可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『私たちは何者? ボーダレス・ドールズ』

展覧会『私たちは何者? ボーダレス・ドールズ』を鑑賞しての備忘録
渋谷区立松濤美術館にて、2023年7月1日~8月27日。

人形には人々が様々な願いや呪いを込め、今もって魂があると思われている。「ひとがた」や雛人形に始まって、フィギュア、ラブドールに至るまで、多様な人形の歴史と通覧する企画。

呪詛に用いられた《人形代》[01]などヒトガタを紹介する第1章「それはヒトか、ヒトガタか」、《古式立雛》[13]を始めとする雛人形、武者人形[08]、御所人形[19]などを並べる第2章「社会に組み込まれる人形、社会をつくる人形」、奈良人形師であった「彫刻家」森川杜園[23]、彼の作品に影響を受けた竹内久一[24]や平櫛田中[25-26]など、彫刻家と人形との関係を紹介する第3章「『彫刻』の登場、『彫刻家』の誕生」、人形の帝展出品を目指した白澤会の活動など、美術・工芸の枠組みと人形との関係を扱う第4章「美術作品としての人形―人形芸術運動」、兵士の慰問のために用いられた人形[45-46]など戦争や戦意昂揚のために用いられた人形を取り上げる第5章「戦争と人形」、竹久夢二[48-49]や彼に影響を受けた作家の人形と、代表的な着せ替え人形「リカちゃん」[60]を取り上げる第6章「夢と、憧れと、大人の本気と」、娯楽としてリアリティが追求された生人形の見せ物興行を偲ばせる作品を見せる第7章「まるでそこに『いる』人形―生人形」、生人形の作家たちが興行の衰頽に伴い商業の世界に活路を見出したことを伝える第8章「商業×人形×彫刻=マネキン」、ラヴドール[75]など秘められた人形にスポットを当てた第9章「ピュグマリオンの愛と欲望を映し出せ!」、現代美術における人形を展観する第10章「ヒトガタはヒトガタ」の10章で構成。

 (略)人形は、人間の「身代わり」となれる唯一無二の役割があるといえるのではないか。(略)人間は、生を揺さぶる問題や不条理な出来事に直面し、同じ人間には転嫁できない状況のときに人形を作る傾向にある。そして、強い不安、悲しみ、憎しみ、愛情などの「どこにもやり場のない感情」を「身」の「代わり」として人形に託してきた。
 (略)
 ここで「私(人形)たちは何者?」という問題に立ち戻ろう。日本の人形は、さまざまな人間の「身代わり」、つまり「私(人間)たち」そのものの写し鏡なのである。(野城今日子「私たちは何者?」渋谷区立松濤美術館『私たちは何者? ボーダレス・ドールズ』青幻舎/2023/p.151)

人形はホラー映画のモティーフとして登場することが少なくない。最近では『M3GAN ミーガン(M3GAN)』(2022)のようにネットワークに接続し自己学習機能を備えた人工知能を搭載したアンドロイドになっているが、人形(にんぎょう/ひとがた)であることに変わりはない。人形が畏怖の対象に反転してしまうのは、愛着していた人形を疎んじることによって生じる罪悪感が、人形に投影されるからだろう。人形は「『私(人間)たち』そのものの写し鏡なの」だ。

近代化の過程で「西洋ニテ音楽、画学、像ヲ作ル術、詩学等」を指す概念として「美術」が新たに創出された。その際、岡倉天心によって仏像は彫刻に「引っ張り込」まれる一方、しかし人形師たちは美術ないし彫刻の範疇から除外されていく(木下直之『美術という見せ物』筑摩書房ちくま学芸文庫〕/1999/p.42-45参照)。

 日本人にとって馴染みのない"Sculpture"という言葉・概念を理解し、構築するには長い時間を要した。明治5(1872)年、オーストリア。ウィーン万国博覧会への出品を呼びかける「墺国維納府博覧会出品心得」において"Sculpture"は「像ヲ作ル術」と訳されており、明治9(1876)年には工部美術学校では「彫刻学科」ができるものの、翌年の第一回内国勧業博覧会の出品区分では「彫像術」とするなど、その呼び方と概念は右往左往することとなる。また、西洋の概念に近しい「彫刻」と「彫刻以外」の立体造形物の境界は曖昧であった。
 元来、"Sculpture"は、モニュメントや墓石彫刻から室内装飾やメダルなどを含む多様性を有する概念であった。しかし、日本においては、その意味を確立していく過程で「彫刻」はいつしか「像(人間や神の姿)を表した立体物」という固定概念が形成されていく。
 その後、東京美術学校彫刻家の卒業生で美術史家・批評家であった大村西崖によって「美術」や「彫刻」の規範化が進められた。また、オーギュスト・ロダンに影響を受けた彫刻家たちによって、「生命が宿るモノこそが彫刻」という主張がされていく。
 このように「彫刻」と「彫刻以外」が理論として規定されていく中で、人形は「彫刻」や「美術」の概念の外側に位置することになる。それに伴い、江戸時代までは「彫刻」的なものとして存在した雛人形なども理論的には「彫刻」と区別されていった。
 しかし、実際には、小島与一《三人舞妓》(no.21)のように、現在からみれば彫刻としても当てはまる精巧な作品がつくられた。また、西洋彫刻の技術を取り入れた日本で最初の彫刻家のひとりとされている森川杜園は、郷土玩具のひとつである奈良人形の作り手であった。そして、次世代の彫刻家である竹内久一や平櫛田中は、森川に影響を受け、奈良人形風の彫刻作品を手掛けている。(野城今日子「『彫刻の登場、『彫刻家』の誕生」渋谷区立松濤美術館『私たちは何者? ボーダレス・ドールズ』青幻舎/2023/p.43)

本展では平田郷陽を始めとする「白澤会」の人形を美術品に組み込む活動(第4章)や、竹久夢二らの人形を巡る活動(第6章)、人形作家の四谷シモンやフィギュア造形師BOMEの現代美術に与える影響(第10章)などを通じ、人形が美術の枠組みの内外に跨がってきた歴史が紹介される。人形の持つ曖昧な、あるいはボーダレスな性格に光を当てることは、人形が「『私(人間)たち』そのものの写し鏡」である以上、人間の曖昧さ、ボーダレスな性格が逆照射されることになる。

映画『テッド2(Ted 2)』(2015)において、ジョンの少年時代に命を吹き込まれた、ジョンの相棒のクマのぬいぐるみテッドは、タミ・リンとともに養子縁組で子供を迎えようとするが、テッドに市民権がないことを理由に却下される。テッドはジョン所有の物に過ぎないのか市民であるのか、裁判で争うことになる。

 (略)そもそもテッドは裁判を通じて、自分が単なるぬいぐるみではなく、いわば「リアル」な存在であることを世間に認めさせようとし、勝訴した。そして命を与えてくれたジョンに対し、この勝訴をもって自分を〔引用者補記:少年時代にジョンが命を授けてくれたことに加えて〕ふたたび「リアル」にしてくれたと感謝を伝えている。
 だがジョンは、彼にとってずっとテッドは「リアル」であったと返事をする。つまりぬいぐるみのままだろうと、たとえ裁判に負けようと、ジョンにとってテッドはかけがえのない「リアル」な存在だったということだ。「リアル」であるかどうか、決めるのは他でもない当事者自身なのだということを改めて教えてくれる名場面だと、わたしは思う。(菊地浩平「人形の『リアル』を巡って――ラブドール、アクリルスタンドと『押絵と旅する男』」渋谷区立松濤美術館『私たちは何者? ボーダレス・ドールズ』青幻舎/2023/p.13)

性的多様性を巡る問題が俎上に載せられている現在、「『私(人間)たち』そのものの写し鏡」である人形を通じて、規範化された枠組みに囚われることなく、自らにとってのリアルを考えよと訴える、時宜に適った好企画である。