可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『私、オルガ・ヘプナロヴァー』

映画『私、オルガ・ヘプナロヴァー』を鑑賞しての備忘録
2016年製作のチェコポーランドスロバキア・フランス合作映画。
105分。
監督・脚本は、トマーシュ・バインレプ(Tomáš Weinreb)とペトル・カズダ(Petr Kazda)。
撮影は、アダム・シコラ(Adam Sikora)。
美術は、アレクサンドル・コザーク(Alexandr Kozák)。
衣装は、アネタ・グルニャーコバー。
編集は、ボイチェフ・フリッチ(Vojtěch Frič)。
音楽は、Richard Müller(リチャード・ミュラー)
原題は、"Já, Olga Hepnarová"。

 

1960年代、チェコスロバキアプラハ。オルガ(Michalina Olszańska)が眠っている。母(Klára Melíšková)が起こしに来る。オルガは目を覚ましているがベッドから動かない。隣のベッドの姉(Zuzana Stavná)はすぐに起きて部屋を出て行く。母が再びやって来る。オルガ、起きなさい。二度と言わせないで。学校に行きたくない。
洗面台で顔を水で濡らしていたオルガは気分が悪くなり便器に吐く。オルガはバスルームを出るとダイニングに入る。住居は静かで、通りを行く車や子供たちの声が聞こえてくる。父(Viktor Vrabec)が困ったといった様子でダイニングから出て来る。
病院の廊下。オルガがベンチに腰掛け、母は立って待っている。看護師が出てきて母に告げる。精神安定剤を10錠服用したんです。味わってみたかっただけだと言ってますけど、おかしいですよね。胃洗浄しましたから問題ありませんよ。ありがとう。
母はオルガを伴って帰宅する。上着を掛け、靴を履き替えながら娘に告げる。自殺には強い意志が必要なの。あなたには絶対に無理。分かるわね。娘を睨み付ける母。オルガは自室へ。姉がベッドに坐っている。向かいのベッドに腰掛けたオルガは本を手に取る。
ベンチに並んで坐る母とオルガ。傍らには荷物を置いている。怖がることはないわ。煙草を吸いながら母が言う。俯くオルガ。
施設に入所したオルガ。夜、ベッドではキスしてお互いの身体を弄り合う少女たちがいる。眠れないオルガは、窓辺で煙草を吸う少女(Lena Schimscheiner)の隣に立つ。煙草? 吸わない。間違ってる。放っておいて。夜中に襲わないでよ! オルガは性行為に耽る少女達に言い放つ。笑い声が起きる。なんでここに? さあね、逃避行かも。
オルガは看護師から注射を受け、腕を固定した状態でベッドに戻る。看護師が部屋を出て行くと同室の少女達がオルガをシャワー室へ無理矢理連れて行き、殴る蹴るの暴行を加える。
オルガはトイレで読書しようとするが汚れていて使う気になれない。廊下の踊り場に立ちグレアム・グリーンの『おとなしいアメリカ人』を呼んでいると、通りがかった看護師(Błażej Wójcik)からもっと楽しい本を読めばと言われる。うるさいとオルガは相手にせず、彼を憤慨させる。
施設を退所して自宅に戻ったオルガは煙草を吸いながら医師(Ivan Palúch)に手紙を書いている。夫(Gustav Hasek)を伴ってオルガの様子を伺いに来た姉を邪魔だと言って怒らせてしまう。母はオルガの退所祝いの食事を用意し、夫、義母、娘夫婦とともに食卓でオルガを囲むが、オルガは手紙を書いていて姿を現わさない。
孤独だから、あなたに手紙を書いています。殴られて以来、父とは話していません。最近、些細な事で姉を殴りました。不思議でしょうね、私は後悔はしていませんから。でも姉もよく私を殴ったものです。唯一少し話せる相手は母ですが、話題がありません。だから誰とも話さないのです。私はどこにいても一人です。人は集まって会話をして笑います、私には全く面白いと思えないことで。会話をするのはただ何かを言うためで、それで全く問題無いと思い込んでいます。私はただ坐って時々一言も発さない日すらあります。でも私は慣れました。人々を軽蔑します。気分を害するかもしれません、でも見下している訳ではないのです。この先、私は人々に何を感じるでしょうか。『おとなしいアメリカ人』にはこうあります。お互いを理解しようとせず、たとえ夫婦や恋人、愛人、親子の関係に立つ相手であっても、他人を理解することなど出来ないと受け容れさえすれば、もっとうまく生きられるのではなかろうか。自由が存在するとして、他人との繋がりの無い人間の方が自由に対する制約は少ない。一人でいるとき、私は幸せです。人々は私を追い払いましたが、私に戻って来ることなど期待しているでしょうか。私は戻ったりしません。人々に対抗できるほどの強さが自分にあるとは思えません。私にあるのは、恐らくは私以外の誰も傷つけることのない憎しみだけです。悲しみや苦しみはあるにせよ、孤独を恐れず、孤独とともに幸せになろうと努力しています。自分の考えを伝えようとしていますが、確信は持てません。不幸なのでしょうか、それとも幸せなのでしょうか? 分かりません。でも、理解してもらえたら嬉しいです。休暇に自転車でモラヴィアに行きたいです。母は私に一人で行きたいのかと尋ねました。私がどれだけ孤独か、母は全く理解していません。母は私がダンス教室に通おうとしないことにも驚いています。社交の常套句を学ぶために? 勘弁して欲しいです。人付き合い無しで済ませられますから、ダンスなどしなくて問題ありません。以前あなたが手紙で言っていたように、自分に対する執着を無くせたらいいのですが。敬具。オルガ・ヘプナロヴァー。
手紙を書き終え、オルガは皆が待つ食卓へ。皆が押し黙る中、母が娘に尋ねる。誕生日のプレゼントに何が欲しい? しばし考え込むオルガ。ここを出たい。

 

1960年代のチェコスロバキアプラハ。銀行員の父(Viktor Vrabec)と歯科医師の母(Klára Melíšková)、姉(Zuzana Stavná)と暮らすオルガ(Michalina Olszańska)は不登校を繰り返していた。ある朝、オルガは体調を崩し、母に病院に連れて行かれる。オルガは精神安定剤を大量に服用していた。両親は娘を精神療養施設に入所させることにする。施設でもいじめに遭い、オルガは人目を避けて読書をして何とかやり過ごす。退所して帰宅すると、姉は夫(Gustav Hasek)を迎えていた。ますます居場所が無くなったと感じたオルガは家を出たいと訴える。オルガは働きに出るとともに、両親が郊外に所有する小屋で一人暮らし始めた。オルガは職場の奔放なイトカ(Marika Soposká)に惹かれる。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

オルガは家でも、学校でも自分の居場所がなく孤独だと感じていた。姉が自宅に夫を迎えたのを機に、オルガは働きに出るとともに、両親所有の郊外にある小屋で一人暮らしを始める。職場でオルガはイトカという奔放な女性――順番を待つ人の列に平然と横入りして何とも思わない人物として描かれる――に出遭い、彼女と関係を持つ。ずっと孤独であり続けたオルガがイトカに対して注ぐ愛情は激しいもので、気儘に振る舞うイトカにとって耐え難い重圧となったことは容易に想像がつく。自宅前で待っていたオルガに対して、イトカを受け容れずドアを閉める。オルガはイトカを失うのみならず苦情を申し立てられて仕事を失うことになる。オルガは小屋で厚着をして毛布にくるまり寒さに耐えようとするが、堪えきれない。それは小さなストーブが1台あるきりだ――母親に冬場は耐えられないと引っ越しの際に指摘されていた――ということではなく、イトカとともに夜を過した小屋は、彼女の不在による空虚さが身に沁みるようになっていたということだ。孤独で無い状況を経験してしまったがゆえに、オルガにとって孤独は耐え難いものとなったのである。
オルガは自らを爪弾きにした社会を憎悪し、自分のような存在を生まないように社会に警告を発することを企む。オルガの矛先は弱者に対して向けられることになる。それは彼女をいじめの餌食とした社会を自ら模倣して示すためであったのだろうか。
猫背で頼り投げないとともに、突飛な行動に打って出るオルガを演じるMichalina Olszańskaが、印象的な美貌で引き付ける。
モノクロームの映像がオルガの孤独な世界を演出する。