可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『モールの想像力 ショッピングモールはユートピアだ』

展覧会『モールの想像力 ショッピングモールはユートピアだ』を鑑賞しての備忘録
高島屋史料館 TOKYOにて、2023年3月4日~8月27日。

小説・映画・漫画・アニメーション・音楽など大衆文化におけるショッピングモールの表象を取り上げながら、アメリカにショッピングモールを建設したビクター・グルーエン(Victor David Gruen)、及び彼に直接・間接の影響を与えたニューヨーク万国博覧会のフューチュラマ、エベネザー・ハワード(Ebenezer Howard)の田園都市ウォルト・ディズニー(Walt Disney)のテーマパークなどに通底する理想郷を浮き彫りにすることで、ショッピングモールがユートピアであると論証する試み。4章構成(なお、玉川高島屋SCに第0章の展示があるらしい)。

 (略)第二次世界大戦後、アメリカ人はすぐにも夢のような生活が始まるものと思い描いていた。その夢の中心は、自分の家をもつことだった。事実、ヘンリー・フォードの車や急速に改善された道路網とハイウェイ網のおかげで、都市周辺の広大な農地が開発され、この夢は現実となりはじめた――「郊外」が出現したからだ。人々は初めてもつ家に、当時の平均的な年収の約2年分、5千ドルまでは支払えると考えていた。終戦直後、自動車産業で働く労働者の週給は60ドル、年収にすれば3千ドルに達し、自動車以外の製造産業でも、約2千4百ドルの年収があった。もし、新車が必要不可欠のステイタスシンボルであったとすれば、家はそれ以上の存在だった。家を買おうとする者は、大方が賃貸アパートに住んでいた。賃貸アパートは、単に狭いばかりでなく、独立性や安全性にも問題があったから、自分の家をもつことは、新たなアメリカンドリームの具体的な姿だったのだ。ハリウッド製の映画やテレビ番組は、家をもてば夢が叶い、幸福になれると絶え間なく訴えていた。(略)家さえあれば(車やテレビのせいで、家族がぱらばらになりかかっていても)、再び家族の絆が結べるのだと。「アメリカの世紀」の最初にして最大の人物がヘンリー・フォードとするならば、これに次ぐ人物は、いささか異論もあるだろうが、ウィリアム・J・レヴィットといえるだろう。
 フォードの大量生産方式を住宅建設に持ち込んだ男、それがウィリアム(ビル)・レヴィットだ。彼が登場するまでは、アメリカ産業界は、住宅建設など見向きもしなかったし、住宅建築業者も、多種多様な下請業者の仕切屋(レヴィットに言わせれば、「大工や煉瓦職人あがり」)にすぎなかった。戦前の一般的な建築業者は、年間5戸以下の家屋しか建築していなかった(大恐慌後には、年間2戸以上を建てた業者さえ稀になった)。だがレヴィットは、壮大な建設計画を立て、緻密な管理手続きを定め、住宅建設の工程に大改革を行った。この画期的な建設方式のおかげで、これまで自分が中流階級に属しているとは思わなかった一般大衆も、魅力的な一戸建ての家を手頃な価格で手に入れられるようになった。まさにレヴィットこそ、アメリカンドリームを実現させてくれた男だった。ニューヨークタイムズ紙のポール・ゴールドバーガーは、こう述べている。「レヴィットタウンの家は、建築物というより社会的創造物だった――何千何万という中流家庭にとって、一戸建ての家に一家族が住むというはるかな夢が、現実の可能性に変わったのだ」。(デイヴィッド・ハルバースタム〔金子宣子〕『ザ・フィフティーズ 第1部 1950年代アメリカの光と影』新潮社〔新潮OH!文庫〕/2002/p.238-239)

戦後のアメリカにおいて、モータリゼーションの進展は、都心の職場から離れた郊外に中流階級の車庫付き住宅を生んだ。新興の中流階級の人々は、先行する世代と異なり、濃密な地域共同体から解放されて私的領域を確保することになった。ショッピングは自宅と自家用車(山本文緒『自転しながら公転する』における「ファミリーカーって動くリビングだな」との記述を紹介)によって直接接続される「都市」であり、相互に見知らぬ他者と擦れ違いながら、必ずしもコミュニケーションを取る必要は無くなった(それは都市における孤独の問題を増幅することにもなる)。
衛生面に顕著な、過密による都市問題を解決すべく、エベネザー・ハワード(Ebenezer Howard)は緑地や公園と公共施設・店舗を組み合わせた円環都市を構想した(1902年出版の『明日の田園都市』)。ウォルト・ディズニー(Walt Disney)は古き良きアメリカへの憧憬をテーマパークに結実させた(1955年開業のディズニーランド)。円環都市、テーマパークといった閉鎖環境の理想世界は、トマス・モア(Thomas More)の描いた理想都市「ユートピア」が島に存在することに通じる(1516年刊行の『ユートピア』)。他方、ニューヨーク万国博覧会(1939-1940)におけるゼネラルモーターズ社のパヴィリオン「フューチュラマ」は歩車分離型の未来都市像であった。これらの要素を併せ持つものこそ、ビクター・グルーエンがミネソタ州に建設した、ショッピングモールの祖・サウスデール・センターである(1956年開業)。
以降、ショッピングモールは世界に波及する。ショッピングモールは、どのような環境下においても一定の温度に保たれる、一種の温室である。その意味ではジョセフ・パクストン(Joseph Paxton)の「水晶宮」の流れを汲み、万国博覧会田園都市構想に連なると言えよう。いずれのショッピングモールにも見られる吹き抜けとそれを囲む「ストリート」は必然的に円環をなす。それは一定の温度に保たれた環境と相俟って、無限の循環を表象する(宇宙船の中の街で繰り返される学園祭前日を描くアニメーション映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984))。かつてのショッピングモールが公立図書館へ転用されるなど(都城市立図書館(2018))、ショッピングモールは既に歴史の一部となり、モールこそ「地元(hood)」という者も少なくないと言う(成家慎一郎の漫画『フードコートで、また明日』(2021)、イシグロキョウヘイ監督のアニメーション映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』(2020)などで描かれるショッピングモールでの日常)。ビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)が無人のモールで撮影した "Therefore I Am"のヴィデオ・クリップ(2020)は、パンデミックによって「地元(hood))」を喪失をも象徴することとなった。

ゾンビ映画を確立した、ジョージ・A・ロメロ(George A. Romero)監督の『ゾンビ(Dawn of the Dead)』(1978)は、ショッピングモールを主要な舞台にしている。ショッピングモールが、地域共同体から切り離された中産階級を集めた場所であることに鑑みれば、ゾンビは孤独な大衆ということになる。ゾンビに襲われる主人公たちに感情移入する鑑賞者たちは、その実、自分たちを撃ち殺していることになる。そして、当時の大衆≒ゾンビの理想郷がショッピングモールだったとして、現代の歩きスマホの人々をゾンビと捉えれば、ゾンビの理想郷=ショッピングモールはスマートフォンの中に格納されたと言えないか。ビリー・アイリッシュの"Therefore I Am"のヴィデオ・クリップから人≒ゾンビが姿を消したのは、ある種の失楽園(Paradise Lost)と言えようが、この点、"Therefore I Am"がルネ・デカルト(René Descartes)の「我思う、故に我在り(Je pense, donc je suis)」の英訳"I think therefore I am"を歌詞に引用しながら、タイトルでは"I think"が外されているのが示唆的である。スマートフォンに全てを委ねたゾンビは、思考することなく存在しているからである(高次の精神機能を司る前頭葉は何らかの理由で機能停止していると考えられる。岡本健『ゾンビ学』人文書院/2017/p.194参照)。もとい、かくしてゾンビはネットショッピングというネット上の楽園(ショッピングモール)を(文字通り)手にした。ゾンビはもはやショッピングモールを目指さない。そのときショッピングモールは、真にユートピア(存在しない場所)となるのである。