可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『なぎさ』

映画『なぎさ』を鑑賞しての備忘録
2021年製作の日本映画。
87分。
監督・脚本は、古川原壮志。
撮影は、石田遼。
照明は、神山啓介。
録音は、小川武
美術は、秋葉悦子。
衣装は、一宮理紗。
ヘアメイクは、伊藤聡。
編集は、古川原壮志。

 

押し入れの中の壁や天井に描かれた星空。襖の穴越しに覗く絡み合う裸。
九州から東京に向かう夜行バス。最小限の天井灯だけが点された暗い車内。品川、終点東京の順に停車し、足柄サーヴィスエリアで休憩が入ると録音された女性の声でアナウンスされる。
蝉の声が聞こえる。畳敷きのワンルーム。ベッドと小さなテーブルの他に家具はない。衣服やレジ袋が乱雑に散らばっている。眠っていた大学生の文直(青木柚)がスマートフォンのアラームで目を覚ます。
階段教室の後ろの方に坐る文直。戦争など極限の環境下における人間について、講義が行われている。教授が課題図書の『夜と霧』について言及する。
カフェテリアでは、学生たちが会話しながら昼食を摂っている。文直は一人スマートフォンを見ながらパンを囓っている。まみ(北香那)がやって来て文直の前に坐るが、文直はまみを見ることさえしない。まみの話に時折僅かに頷くだけだ。
中華屋の厨房。文直が餃子を焼く。隣では鳥居(髙橋雄祐)が鍋を振っている。客(宇野祥平)がミャンマー出身の店員スー(中島綾花)に、セットに付いている白米を抜いてくれと頼んでいるが、話が通じない。白米無しに出来ないかって訊いてんだよっ! 怒鳴り出した客の下に店長(永井秀樹)が慌てて駆け寄る。お客様、どうされました? 日本語出来ない店員、働かせてじゃねえよ!
文直が賄い料理に餃子を焼き鳥居に差し出した。スーにも出してやって。文直は餃子を皿に盛り、スーに差し出す。懸命にレンジを磨いていたスーは、賄い料理を知らないらしい。無料の食事だと説明して皿を手に取らせる。文直は茶碗にご飯を装ってスーに渡す。ご飯は分かるだろ? 白米は白いご飯。
文直が自宅のベランダから夜の住宅街をぼんやり眺めている。通りに出て幼い子供をあやす母親の姿があった。
多くの学生にごった返すカフェテリアで、文直がスマートフォンを見ながらパンを囓っている。昨日何度も電話したんだよ。まみが文直に訴える。文直の本、郵送すればいい? 捨てていいよ。文直はまみを見ることも無く答える。まみが文直の手に触れると、文直は感電でもしたかのように飛び退く。周囲の学生たちが驚いて文直を見る。
中華屋の厨房。餃子3つ。注文が入るが、文直はぼうっと立ち尽くすだけ。
卓上の醤油を補充するゆか(三上紗弥)に鳥居がそろそろ出かけようと促す。文直君も行くよね? 文直は黙っている。ゆかは服を着替えに下がる。今日みんなで飯行くって話したろ。お前、まじで付き合い悪いな。スーちゃんの歓迎会。スーちゃんも文直に来て欲しいよな? フミサン、イキマショ!
結構ホットスポットだよ。鳥居がハンドルを握る隣でゆかが嬉々として話す。マジ行くの? 行くって言ったじゃ無いですか! 今からそんな遠くに肝試し? 歓迎会を終えた後、急遽心霊スポットに向かうことになった。後部座席にはスーと文直が坐っている。スーちゃん、肝試しって分かる? ゆかと鳥居がおばけだ幽霊だとスーに説明している。車が郊外に向かうに連れて車外の景色から灯りが減っていく。でもいいな田舎って。東京出身で実家暮らしだし。スーはミャンマーが恋しい? ハイ。ママとか会いたい? ハイ。イチバンアイタイノハ、オネーチャン。オネーチャントズットイッショダッタカラ。文直は実家どこ? 長崎。前に帰ったのは? 3年前。3年って長くない? 帰りたくないの? 友達とかお母さんの手料理とか恋しくない?
いつしか車は照明灯も無い山道へ。山の上に覗く空には数々の星が見える。暗すぎ。流石の俺もちょっとビビる、何てな。ビビって無いですから、行っちゃいます! ヘッドライトによって照らし出される道路のセンターラインには所々草が生えている。ゆかがスマートフォンで調べた心霊スポットの解説を読み上げる。居眠り運転の高速バスが転落し多数の死傷者を出した場所で、絶対に行ってはならない未知の世界に導く云々。カーブする上り坂を只管登った先にトンネルが見えてきた。トンネル内は赤みを帯びたナトリウムランプが点っている。自動車は暗いトンネルの中を抜けてく。突然、後部座席のドアが開き、文直が転げ落ちた。ゆかが悲鳴を挙げる。

 

長崎出身の文直(青木柚)は東京で一人暮らしをする大学生。同期のまみ(北香那)と交際するなど学生生活を謳歌していたが、ある日を境に塞ぎ込むようになり、まみとの関係も破局する。アルバイト先の中華店でミャンマー出身のスーの歓迎会に参加することになった文直は、ゆか(三上紗弥)が行きたいと言い出した心霊スポットに、鳥居(髙橋雄祐)の運転する車で向かうことになった。高速バスの運転手の居眠り運転で多数の死傷者を出した現場で、はっきりとした場所は明らかにされていない。現場付近の山道を進みトンネルを走行中、突然、後部座席のドアが開き、文直が車外に転落する。
幼くして母親を亡くした文直(小島歩琉)は、ろくに家事や育児をしない父親・渉(日向丈)に代わり妹・なぎさ(多賀優月)の面倒を見ていた。渉が女を家に連れ込むとき、兄妹は壁や天井に星を描いてプラネタリウムのようにした押し入れで息を潜めていた。
おむつをしていたなぎさも、いつしか制服に袖を通して学校に通う年頃になり、文直は高校を卒業する時期が迫った。文直は上京して大学に通うことにしたと、なぎさ(山﨑七海)に告げる。

(以下では、全篇の内容について言及する。)

なぎさは此岸から彼岸へと向かうその境界にある。
妹のなぎさは、兄文直手製の風鈴を夜空のように青く塗る。文直が押し入れの中に作った「プラネタリウム」を、風鈴に再現するのだ。「プラネタリウム」の星空、涼やかな風鈴の音色は、ここではないどこかへと二人を導く。
他方、赤い光は、父親が女を抱く部屋を満たす。なぎさが襖の穴から覗く先には、赤い光に蠢く裸がぼんやりと浮かび上がる。襖1枚を隔てて伝わる激しい息遣いは、身体の裡に潜む肉慾を否が応でも搔き立てる。兄妹間での性交は禁忌である。だが兄妹にとって一番近くにある身体は、お互いの身体である。成長に伴う身体の成熟は、欲望を禁忌に抗わせる。否、禁忌は誘惑を高めることにもなる。
ある晩、遅くに帰宅した文直は、兄を待ち疲れて玄関で寝てしまったなぎさのしどけない姿に欲望を抑えられなくなる。眠っている隙に、妹の唇を奪う。玄関もまた境界であり、文直はその境界を跨いでしまったのだ。あるいは、文直はなぎさという赤い肉慾の光に照らされた穴(=トンネル)に入り込んでしまったのだ。
だが兄妹の関係の持続は不可能だ。文直はなぎさと距離を取るため実家を離れることにする。上京後、文直はなぎさからの連絡に動揺し、無視を決め込む。なぎさは決心して東京の兄の下に向かう。
ここではないどこかを夢見た兄妹は、天上の星空ではなく、地下の穴(トンネル)に入り込んでしまった。2人の関係が成就することは無く、2人の間に育まれた新たな命も失われることになるだろう。なぎさを乗せたバスは破局へと向かって走るのだ。
だが、なぎさは、暗い地上を離れ、明るい星空で、文直と再び結ばれることになる、だろうか。
兄妹間の結び付きとその恋愛への変貌を繊細にかつ象徴的モティーフを使って婉曲的に描き出している。人物の後ろ姿を見せるカメラワークも特徴的だ。露骨な描写を避け、鑑賞者に登場人物の心境を想像させる、監督の意図が打ち出されている。
なお、中華屋で「日本語出来ない店員、働かせてじゃねえよ!」と怒鳴る客は、固定観念に縛られて即座に作品を拒絶し、分からない作品の意図を全く汲もうとしない鑑賞者を揶揄するものだろう。