可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

本 毛利嘉孝『バンクシー アート・テロリスト』

本 毛利嘉孝バンクシー アート・テロリスト』(光文社新書1038/光文社/2019年)を読了しての備忘録

 

目次
はじめに
発端は小池百合子東京都知事ツイッター/次々と、”発見”される「バンクシーの作品かもしれない」落書き/世界が震撼した「シュレッダー事件」のあらまし/21世紀のピカソ? 詐欺師? ビジネスマン?
第1章 正体不明の匿名アーティスト
1.1 アート・テロリスト
2000年代初頭の小さな作品集/もともとはローカルなグラフィティ・ライターだった/イラク戦争反戦運動をきっかけに活動を拡大/ほとんどの作品は非合法/「アート・テロリスト」としての活動
1.2 「ステンシル」の手法と美学
「ステンシル」とは/「ステンシル・アートの父」の影響/パンク文化を抜きに語れない
1.3 セレブリティたちの支援
冷たかったアート業界/《ばか者たち》――オークションビジネスに対する皮肉/資本主義へのアイロニー
1.4 ところで、バンクシーとは何者か?
公然の秘密?/正体不明を通す理由/都市と芸術をめぐるラディカルな匿名性の美学
第2章 故郷ブリストルの反骨精神
2.1 黒い大西洋の記憶が残る港町
バンクシーが生まれた場所/個性的なサウンドで知られるブリストルブリストル独特の歴史と文化/ヨーロッパ・グラフィティ文化の首都」/イギリスの歴史に残る人種暴動の影響/初期代表作《マイルド・マイルド・ウエスト》/グラフィティは消去すべきか、残すべきか
2.2 ロンドンのバンクシー
都市で増殖していくネズミたち/お気に入りのモチーフ/グラフィティに大きな返歌をもたらしたインターネット/”反戦”という重要なテーマ
2.3 ミュージアムへの侵入
自分の作品を無断で展示する/最終決戦「バンクシーVS.ブリストルミュージアム
2.4 イギリス文化のポップ・アイコン
ポップ・カルチャ―の正統的な後継者/独特のブラック・ユーモア/イギリスの政治的ラディカルさ
第3章 世界的ストリート・アーティストへの道
3.1 パレスチナ分離壁とホテル開業
分離壁に描かれた9枚の作品/新たなグラフィティ・スポット/世界一眺めの悪いホテル/小さくない反発/映画『バンクシーを盗んだ男』/転機
3.2 ディズマランド開園
代表作《ナパーム弾》/アメリカ支配への抵抗/2匹のネズミ――共通点と相違点/本場アメリカのディズニーランドで戦争犯罪を告発/不機嫌なテーマパーク《ディズマランド》
3.3 ニューヨークを熱狂させた一か月
バンクシーがニューヨークにやってきた/《羊たちのサイレン》――食肉産業の残酷さを描く/1枚60ドル――本物の作品を露天で売る/市長からの批判、市警の静観、地元ライターからの攻撃/現実とヴァーチャルの世界の間で翻弄される人びと
3.4 スカーフをまとった《風船と少女》
#WithSyria――移民・難民プロジェクト/難民キャンプの壁に描かれたジョブズ/政治・議会の機能不全を予言
第4章 メディア戦略家
4.1 印刷メディアの役割
『Wall and Piece』のインパクト/ストリート・アート作品の特性
4.2 アカデミー賞候補作
バンクシーが監督を務めた、ある男の物語/バンクシー分身?/全ては商品経済に取り込まれる
4.3 テレビに侵入する
ザ・シンプソンズのオープニングをハッキング/ブラックユーモアで暗部を可視化/子どもたちへの粋なプレゼント/『バンクシーの世界お騒がせ人間図鑑』/作品に通底する笑いのセンス/「市民的不服従」を実践する
4.4 CDを乗っ取る
アメリカのセレブリティを嘲笑する/パリス・ヒルトンのCDをパロディ化して発売/徹底したメディア戦略
第5章 バンクシーの源流を辿る
5.1 古代ギリシャバンクシー
伝統的な美術史観を解体する/「美術」「アート」のはるか以前から存在していた「落書き」/人間は自由に絵を描いてきた/グラフィティ・アートを人類史的な文脈で捉えなおす
5.2 ヒップホップ文化とグラフィティ
『ワイルド・スタイル』の功績/「名前」を公共空間に書くということ/タグの役割を果たしたネズミ
5.3 グラフィティ戦争(ウオー)
伝説のグラフィティ・ライター、キング・ロボ/戦争、反撃、そして悲劇
5.4 ヘリングとバスキア、そしてウォーホル
二人の先駆者/地下鉄から生まれたキース・ヘリング/代表作《Crack is Wack(麻薬はくだらない)》の成り立ち/コインの裏表/バスキアの登場/「黒いピカソ」――黒人アーティストが抱えた矛盾。二人へのオマージュ/ウォーホルへの敬意と否定/ウォーホルの夢、バンクシーの悪夢
5.5 美学と政治意識の背景
シチュアシオニスト運動が原点の1つ/セックス・ピストルズ――政治運動のポピュラー文化への応用/《モンキー・クィーン》――エリザベス女王の顔を猿に変える/バンクシーの美学と政治意識の背景
第6章 チーム・バンクシー
6.1 YBAsのムーブメント
「クール・ブリタニア」――ブレアが掲げた文化政策/若手アーティストが現代美術をエンターテインメントに変えた/熱狂の終演/「異物」として登場したバンクシー
6.2 現代美術マーケットというゲーム
バンクシーを支援する「自意識過剰の大バカ野郎」/作品価格が急騰するキッカケ/お金に対する考え/防潮扉のネズミの値段/ストリートの作品をどう保存すべきか/美術作品の価値とは?
6.3 バンクシーは一人なのか
バンクシーを作った男」/敏腕スポークスマン、スティーヴ・ラザリデスの功績/ミステリアスな組織
6.4 プロジェクトの新しい地平
BBCのドキュメンタリー番組は語る/プロジェクト運営の舞台裏
第7章 表現の自由、民主主義、ストリート・アートの未来
7.1 シュレッダー事件再考
「パンク資本主義」――あらゆるものが資本主義の中に回収される/ある推察と現代美術マーケットの特徴
7.2 東京のネズミはホンモノなのか?
バンクシー来日の噂/真贋/公的に認めること=犯罪を認めること/想像の世界で無数に増殖する
7.3 民主主義のルール
ネズミが日本に問いかけたこと/私的財産の侵害を禁止するのか、表現の自由を優先するのか/同質化と対極に位置するストリートの美学/ひっそりと生き続けてきた理由
あとがき

 

時代の寵児となったストリート・アーティストのバンクシー。日本のマスメディアも挙って取り上げるようになったサザビーズでのシュレッダー騒動や日の出駅付近防潮堤での「バンクシーらしきネズミの絵」を切り口に、バンクシーの来歴や活動の背景を紹介することが示される。(はじめに)
とりわけ、バンクシー活動の匿名(正体不明)性から、都市や芸術のあり方についての再考が促される。(第1章)
バンクシーの出身地ブリストルはかつて「黒い大西洋」(奴隷貿易)の一角を担い、ブラック・ミュージック受容の素地があった。ヒップ・ホップとともに流入したグラフィティも盛んとなった。またセント・ポールズ暴動(1980年)に象徴されるような権力に対する闘争精神も息づいていた。そこにバンクシーが迫害されるネズミや過剰な取り締まりを行う警察官を主要なモティーフに採用した背景が求められる。(第2章)
2005年、パレスチナ分離壁にトロンプ・ルイユなどを描くことでイスラエルの不当性を訴えた(2007年にはパレスチナで展覧会を開催、さらに2017年には壁を見渡す「世界一眺めの悪いホテル」である「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」を開業)。同年には大英博物館にカートを押す「古代人」を描いた壁画の断片を勝手に設置するなど、この頃を境にマスメディアが注目する存在となった。2006年にはロサンジェルスで「ベアリー・リーガル」展を開くことでアメリカでも認知され始め、2013年にはニューヨークを舞台に1ヶ月間毎日作品を発表し話題を攫った(「ベター・アウト・ザン・イン」プロジェクト)。2014年には自らの代表作である《風船と少女》の少女にスカーフをまとわせてシリア難民支援のキャンペーンに乗り出す。バンクシーはグローバルに活躍するストリート・アーティストとなった。(第3章)
いち早くZINEに手を染め3冊を刊行していたバンクシーはそれらに新作を加えた作品集『Wall and Piece』を出版。その成功は儚い存在であるストリート・アートの記録として機能するとともにプロジェクトを実現する資金にもなった。ストリート・アートのドキュメンタリー映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』(2010年)を自ら監督する他、アメリカのTVアニメーションシンプソンズ』のオープニング・タイトルにイメージを描き入れたり、自ら監督してイギリスのテレビ番組『バンクシーの世界お騒がせ人間図鑑』を制作したりした。(第4章)
グラフィティは美術の成立するはるか以前から存在した落書きに源流がある。バンクシーはグラフィティから活動を始めたが、名前を書く(タギング)からは次第に離れていった。そこにはキース・ヘリングジャン=ミシェル・バスキアといったストリート・アートから現代美術へと展開した先駆者や、パンク・・ロック、パンク・ムーヴメントの影響がある。(第5章)
センセーショナルな表現を洗練されたスタイルで呈示したYBAsが飽きられ始めていた時期に登場したバンクシーは、アート・ワールドの住人を毛嫌いしていた。それでもYBAsやアート・ワールドの代表的な存在であるデミアン・ハーストバンクシーの作品をコレクションし、バンクシーとの共作も行っている。この共作によりバンクシーの市場価値が大幅に上がることになった。表に出ることのないバンクシーに代わり作品の広報や販売に当たっているのは「チーム・バンクシー」と言えるスタッフたちだ。とりわけ巨大プロジェクトはバンクシーの指示のもとチームが能率的に機能しているが、バンクシー同様、その全体像は謎に包まれている。(第6章)
作品をシュレッダーにかけてしまうバンクシーのアート・マーケットに対する批判的精神すらも市場価値に絡め取られてしまっているのが現状だ。それでもストリート・アートの存在に社会の関心を向けさせることには成功している。ストリート・アートは器物損壊行為に当たるため作者が公的に制作を認めると以後の活動が困難となってしまう。そのため真贋を断ずることが困難である。だがそこに「作者」や「本物」を前提とした「美術」とは異なる価値観が息づいている。また、都市の景観は不動産所有者だけの専有物であって良いのかという視点をストリート・アートは社会に持ち込む機能も果たしている。(第7章)

 

バンクシーを手軽に知ることができる一冊。紹介されるエピソードがいずれも面白い。
「黒い大西洋」(奴隷貿易)の一角を担ったブリストル、そしてラディカルな政治文化と結びついた反権威主義・反エリート主義・あはんブルジョア主義の身ぶりを構成要素としたイギリスのポップ・カルチャーがバンクシーを育んだ。バンクシーと直接の関係はないが、シーズ・オブ・ホープの直接行動をめぐる刑事裁判の結末や、セックス・ピストルズの『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』をめぐるエピソードは非常に興味深い。
バンクシーの描くネズミには、「もし君が、誰からも愛されず、汚くてとるに足らない人間だとしたら、ネズミは究極のお手本だ。」というメッセージが籠められている。
グラフィティに対して抵抗感があるのは、器物損壊としての性格が分かち難く結びついているから。だがそこには、都市の光景が不動産所有者だけのものであって良いのかという眼差しが存在していた。例えば、地形ごと変えてしまうようなデヴェロッパーの開発は、「ステイトアクション」(国家や地方自治体の行為)と同一視する可能性があるのかもしれない。そうだとすれば、グラフィティに一種の抵抗権的な性格を読み取る余地も残されているということか。