映画『ベネデッタ』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のフランス映画。
131分。
監督は、ポール・バーホーベン(Paul Verhoeven)。
原案は、ジュディス・C・ブラウン(Judith C. Brown)の"Sœur Benedetta, entre sainte et lesbienne"。
脚本は、デビッド・バーク(David Birke)とポール・バーホーベン(Paul Verhoeven)。
撮影は、ジャンヌ・ラポワリー(Jeanne Lapoirie)。
美術は、カティア・ビシュコフ(Katia Wyszkop)。
衣装は、ピエール=ジャン・ラロック( Pierre-Jean Larroque)。
編集は、ヨープ・テル・ブルフ(Job ter Burg)。
音楽は、アン・ダッドリー(Anne Dudley)。
原題は、"Benedetta"。
17世紀。トスカーナの富豪ジュリアーノ・カルリーニ(David Clavel)の隊列がペッシアに向かっていた。道中の丘に立つマリア像を祀る祠堂の前で隊列が止まると、輿に乗っていた娘のベネデッタ(Elena Plonka)が飛び降りて、マリア像に向かい祈りを捧げる。水色のドレスのベネデッタは頭に花の冠を載せ、母ミデア(Clotilde Courau)からもらった彩色の聖母像を手にしている。歌を捧げたらと母に勧められ歌い出すベネデッタ。そこへ騎馬の盗賊団の襲撃を受ける。お前ら何者だ、ここで何してる? 娘をペッシアの修道院に連れて行くところです、修道女にするために。そんならたんまり持ってるだろ。だたじゃ修道院には入れんからな。為替は携帯しているが金の持ち合わせはない。金目のもんは身に付けてるだろ? 隻眼の男(Pero Radicic)が槍で母親のネックレスを奪い取る。返してちょうだい、お母様のものよ。おお、お嬢ちゃんの方が肝が据わってんじゃねえか。返さないとマリア様から罰が下されるわ。何で分かるんだ、お嬢ちゃん? マリア様は私の願いを聞き入れて下さるから。聞こえる? 聖母の声よ。鳴き声がして梢から黄色い鳥が飛び出すと、隻眼の男の顔に糞を落とした。盗賊の一味はそれを見て大笑い。首領(Nicolas Gaspar)がネックレスをベネデッタに投げ返す。聖母と仲良くやれよ。
ジュリアーノの一行がやって来たペッシアの広場には市が立ち、大道芸人が芸を見せ、舞台では喜劇が演じられている。パオロ・リコルダーティ(Hervé Pierre)の先導でジュリアーノがミデアとベネデッタとともに修道院に入る。幼いクリスティーナ(Héloïse Bresc)が出迎え、母娘を別室で待つように伝え、ジュリアーノとパオロをフェリチタ院長(Charlotte Rampling)のもとへ案内する。
イエスの新たな花嫁を連れて来られたのでしょう。ベネデッタは私どもと幸せに過しますわ。オレンジにリンゴ、ワインを持って参りました。これから25年間毎年お届けします。それは気前のいいこと。それで持参金は? ベネデッタが生まれる際危うく死にかけるところでしたが、神の奇蹟に救われました。それで娘を神に与えると約束したのです。極めて心が揺さぶられますわ。このような話を何遍も伺ってきましたけど、その度に。神に仕えたいと願う少女は毎年何百人もおりますの。ですが今年は3人しか受け容れることができません。私の娘を受け容れて下さるなら金貨50枚を差し上げます。俗世間でも花嫁の持参金は金貨150枚はあるのでは? キリストの花嫁になるのに100枚は頂かないと。75では? ユダヤ人のように値切るおつもりですか! パオロが娘のために受け容れるよう諭し、ジュリアーノは金貨100枚を支払うことにする。ジュリアーノが院長に手を差し出す。ここは市場ではありませんわ、言葉と為替とで十分。
ベネデッタはロザンナ(Lauriane Riquet)に衣装を保管する部屋に連れられていく。サイズを合わせる際、花の冠を捨てられる。持参したマリア像も、修道院の聖母像に祈りなさいと言って取り上げられた。水色のドレスから地味な服に着替えさせられる。生地がごわごわして痛い。身体の方を順応させなさい。受け容れなければなりません。ユリアーナはベネデッタよりもう少し年を重ねた頃、働いていて指を切断したと説明して、木製の右手の人差指を見せる。私は他の指よりもこの指を愛している、できることなら身体を全て置き換えてしまいたいくらい。そうすれば神の名が刻めるでしょう。墓石にも刻めるわ。あなたは賢い娘ね。優れた知性が災難を招くこともあるわ。他人にだけでなくね。
ベネデッタはカーテンで仕切られた寝室に案内される。
夜、ベッドに横になっていたベネデッタは眠れず、寝室を抜け出して廊下のマリア像の前へと向かう。今ではあなたが母親です。お救い下さい。私は完全に一人です。今では私の祈りを聞き入れて下さっているのかさえ分かりません。そのときマリア像がベネデッタの上に倒れてくる。下敷きになったベネデッタは、目の前のマリアの左の乳房に口を寄せる。物音に修道女たちが駆け付ける。怪我は? 像をどかして。院長がベネデッタに聖母像に触れたのか尋ねる。いいえ、何かが起きて倒れてきたの。何をしていたの? マリア様にお祈りしたかった。立てる? ええ。潰されなかったなんて奇蹟です。皆さん、眠りなさい。ベネデッタを休ませて。修道女たちがベネデッタを伴って寝室へ引き上げる。クリスティーナは母親である院長に尋ねる。今のは奇蹟? 奇蹟は茸みたいにどこにでも生えてくるようなものではないの。
18年後。礼拝堂で行われるページェント。ベネデッタ(Virginie Efira)がマリアを演じている。院長ら修道女を始め、ベネデッタの両親など信徒席一杯の人々が見守っている。私は息子のイエスに会いたい。主よ、私はあなたが不滅だと存じております。私は天使を目にし、言われました。元気を出しなさい、あなたの息子は生きていると。あなたの前で弟子たちとともに絶え間なく祈ります。気品と知恵に未知な気高い女性、あなたは私たちの慰めですと、弟子の1人を演じるクリスティーナ(Louise Chevillotte)がマリアに向かって告げる。マリア役のベネデッタがベッドに横たわると一旦幕が閉じられ、場面転換が行われる。横たわりながら高い位置に坐るユリアーナ(Justine Bachelet)演じるイエスを見ているうち、ベネデッタはいつの間にか草原にいて、羊の群れを導くイエス(Jonathan Couzinié)を目にする。
17世紀。トスカーナの富豪ジュリアーノ・カルリーニ(David Clavel)は、娘のベネデッタ(Elena Plonka)をペッシアの修道院に入れることにした。ペッシアへの道中、盗賊に襲われるが、ベネデッタの聖母への祈りのためか盗賊に小さな災難が降りかかり、事無きを得た。修道院は、商才に長けたジュリアーノさえ遣り込める老獪なフェリチタ院長(Charlotte Rampling)のもとに運営されていた。ベネデッタは服を着替えさせられ、母ミデア(Clotilde Courau)からもらったマリア像の使用も禁じられた。受け容れを担当したロザンナ(Lauriane Riquet)は才気走るベネデッタに懸念を示す。最初の晩、寝床を抜け出して祈りを捧げていたベネデッタは、マリア像の下敷きになる。駆け付けた修道女たちが助け出すとベネデッタは無傷であった。クリスティーナ(Héloïse Bresc)らは奇蹟かもしれないと驚く。
18年が経過する。ベネデッタ(Virginie Efira)が主演のマリアを務めるページェントと、ベネデッタの両親を主賓とする祝宴が執り行われた。パオロ・リコルダーティ(Hervé Pierre)がペストで亡くなったミラノの司教について話題にすると、アルフォンソ・チェッキ(Olivier Rabourdin)は司教への野心を隠さない。宴が終わり、ジュリアーノとミデアを見送ろうとしていたところへ、開けてと叫ぶ声がして、修道院の扉が激しく叩かれる。扉が開かれると助けてと訴える女性(Daphne Patakia)が飛び込んできて、ベネデッタに縋り付く。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
信仰に篤いベネデッタは、聖母への祈りを捧げることで、盗賊を退散させたり、孤独を訴え母を求めるベネデッタに――恰も乳を飲ませるように――イエスに乳を与えるマリア像が倒れたりする(マリア像の下敷きになりながらもベネデッタは無傷で済む)。単なる偶然かもしれない。だが、信心深いベネデッタにとっては祈りが通じた結果――奇蹟が起きた――と同義であろう。その「奇蹟」の積み重ねが、ベネデッタに幻視をもたらす。
ページェントにおいてベネデッタ演ずる聖母が天に召される場面。ベッドに横たわった聖母=ベネデッタの身体がロープによって宙に浮かされる。その直前に、ベネデッタはキリストの姿を幻視する。法悦と性的恍惚とが重ねられている。
修道院の闖入者バルトロメアは瑞々しい裸体をベネデッタに示すだけでなく、ベネデッタに身体的接触をもたらす。身体の欲求(蛇が象徴する)に絡め取られそうなベネデッタを救うのもまた幻視されたイエスである。もっとも、ベネデッタはイエスとの身体的接触を高めていく。
ベネデッタにとって法悦と性的恍惚とは重なり合う。だが、教会・修道院は身体を敵と看做し、屈服させようとする。空虚=身体的欲求を埋める代替手段は果たして痛み以外にあり得ないのか。書籍を穿った中に隠された張形とは、身体的欲求を満たすことで安定がもたらされる理路を象徴するものであろう。対して、教皇大使の命令に基づきバルトロメアに対して行使される「苦悩の梨」(膣内に挿入される拷問具)は、身体の空隙を拡大するものに他ならず、それは肉慾に溺れる教皇大使の空虚さの象徴ともなっていよう。
建前ばかりで信仰心に欠けた教会の指導層に対し、信仰と欲求に揺れるベネデッタは、時に危ういまでに、より人間的な存在として描かれる。ベネデッタの奇蹟に対して常に懐疑の目が向けられるのも、却って真実味を高める効果を生んでいる。
危ういベネデッタのVirginie Efira、ベネデッタを振り回す奔放なバルトロメアのDaphne Patakia、老獪な修道院長のCharlotte Ramplingを始め、他の修道女たちもそれぞれに印象的な言葉を口にするなど魅力的であった。
17世紀のトスカーナで猖獗を極めたペストが、COVID‑19の現在との蝶番となっている。