着を強めている。自分の蕩けさせてくれる、大人の男性との恋に酔いたい(梅酒はそのメタファーであり、宿直の森先生へ会いに行く行動と繋がっている)。森先生との恋愛成就が過酷な現実からの救済になると瑠璃は信じているのだ。
同世代の田中を振り回す瑠璃が非常に魅力的に描かれている。それとの対照で、森先生に対する瑠璃との態度がより鮮明になる。
なぜ農業高校か。なぜブロイラー実習か。それは見えない所で処理されているものについて表現するためである。田中は鶏を絞めることを残酷だと言うのに対し、瑠璃は見えない所で処理された結果だけを手に入れていることを指摘する。瑠璃が鉄道の車内で田中を童貞だと指摘して自慰行為の頻度を尋ねるのも、青春ドラマの背後に見えない所で処理されているものだ。西洋(=キリスト教)的規範により性が不当に貶められている現状を訴えるのだ。

 世界3大宗教の根本目的は、生きづらい現世を早く終らせて神の世界に行くことだ。中世以降、宗教指導者は次世代を生み出して世の存続を助ける性行為や性表現を無価値と見なし、性を楽しむ庶民を「教義を理解しない者」と見下した。西洋では、わいせつな表現や聖書が禁止する同性愛など性に関する逸脱は、宗教法で取り締まる対照だった。18世紀の市民革命を経て宗教が力を失うと、近代は性の問題を国家が取り締まり、犯罪として扱われた。性が社会的に有害であるとされたわけだ。
 一方、日本では江戸時代まで、庶民の性に対する規範は緩やかだった。そこに黒船が来航し、明治維新で強大な西洋に追いつくためにあらゆる文化・文明を西洋化した。性を巡る西洋の価値観も導入された。この結果、警察は裸で歩く人を取り締まり、乱交を伴う伝統的な祭りは禁止された。
 (略)
 性表現を認めない風潮は今後も強まるだろう。「私は性的なものに関心がありません」という態度は社会的な「正しさ」とされている。その正しさは、何らかの限界に行き着いて弊害が明らかになるまで変わることはないと思う。もしかすると、私たちは性的無関心を達成して、次世代の生産のためだけに性を営む生物になるのかもしれない。(白田秀彰〔聞き手:小川祐希〕「『有害図書』規制(下):性表現認めない風潮強まる」毎日新聞2023年8月11日9面)

家畜にできることは人間にできる。

池田朱那の魅力が僅かに狂気を備えた美しい瑠璃で物語をぐいぐいと引っ張る。振り回される田中が羨ましいくらいだ。
瑠璃に振り回されるうちにわずかに成長する田中を演じた青山凱は好青年ぶりを発揮。
独特の雰囲気のある中島歩は、女子生徒に絶大な人気を誇る先生を演じて説得力がある。