可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 川内理香子個展『Empty Volumes』

展覧会『川内理香子「Empty Volumes」』を鑑賞しての備忘録
WAITINGROOMにて、2021年11月27日~12月26日。

針金やネオン管を用いて描かれた「ドローイング」作品13点と、粘土と鉄とで制作された立体作品7点とで構成される、川内理香子の個展。

《buds》(455mm×380mm×125mm)は、白いパネルの上に銀色の針金を「描線」として用い、二股になった茎の先に付いた2つの蕾(buds)を表した作品。2つの蕾は膨らみ具合に差があり、また茎に付く葉の位置も異なるが、蕾の長さや葉の枚数は等しく、2つは相棒(buddies)として形作られているようだ。1本の針金を折り曲げることで作られた一筆書きのような長い「描線」は、撚りや輪っかが表情となる。短い針金を盤陀で接合して得た「描線」は、盤陀の部分が墨溜まりの風情を生む。茎、葉、蕾が銀色の針金で表されているのに対して、葉脈の部分だけは金色の針金が用いられている。パネルへの接着にはピンと接着剤が用いられている。
《One》(615mm×620mm×165mm)は、顔を付き合わせた2人の身体が、上に欠いた部分を持つランドルト環のように表された、針金による「ドローイング」作品。曲線による一体に繋がる像は蛇体を連想させるが、伏羲女媧のような蛇の交尾を模す絡み合いはなく、ウロボロスのような互いを呑み込む表現もない。和としての輪であり、"One"の頭文字"O"である。パネルの右上には油紙の切れ端が画面からはみ出すように2本のピンで留められている。
《Lovers》(1620mm×1250mm×220mm)は、針金の線によって、ベッドないしソファに倒れ込み絡み合う恋人たちを表したと思しき作品。手や足の形が大きく力強く表されるとともに、溶け合うように重なる頭部や相手の体に回された腕などが白いパネルからはみ出すことで、周囲が目に入らず、2人だけの世界へ没入する様子を表現されているように見受けられる。
《watching TV》(500mm×610mm×315mm)は、ソファか何かに寝そべった人物を針金で描いた作品。体を支える右腕、右肩に倒した頭、ソファの背(?)に乗せた左腕、折り曲げた脚などが表されている。人物の左右にはそれぞれ金色の針金で作られた波線が縦に配されているが、それはテレビ画面が放つ光の明滅を表現するものだろう。
針金によるドローイング作品《bloom》(580mm×415mm×155mm)は、花ないし開花を意味する言葉がタイトルに採用されているが、顔よりも遙かに大きい両手で顔を覆い隠す人物の胸像のように見える。青春期(the bloom of youth)の含羞の表現かもしれない。
《flowers》(1140mm×605mm×190mm)の画面下部には金色の針金で"flowers"と表されている。画面の左右に銀色の針金で表されているのは、ともに右向きの人物(女性)像である。花、茎、葉の表現と見ることは不可能ではないが、髪の毛、顔、括れた首、張った肩、括れたこし、大きな手と見た方が自然だ。頭頂部の髪が画面からはみ出すことで、縦に長いイメージの伸びやかさがより強調されている。
《face washing》(380mm×450mm×175mm)には、頭頂部は敢て表現せず、額、頬、顎、耳、首を銀色の針金で表し、顔の部分にグニャグニャと何回も折り曲げた長い金色の針金を配している。針金がシャープな頭部の輪郭を明確に表しているのと対照的な、金色の針金が絡み合う雑多で複雑な表現が面白い。首の線の下に垂れている盤陀が"washing"を連想させるのに一役買っている。
《when I'm waking up》(410mm×470mm×115mm)には、腕を上げ、脚を折り曲げた、横たわる人物が銀色の針金で描かれている。胴体は頭部側にやや持ち上がるよう傾斜を付けられ、横方向に圧縮して表現されている。それに対して、太く長く表された腕や脚は縦に伸び上がり、手や腕先、足先が画面の外へと飛び出すことで、始動・展開の動きを印象付ける。
《Night time, on the sofa》(455mm×590mm×100mm)には、右肘を突いて体を支える人物が銀色の針金を用いて表されている。右に傾けられた頭部、垂らされた左腕、緩やかな輪郭の左脚などからリラックスした雰囲気が伝わる。
針金による「ドローイング」は、針金の折り曲げやピンによって画面から浮く部分もあるが、イメージは正面から眺めることが想定されている(ベッタリした白い光が作品に当てられているのがその証左である)。何より、ペンや鉛筆などで描かれるのと変わらないと感じさせる闊達な線を針金でさらっと実現しているのが驚きである。他方、針金独特の折り曲げられた線の妙味も味わえる。また、画面から実際に浮き上がったり、はみ出したりという、筆記具では不可能な表現も伸びやかさや展開などの動きとして活かされている。
ところで、針金によるドローイング作品の中に、《tumbleweed》(270mm×330mm×400mm)という、白いネオン管を折り曲げて転がる枯れ草を表した作品が置かれている。紙に描かれる線は、「地」に対して「図」であるが、「明」に対して「暗」でもある。それに対して、《tumbleweed》は、白い光によって線を生むことで、ドローイングの明暗を反転させていると言えよう。すると、針金によるドローイング作品が、三次元の針金を二次元の描線に落とし込みながら、同時に支持体から離れた(支持体が存在しない)ところにイメージを存在させるという反転の実験が行なわれていたことに気が付く。空白(empty)が嵩(volume)を持つのだ。