映画『ドント・ウォーリー・ダーリン』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のアメリカ映画。
123分。
監督は、オリビア・ワイルド(Olivia Wilde)。
原案は、ケアリー・バン・ダイク(Carey Van Dyke)、シェーン・バン・ダイク(Shane Van Dyke)、ケイティ・シルバーマン(Katie Silberman)。
脚本は、ケイティ・シルバーマン(Katie Silberman)。
撮影は、マシュー・リバティーク(Matthew Libatique)。
美術は、ケイティ・バイロン(Katie Byron)。
衣装は、アリアンヌ・フィリップス(Arianne Phillips)。
編集は、アフォンソ・ゴンサウベス(Affonso Gonçalves)。
音楽は、ジョン・パウエル(John Powell)。
原題は、"Don't Worry Darling"。
アリス(Florence Pugh)とジャック(Harry Styles)は、ピーター(Asif Ali)とペグ(Kate Berlant)ととともに、ディーン(Nick Kroll)とバニー(Olivia Wilde)の住まいでのディナー・パーティーに参加した。皆酔いが回り、妻たちが頭にトレーを載せて酒の入ったグラスを落とさないように踊るゲームに興じるのを、夫たちがカウチで観戦している。ペグ、集中、僕を見て集中するんだ、とピーター。煙草を銜えて余裕を見せるバニーに、シャツを脱げと叫ぶディーン。ジャックもアリスに熱い眼差しを向けている。ペグがグラスを落とし、それに気を取られたアリスも敢えなく失敗し、バニーが勝利する。アリスはペグのせいで負けたと不満たらたら。そんなアリスをジャックが宥める。バニーがトレーにカクテルを載せて皆に配る。ペグは妊娠しているからアルコール以外の飲み物を飲ませないと。酔っ払ったアリスは全て飲み尽くそうとグラスを手に意気軒昂。そんな妻を抱き寄せるジャック。船乗りみたいに飲むんだな、ピンナップ・ガールみたいなのに。ドライブしないか？
アリスを助手席に乗せたジャックは暗い空地で左ハンドルを切ってぐるぐると車を回転させる。砂埃が立ち籠める。落ちちゃうと叫ぶアリス。君の番だよ、ハンドルを握って！ そんな急に言われても。2人は暗闇の中、車を回転させ続ける。
翌朝。下着の上に白いシャツだけを羽織ったアリスがキッチンで朝食の準備をしている。バニーがね、テニスをしたいって言ってるんだけど、一度もテニスをしたことがないの。フランクの家にはテニスコートが本当にあるの？ 分かるわよね。ああ。パーティーに何人参加するか分かる？ ツナサラダの量の都合があるから。フランクはツナが嫌いだよ。何で教えてくれなかったの？ 料理のメインにしようと思ってたのに。突然家が揺れる。掘削機？ 爆発？ 教えてよ。秘密なら守れるから。光沢のある青いスーツに身を包んだジャックは質問には答えず、遅れるからと玄関に向かう。待って、家を出られないわ。どうして？ 具合が悪いから。具合は悪くないけど？ 言ってなかったけど、あなたは具合が悪いの。一日中家にいるしか治療法はないわ。アリスが引き留めるがジャックは家を出る。青いオープンカーに乗り込み出て行く夫をアリスが見送る。アリスとジャックの家の前にあるラウンドバウトは、他に3軒の住宅が面しており、バニーら区画に住む妻たちもアリスと同じタイミングで夫の車を見送る。
アリスたちが暮らす「ヴィクトリー」は、カリフォルニア州の砂漠の中にある自己完結型のモデル・タウン。1950年代様式のデザインで統一されている。創設者フランク(Chris Pine)の屋敷から螺旋状に伸びる道路に沿って、中心部に商店や公共施設、そしてその外側に住宅地が広がる。男たちは皆フランクの「ヴィクトリー・プロジェクト」の従業員で、従業員専用道路で砂漠の中にある本部に自動車で通う。ラジオからはフランクのメッセージが定期的に流れてくる。
アリスは寝室のカーテンを開け、ベッドメイキングをする。大きな窓を拭き、鏡の並ぶ浴室で浴槽を磨き、リヴィングに掃除機をかける。
アリスは黄色い循環バスで中心部へ向かう。ピーターは誰にも言わないようにって言ってたんだけど…。ペグが早速アリスに対して夫との約束を破る。私たちの家の裏に新しい住宅を建てるんだって、だから私たち、町がもっと近くなるわ。…どうやったら私たちが町に近づけるわけ？ 遠くなることはないじゃない。
アリスは他の主婦たちとともにレオタードを着て鏡張りのスタジオでバレエ教室の開始を待つ。講師であるフランクの妻シェリー(Gemma Chan)が入ってくると、水を打ったようになる。皆さん、おはよう。とても嬉しいお知らせがあります。「ヴィクトリー・プロジェクト」は新しい従業員ビル・ジョンソン(Douglas Smith)を採用しました。今日は彼の奥さんをお迎えします。皆さん、温かく迎えて下さいね。怖ず怖ずとヴァイオレット(Sydney Chandler)が皆に加わる。では、最初のポーズから。忘れないで下さい、統制の中に美しさがあるんです。対称性に優雅さがあるんです。私たちは一体となって動きます。シェリーが皆の動きを見て回る。アリスの姿勢を見たシェリーは、アリスのお腹を押え、顎を持ち上げる。
家の前でアリスはバニーと立ち話をしている。もちろんマーガレット(KiKi Layne)はバレエにいなかったわ。またコリンズ先生(Timothy Simons)を彼女の家で見かけたの。テッド(Ari'el Stachel)にはまだ仕事がある。バニーは話の途中で子供たちがホースで遊ぶのを注意する。そういえば新入りの奥さんに会ったわ。ヴァイオレット。どんな人？ 美しい怯えた仔鹿みたいな。どうやら旦那は本物の能無しみたい。そうなの、ならジャックはすぐに誰かを採用した方がいいわね。ディーンはジャックがもうすぐ昇進するって言ってる。そうだといいけど。パーティーには何を作るつもり？ デヴィルド・エッグ。ジャックは社長になるわね。バニーはホースで遊ぶのを止めない子供たちを叱る。いい子にしてないと連絡するようにってサンタから言われてるんだからね。
鼻歌交じりで洗濯物を取り込むアリス。洗濯紐にぶら下がる衣類越しに、赤い飛行機の玩具を手にして前庭に立つマーガレットを目にする。
アリスがキッチンで夕食の準備をしている。厚切りの牛肉に下味を付けて焼く。卵を手にしたところ、やたら軽いことに気付く。卵を割ると中には何も入っていない。別の卵をいくつか割ってみるがどれも同じく空だった。呆然とするアリス。肉が焦げているのに気付き慌てて火を止める。
帰宅したジャックをアリスが迎える。すぐさまキスする2人。今日はどうだったの？ 今が最高だよ。ローストを作ったの。他には？ マッシュポテト。他には？ ジャックはアリスを料理の並べられたテーブルの端に座らせると、スカートの中に頭を突っ込む。アリスはジャックに与えられる快感に身を捩り、せっかく用意した料理をテーブルから次々と落としてしまう。
カリフォルニア州の砂漠に所在する「ヴィクトリー」は、フランク(Chris Pine)によって創設された1950年代スタイルのモデルタウン。そこで生活する夫たちは皆砂漠の中にあるフランクの会社「ヴィクトリー・プロジェクト」で働き、妻たちは家事と社交クラブに専念している。暮らしに必要なものは全て揃っており、安全な町から出ないことが住民の唯一絶対に守らなければならない規則だ。アリス(Florence Pugh)はジャック(Harry Styles)との新婚生活をヴィクトリーで送っている。アリスはジャックを仕事に行かせたくないくらいほど愛し、ジャックも仕事を終えて帰宅すると料理そっちのけで妻を求める。アリスは毎朝食事を用意して夫を送り出すと、洗濯や掃除などの家事をこなす。買い物やフランクの妻シェリー(Gemma Chan)のバレエ教室で町の中心部に出かける以外は、近所づきあいをして夫の帰りを待っている。同じ区画に暮らすバニー(Olivia Wilde)とディーン(Nick Kroll)、ペグ(Kate Berlant)とピーター(Asif Ali)と仲が良く、ディナー・パーティーでお互いの家を行き来している。隣に住むマーガレット(KiKi Layne)とテッド(Ari'el Stachel)とも親しくしていたが、マーガレットが砂漠で事故に遭って精神を病んで以来、疎遠になってしまった。マーガレットはコリンズ先生(Timothy Simons)の診療を受けているらしい。ある日アリスが1人循環バスに乗っていると、飛行機が墜落するのを目撃する。運転手(Steve Berg)が制止するのも聞かず、アリスは飛行機を追って砂漠の中に駆け出して行く。
レコードの回転や車の回転、あるいは循環バス。トーストを切って珈琲をカップに注ぎ、洗濯をして浴槽を磨き、窓を拭くルーティーン。さらに浴室の並んだ鏡に映る姿。回転ないし繰り返しのイメージが画面に溢れる。そして、アリスだけでなく、近所の人たちも同じような動作を繰り返していることが、朝の夫の出社を見送るシーンや、バレエ教室での動作によって強調される。
豊かな生活が実は不毛であることが、中味の無い卵によって暗示される（なお、空の卵は子供の不在も暗示する）。墜落する飛行機は、町の外の存在に気付かせ、日常に罅を入れることになる。
進歩を訴え、世界を変えていると言いながら、混理想社会を1950年代のような過去に求めるフランクの発想は、皮肉なことに、阻害された革新、潰えた希望、見せかけの偉大さといった、フランクが敵視する混沌への評価がそのまま妥当してしまう。それを余所事として済ますわけにはいかない。1964や1970のような、かつて行われたイヴェントを再現しようとする極東の島国の発想と瓜二つではないか。その異常さに気付いた者を調和を乱すとして排除するような社会は、（控え目に言って）早晩破綻する。
砂漠（映画『DUNE／デューン 砂の惑星(Dune: Part One)』でも描かれたように、砂漠とは海である）に囲まれたモデルタウンという理想の計画都市は、隔絶された環境に建設される管理社会としてのユートピアの系譜を引く。そして、ユートピアは容易にディストピアに反転する。
ジョージ・オーウェル(George Orwell)のディストピア小説『1984年(Nineteen Eighty-Four)』の主人公Winston Smithが居住するのはVictory Mansionsであり、本作への影響は明白だ。他にもフランクのラジオ放送や、記憶の改竄などの共通点がある。
主人公の名前からも、鏡のイメージがふんだんに用いられていることからも、ルイス・キャロル(Lewis Carroll)の『鏡の国のアリス(Through the Looking-Glass, and What Alice Found There)』の影響も考えられる。
1950年代に設定したのは、男は仕事に、女は家事にという性的役割分担の違和を歴史の問題に転換できるというメリットがあってのことだろう。
