可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『怪物』

映画『怪物』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の日本映画。
125分。
監督は、是枝裕和
脚本は、坂元裕二
撮影は、近藤龍人
照明は、尾下栄治。
録音は、冨田和彦。
音響効果は、岡瀬晶彦。
美術は、三ツ松けいこ。
セットデザインは、徐賢先。
装飾は、佐原敦史と山本信毅。
衣装デザインは、黒澤和子。
衣装は、伊藤美恵子。
ヘアメイクは、酒井夢月。
音楽は、坂本龍一

 

長野県諏訪市。夜の草叢を、回す鳥笛を鳴らしながら星川依里(柊木陽太)が1人歩いている。遠くから消防車のサイレンが響く。湖を挟んだ対岸の上諏訪駅近くの雑居ビルで火の手が上がっていた。消防車を自転車で追いかける子供たち。繁華街の火災現場近くには人集り。燃える建物を見上げている。
麦野早織(安藤サクラ)が階段を上がって息子に声をかける。火事だよ! 高台にある家のベランダに出ると、燃え上がるビルが近くに見下ろせた。湊(黒川想矢)がパピコを手にやって来て、早織に片方を渡す。手摺に攀じ登る湊を早織が落ちないように引っ張る。豚の脳を移植した人間はブタ、それとも人間? 何それ? そういう研究。誰がそんなこと? 保利先生。最近の学校は変なこと教えんだね。消防車が到着し、梯子を延ばし、放水作業が始まる。早織が頑張れと大声を上げる。近所迷惑だよ、と湊が窘める。
朝。湊はランドセルを背負って階段を降り、そのまま玄関へ。台所にいた早織が息子に声を掛けるが、湊はそのまま玄関を出て行く。水筒! 早織が慌てて玄関を出て、息子を呼び止める。湊が水筒を受け取りに戻る。組み体操は一番下が肝心なんだからね。湊が再び学校へ向かって坂を下っていく。白線を食み出したら地獄に落ちるよ! 子供の時でしょ! 子供じゃん。早織が息子の後ろ姿を見守りながら呟く。
クリーニング・モモセ。早織がバックヤードで作業していると、来客がある。早織の友人(野呂佳代)だった。昨晩の火事の話題になり、早織は、全焼したビルの3階にあったガールズバーに保利先生が通っていたと聞かされる。
早織が帰宅すると部屋は暗い。湊が風呂にいるらしい。洗面所で何かを踏んだ早織は明かりを点けて驚く。髪の毛だった。早織が尋ねると、湊は校則違反だから切ったと説明する。
クリーニング・モモセ。仕事を終えた早織はケーキを手に帰る。ただいま。玄関には湊の靴が片方しかなかった。
早織が蝋燭を4本立てたケーキを仏壇に置き、湊とともに歌を歌って亡き夫の誕生日を祝う。なんかケーキ小さくなったね。お父さんなら二口じゃない? 死んでるから食べられないよ。早織がケーキをテーブルに運び、切り分ける。お父さんに近況報告して。お父さん、土かけられた? お骨になってから墓に入ってるから土はかかってない。お父さん、もう生まれ変わったかな? カメムシになってたらどうする? もっと立派なものになってるでしょ。私は馬がいいな。乗せてもらえるじゃない? 再び早織が仏壇に向かって近況報告するよう促すと、聞こえちゃうと湊が恥ずかしがる。分かったわよ。早織は息子の傍を離れる。
朝、湊が降りてこない。部屋を覗くと、湊はベッドに寝たまま動かない。具合が悪いなら病院に行こうと言うと、湊は断る。じゃ、起きて支度しようか。
早織が台所で湊の水筒の中身を入れ替えようとすると、中から泥水が出てきた。驚く早織が尋ねると、湊は理科の実験だという。
夕飯の支度を終えた早織。湊は帰って来ない。早織は湊の同級生に電話を入れる。見たの何時頃? …自転車乗ってたのね。…えっ?
早織が車を走らせる。線路脇のガードレールに湊の自転車が駐めてあった。早織は車を降りると、真っ暗な中、懐中電灯を持って、道らしき場所を下っていく。子供の手になる木の案内板が吊されてあった。そこからは水が溜まった廃線跡で、先にはトンネルの入り口があった。早織は息子の名前を叫びながらトンネルに入ってく。すると、湊の声がした。怪物だーれだ?

 

長野県諏訪市。麦野早織(安藤サクラ)はラガーマンだった夫を事故で亡くし、クリーニング店で働きながら一人息子の湊(黒川想矢)を育てている。小学5年生になり、少しだけ大人びてきた息子に窘められることもある。それが嬉しくもあり寂しくもある。ところが最近、湊の様子がおかしい。髪の毛を自分で切ってみたり、靴が片方しかなかったり、水筒から泥水が出てきたり。或る日、湊は夕食の時間までに帰宅しなかった。級友の目撃情報を頼りに車で探しに出ると、廃線脇に湊の自転車があった。近くのトンネルにいた湊を見付け、帰りの車中、家族を持つまで何としても面倒を見るとお父さんに誓ったと早織が告げると、湊は走行中の車のドアを開けて自ら転落してしまった。念のため病院で診てもらうが、幸い怪我はなかった。早織は最近の不自然な点を指摘して、学校で何かあったのかと息子を問い詰める。早織は担任の保利先生(永山瑛太)に問題があると知る。翌日、早織は城北小に伏見校長(田中裕子)を訪ねる。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

作品冒頭で火事の現場に急行する消防車が映し出され、早織を主人公として物語が展開する。再び消防車が登場すると、今度は湊の担任である保利の視点で物語が語られ直す。そして、また消防車のサイレンが響き…と、映画『羅生門』(1950)(あるいは、その原作である芥川龍之介『藪の中』)のスタイルが採用されている。
女手一つで湊を育てる早織は、息子の異変に気付いていたが、尋ねてもまともな返答は得られなかった。ある日、夕食になっても帰らない湊を探し出して帰宅する途中、息子は走行中の車からドアを開けて転落してしまった。早織は湊に学校で何があったのか問い詰める。湊は担任の保利先生について口にした。早織はすぐに学校を訪問するが、問題が起きたことを認めたくない校長はのらりくらりと躱す。必死に訴えてようやく謝罪に応じた保利先生は、母子家庭の過保護を詰るような言動をする。早織には校長や保利が怪物と映る。だからこそ早織は校長に人間かどうか尋ねるのだ。学校の対応に不信感を募らせた早織――学校の視点ではモンスター(怪物)ペアレント――が、埒が明かないと弁護士を立てると、ようやく学校は保護者説明会を開催し、メディアも学校の問題を取り上げた。

(以下では、早織以外の登場人物の視点で語られる内容についても言及する。)

早織に続いて、保利道敏の視点での物語が展開する。書籍の誤植を指摘するのが趣味など変人ぶりがガールズバーで知り合った恋人の鈴村広奈(高畑充希)に揶揄される形で浮き彫りにされるが、城北小に赴任したばかりの保利は、積極的に生徒に声かけする、熱心な教師だった。そんな保利を旧知に追い込むのは、問題や責任を徹底的に回避したい、校長や教頭(角田晃広)を始めとする学校という組織だった。

(以下では、湊の視点で語られる内容など、後半で明かされる重要な内容についても言及する。)
湊はいじめられっ子の依里のことを気にしている。依里は他の子とは違った感性を持っているが、依里の父親・清高(中村獅童)――息子を「怪物」呼ばわりする者こそ真の怪物――が決めつけている病気ではないと信じている。だが自分がいじめられることまでは耐えられず、いじめられている依里を助けることができない。湊は弱い自分に嫌気が差している。

本作の主要なモティーフは鐵路にある。現在列車が走る路線と、湊や依里の根城にする廃線である。前者が異性愛であり、後者は同性愛を象徴する。湊は依里に友人以上の感情を持つことに気付いてしまった。それが異常なこと――自分は怪物――だと思っている。だから本当のことは言えず、噓をつく他にない――そんな湊は、保利にとってまさしく怪物に見えたろう――。そして、「普通」の家庭を持つことを亡き父に誓ったと早織が訴えるのを聞いて、耐えられなくなった湊は、車を飛び降りるのだ(道から外れるメタファーともなっている)。
もう1つのモティーフが土である。死者を覆う土。現世に絶望する者は、死によって生まれ変わる来世に期待する。土に埋まることで、天へと昇る。そこには反転がある。だからこそ「死んだ猫」はもはや「猫」ではないのだ。宇宙は膨張と収縮を繰り返している。反転こそ宇宙の摂理に違いない。
湊は依里は打ち棄てられた電車を秘密基地にする。颱風の山崩れが廃電車を埋める――「死んだ猫」に泥水がかかることのアナロジー――とき、電車は動き出す。それは銀河鉄道となって宇宙に向かうだろう。

カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。(宮沢賢治銀河鉄道の夜」)