可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 本橋大介個展

展覧会『本橋大介展』を鑑賞しての備忘録
藍画廊にて、2022年11月14日~19日。

木版画を版木とを組み合わせた作品で構成される、本橋大介の個展。

《トングとパスタ》は、右半分に穴あきトングを紫色で、左上に茹で上がったスパゲティ数本(?)を黄色で配した木版画(刷り)を、その版木の横に貼り付けている。左端と右端のトングと、中央の上部左右にスパゲティという左右の反転、掘り込まれた版の凹凸と摺られたイメージの平板さ、インクの載る(残る)部分の反転、紫と黄の補色の関係と、複数の相反する要素が1つの作品に組み合わされている。濁った茹で汁の中に沈む、切れたスパゲティは菜箸でもパスタレードルでも取りづらい。穴あきトングこそ、その役割にふさわしい。全てを使って作品を使い切る姿勢、適材適所の画面構成、瑣事に向けられる眼差しなど、作家の制作姿勢が偲ばれる。
《ニンジンスティックとフォーク》では、画面の下半分に5本のフォークの輪郭線を横に重なりを作りながら並べたイメージを藍で摺った上、版木の上を僅かにカットして直方体を彫り、フォークの版画(刷り)の上に朱色で摺ることで、1本のにんじんスティックを添えている。にんじんに対して刃先の向けられたフォークは、馬の鼻先にぶらさげられたにんじんであろうか。人を突き動かす力を表現する作品かもしれない。あるいは、にんじんスティックが1本しかないところに5本のフォークは、限られたパイを奪い合う、衰微する島国の現状を映すものであろうか。ひょっとしたら5つのパンと2匹の魚を巡る聖書の物語(『ヨハネによる福音書』6章など)を下敷きに、奪い合いを起こさずに解決する可能性を示唆しているかもしれないと、禅画的解釈も可能だ。《幸運を、》と題された一円相の版画が展示室中央に設置されているのがその証左である。なお、黒い輪郭線で表した5本のスプーンと明るい緑色の1個のグリーンピースを描いた《スプーンとグリンピース》も同テーマの作品であろう。
《カレー皿とスプーン》では、画面の3分の2程度を占める、直線に近い緩やかな弧を持つ黄色い面を摺った上、その版木の余白を切り取って紺のスプーンを彫り、黄の面の下に配している。そして、版画の左側に黄色い皿の部分の版木を、版画の右側にスプーンの版木を取り付けている。明るい黄色はまさに鬱金ターメリックによるカレーの提喩的表現である。丸皿のカーブをごく緩やかにすることで、皿の、ひいてはカレーの世界の豊かな広がりを想起させる。スプーンの版木の切断面の荒々しさは、激しい食欲を訴えるようだ。
《3種類のフライパンと目玉焼き》は、サイズの違うフライパンの輪郭線を斜めに3列で表し、大きいフライパンの1つに白と黄の面で目玉焼きのイメージを1つだけ摺り重ねている。版画の右側に版木を並べている。茶味を帯びた和紙に焦げ茶の輪郭線で表されたフライパンという落ち着いた画面の中で、目玉焼きは"sunny-side up"として太陽のような鮮烈な輝きを放っている。また、目玉焼きの白身の表現には擦れたような薄い部分があり、フライパンの表面での動き(ズレ)があったことを想起させ、整然と並んだフライパンの静のイメージに動きを呼び込んでいる。
《喫煙所から見える区役所》は横に長い画面を黄緑色に塗り込め、その右下に版木をL字に切り出して格子状の線で表した区役所の建物が配されている。なお、画面の上部に緑色の版木を、区役所の建物イメージの下にその版木を取り付けている。おそらく喫煙所はビルのある程度高い位置にあり、壁やガラスなどで覆われているのだろう。L字型の建物以外に空しか見えないのは、高い位置にある窓を下から見上げるているためだと考えられる。隅に追いやられた喫煙者が駆け込む監獄のような閉鎖的な環境が思い浮かぶ。眼差しの対象から眼差しの主体へと想像が及ぶことになる。
《四谷》は緑色の空の下に雨温図の棒グラフ(雨量)のようなビル群を配した版画と、その上に空を表した版木と、版画の下に、空の版木を切り出してビルを表した版木をそれぞれ取り付けた作品。リズミカルに切り込まれた空の版木がビル群のイメージを増幅し、また、版画の下に設置されたビル群の版木が影のイメージを形作っている。
《誕生日のショートケーキ》は黄色い縁の丸皿の中に置かれた、カットされた白いクリームと赤いイチゴのショートケーキを、紺色のテーブルとマグカップとともに表した版画の右隣にその版木を配した作品。クリームの白とイチゴの赤のみで、カットされてクリーム、スポンジ、イチゴが作る層の断面を見せるショートケーキのイメージを巧みに表現している。角のカップから対角線に向かって広がるテーブルは紺色のシルエットのように表され、丸皿の黄の縁はショートケーキに当てられたスポットライトとして機能している。蝋燭や"Happy Birthday"のプレートのような誕生日を示すモティーフはないのは、キリンジよろしく「今日も誰かの誕生日」として、全ての人にこのケーキを届けるためであろう。毎日が誕生日なら、取り立てて誕生日を示す必要はないのだ。