可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 南谷理加個展『WONDERLAND Ⅲ』

展覧会『南谷理加「WONDERLAND Ⅲ」』を鑑賞しての備忘録
Bambinart Galleryにて、2021年11月27日~12月12日。

無題の絵画14点で構成される、南谷理加の個展。

《Untitled #0090》(727mm×500mm)は、薄紫の空を背景に、画面下端から左端を経て上端へと湾曲する樹木の枝にかかる白い蜘蛛の巣を、画面の中央に大きく描いた作品。黒っぽい幹には獲物がかかるのを待つ蜘蛛が樹皮に擬態するように配されている。蜘蛛の巣に縦に一列に並ぶように付いた3つの水滴が、それぞれ水色、黄緑、橙で表されている。画面下部には、低い位置にある地平線に向かって広がる野原とその間を抜ける、分岐する自動車道とが描かれる。道の手前側(画面左下)の木の幹の陰になる位置には、恰も透過するような自動車がフレームだけ覗いている。蜘蛛の巣、黒い蜘蛛や樹木、ゴーストのような自動車(の持つイメージ)の暗さに対して、画面ほとんどを占める空の薄紫色と広漠とした野の明るい緑色とが拮抗し、中和されたかのよう不思議な雰囲気を作品が纏う。そのバランスの上に、水色、黄緑、橙の「水玉」が明るい印象を生み出している。《Untitled #0170》(502mm×391mm)においても、樹木に囲われた蜘蛛の巣が中央に配されるが、蜘蛛の巣の上には雀を描いた白い紙が被さっている。蜘蛛は雀によって捕食されたのかもしれない。灰色と茶色という(描かれた)雀と同系色で纏められた画面は、「雀」による「支配」を想像させるからだ。
《Untitled #0109》(727mm×500mm)は、激しくうねる海面に浮かぶ木箱と、その上に舞う2羽の鳥とが描かれた作品。U字型に表される波の激しさに比して、画面最上段に描かれる2羽の鳥は悠々と羽を広げ、また、水色と白とで纏められた画面は、落ち着きを感じさせる。ここでは、波間に浮かぶ茶色い木箱が「重し」となって、作品世界を安定させている。
《Untitled #0182》(370mm×500mm)には、赤茶色の地面が水に浸かり、雨滴によると思われる波紋がいくつも浮かぶ中、中央に立つ「黒板」のような真っ黒な壁が描かれている。「黒板」には(サッカー)ボールを蹴り上げる少年の姿が白いチョーク(?)で描かれている。ボールが放物線を描くように、残像を残しながらその位置を高めている。降りしきる雨と蹴り上げられたボールとが力を相殺し、バランスを生む。緑の葉を付けた小枝が画面のアクセントとなっている。
《Untitled #0182》(370mm×500mm)には、アメリカンコッカースパニエルだろうか、白の毛足の長い犬の、灰色の背景(タグのようなものが描かれているので壁であろうか)を隠すように立つ姿が、描かれている。犬の足元の大きな水たまりには、まるで犬の左前肢から伸びるかのような、真っ直ぐな虹が見える。反転した天地の境を支えるかのような白い犬の肖像画である。
これらの作品から感じられるのは、調和である。そして、調和とは、音であると言ってもいい。

 ピュタゴラスは、この謎めいた宇宙に、何とかして「かたち」を与えたかったのだ。宇宙が調和に満たされているならば、その調和の背後には何があるのか。それを彼に気付かせたのが「音」だった。そのきっかけになったと伝えられる有名なエピソードがある。ピュタゴラスいえば、必ず登場するといってもいいエピソードだ。
 鍛冶屋の前を通りかかったピュタゴラスは、いくつかのハンマーが発する音が調和していることに気付く。そこで、ハンマーの違いを調べると、重さだけが異なっていた。量ってみると、1対2、2対3、3対4というシンプルな比率だった。そこから彼は、同じ重さのハンマーを同じ長さの弦に吊るし、弦を弾いて、調和する音程を発見し、それが調和する宇宙の謎を解くきっかけになった、というものだ。
 ここで、音の調和と比率について、少しだけ解説しておきたい。たとえば、1本の弦を弾いた音と、その弦の長さを半分にして発せられた音は、ちょうど1オクターブの違いがある。これは振動数で1対2という比率になる。次に、この弦を整数比である2対3と、3対4で分割すると、ふたつの美しく響く音程、完全5度(2対3)と完全4度(3対4)が得られる。このほかの比率、たとえば、5対6とか、7対8とか、数が大きくなるにつれて響きは濁っていく。つまり、比率が単純な音程ほど響きは澄み切って調和して聴こえる、ということだ。
 それまでも、オクターブ、5度、4度という協和する音程(コンソナンツ)は知られていた。古代ギリシャのポピュラーな楽器である4本弦の竪琴の調弦方法は第1弦に対して、第2弦が4度、第3弦が5度、第4弦がオクターブになるように調弦された。ただ、それは耳に心地いいという生理的な感覚と、物体の共鳴原理から慣習的になされていただけで、ピュタゴラスは、その音程が調和する理由に数的な根拠を与えた。ここが画期的なところだ。つまり、彼は美しいハーモニーの秘密を数値化できた人物だったのである。
 「調和」という目にみえないものの背後にある法則を、ピュタゴラスは音の比率を通して、目にみえる数値に置き換えて解明しえてみせた。こう書くと何でもないようだが、これは、まさに画期的な発見だった。音は、ほんとうに不思議だ。いま、「弦の長さを半分にして得られる音がオクターブになる」とあたりまえのように書いたが、そもそも、オクターブがなぜ完全に調和するのか、という疑問に答えられた人は、それまで誰もいなかったのだ。それだけでもすごいが、さらに驚くべきは、調和する音程の背後になる数こそが、秩序を保ち美しく調和する宇宙そのものだという確信に至る、奇跡的な跳躍ともいうべき思考のひらめきである。かつてどの世界に、鍛冶屋のハンマーが宇宙の調和の鍵を握っていると想像できた人物がいただろうか。(浦久俊彦『138億年の音楽史講談社講談社現代新書〕/2016年/p.31-33)

《Untitled #0122》(600mm×380mm)は、鬱蒼と繁る木立の中を通る、舗装されていない小径に黒い車輪を描いた作品。左から右へと上る小径を挟んで立つ手前側の木立に半ば隠されている上、簡略化して描かれていることもあり、判然としないが、車輪の右にはフレームが続いているので自転車の後輪のようだ。樹冠(否、樹木全体か)は主に左下から右上への筆触で表され、とりわけ頂部のかすれた部分が動きを感じさせる。その動きは、画面の上半分を占めるやや紫がかった淡い青色の空の中に散らされた緑として表される、飛び散った葉によって強調される。左から右へと向かう強い風が表現されている。《Untitled #0122》に近い画題の作品が、樹木に囲まれた土地に打ち棄てられたギターを描く《Untitled #0113》(600mm×345mm)である。縦長の画面に木立の頂部で下に凸の二次曲線を描き、x軸の正の方向に頂点をずらしたような形になっている。木々は風に揺らされて木の葉が舞う。風の表現が見られる。地面には、弦の切れたギターが打ち棄てられている。そこで、樹木のつくる曲線が二次曲線ではなくサイン波(の部分)であり、リアス海岸のような複雑に揺れる線は、サイン波の示す純音ではなく、音色を表すためであったことに気が付く。音は波であり、「山」と「谷」の繰り返しである。《Untitled #0122》の車輪は「繰り返し」であるとともに「トゥ・コーダ」であり、《Untitled #0113》ギターのボディーが「コーダ」である。《Untitled #0107》(606mm×410mm)の10本の横線は「五線譜」であり、《Untitled #0116》(642mm×382mm)の階段は「音階」である。《Untitled #0111》(333mm×333mm)の球は「音符」であろうか。否、球が重なっていることを見るべきだと、隣にかかる犬の肖像(《Untitled #0111》(489mm×346mm))が教えてくれる。「ワオン(和音)」と鳴いて。顔を見合わせ鳴き合う犬を描いた「スケッチブック」(《Untitled #0091》(380mm×455mm))で「一巻」の終わりとなります。御後が宜しいようで。