可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『TOKAS Project Vol. 5「ひもとく」』

展覧会『トーキョーアーツアンドスペース×台北国際芸術村15周年交流記念展 TOKAS Project Vol. 5「ひもとく」』を鑑賞しての備忘録
トーキョーアーツアンドスペース本郷にて、2022年8月27日~10月10日。

相互に作家を招聘・派遣してレジデンス事業を行っているトーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)と台北国際芸術村(TAV)が、交流15周年を記念して行う展覧会。TOKASに滞在したルー・チーユン(盧之筠/LU Chi-Yun)、チェン・イーシュアン(陳以軒/CHEN I-Hsuen)、チェン・ユウェン(セラ)(陳郁文/Sera Yu Wen CHEN)と、TAVに滞在中に出会い、ともに制作を行ったシュウ・ウハン(周武翰/CHOU Wuhan)と橋本仁の5名の作家を紹介する。

1階展示室は盧之筠の《オブジェの唄》と《逆さまの森》を展示。
《オブジェの唄》は、正方形のコンクリートパネル46枚(小さいパネルが40枚、小さいパネル4枚分の大きさのパネルが6枚)を、小さいパネルに換算して10枚×8枚分のスペースに敷いたもの。小さいパネル12枚と大きいパネル1枚分の空白部分があり、パズルのようにも見える。コンクリートのパネルには、靴、ペットボトル、缶、ブラシなど日用品が生乾きのコンクリートに押し付けられた痕跡がある。パネルに足を踏み入れると、見た目とは異なり、柔らかな感触が足から伝わる。パネルの下にスポンジがクッションとなっているのだ。パネルは罅割れているため、一歩ごとにカラカラとコンクリート同士がぶつかる音がする。
幼い頃、母親から子守唄代わりに家の中にある物の名前を聞かされた作家は、かつて自分が周囲の物によって構成されていると思っていたという。パネルに残された物の痕跡は、人格の形成原因となった事物であり、パネルの罅割れは成長を表わすものであるらしい。「少し時間が経つと、新しく割れ目を創り出すのはそれほど簡単なことではないと気づく」のである。
住宅の前に室内にある持ち物を並べて家族を撮影するピーター・メンツェル(Peter Menzel)の作品を想起させる。持ち物が生活を、延いては人格を形作ることは否めない。靴であろうがスマートフォンであろうが、その存在に使用者の行動が規定されるからである。
実際の持ち物を並べるのではなく、その痕跡を呈示することで、コンクリートが象徴する人物に対する影響をうまく印象付けている。成長過程をパネルの罅で表現することで加齢ののイメージも引き寄せている。パネルの嵌められていない部分には新しい価値観を受け容れる許容性を読み取ることもできそうだ。
《逆さまの森》は、造花・ドライフラワー・エアプランツを組み合わせた植物の束を天井から吊るした作品。親や夫、指導教員など他人との関係で規定されたり、女性作家として括られたり、「私」に役回りが先行する場面に「自分の体が自分のものではなく、まるで見せ物として吊されているかのように感じ」、吊した植物に自らの身体を重ね合わせている。許曉薇(Hee Siow-Wey)の自らの身体を花器とした写真と共通するテーマがある。造花とドライフラワーだけで構成されていれば役割の固定や記念とのみ捉えられるが、生花であるエアプランツを組み合わせた点に、成長あるいは変化に対する希望が窺われる。欠如する潤いへの渇望が喚起される。

2階展示室では、シュウ・ウハン(周武翰/CHOU Wuhan)と橋本仁が、日本統治時代の台湾にあったモダニズム様式の建築・高橋邸に関するリサーチに基づいて制作した作品を展示している。
周武翰は、映像により建築を紹介する《鮮やかな記憶》(映像の前に破損した台湾煉瓦が1つ置かれている)、スチレンボードの白い建築模型《消失した邸宅》、1枚の腰付障子の横子・竪子に挟まれたスペースごとにに写真や記録などを配した《障子戸の復元》、円形パネルに建築や地図などをコラージュした《台北謄本:濱町一丁目》を出展。橋本仁は、床に「台灣博覧會記念台北市街圖(1935」を貼り、壁面に「日本統治下の台湾南進台湾」という映像からのダイジェストを投影するとともに、円形パネルの絵画《ウィンドウ #1~6》、柿渋の立体作品《メモリーコード》を展示している。
「高橋邸は1933年、淡水河沿いに建てられ、1960年代中頃に姿を消したクルーズ船のよう」で、横に並んだ円い窓が印象的な建築であった。ともに円形パネルの作品である周の《台北謄本:濱町一丁目》と橋本の《ウィンドウ #1~6》が壁面に並ぶ姿は、高橋邸を象徴する窓を模倣している。橋本の《ウィンドウ #1~6》は、ロジェ・カイヨワ(Roger Caillois)の『石が書く(L'Ecriture des pierres)』に登場しそうな緑や青を中心としたマーブル模様であったり年輪のような形であったり、周の《台北謄本:濱町一丁目》に表わされた写真や地図の具体的なモティーフとは対照的である。石や年輪という言わば自然のアーカイヴによって、人間の行う記録作業と対置するようでありながら、実は「自然のアーカイヴ」自体、作家の手になる自然への擬態に過ぎない。歴史の復元の難しさを訴える意図もあるのかもしれない。
「日本統治下の台湾南進台湾」のダイジェスト映像は、寺院などもともとあった施設とともに、神社(とりわけ鳥居というシンボル)、放送局、博物館や植物園などを、チャイナドレスの女性たちを随所に映し込みながら紹介していく。人力車などのモティーフはともかく、今見ても古びた印象は無い。夜の街の日本語のネオンサインは、当時としては比較的先端的であったためか、あるいは日本語が街に溢れていることを示したいものだったのか。「左側通行」というネオンが強調されるのも不思議である。

3階展示室では、陳以軒の写真《ソフト・クォランティーン》と、陳郁文の映像インスタレーション《もし私が木と言ったら、それは何色であるべきだとあなたは思う?》が紹介されている。
陳以軒の《ソフト・クォランティーン》は、9点の写真。撤去を通知する紙、赤いコーン、柵に巻き付けられた黄色のバリケードテープなど東京都心部におけるホームレスの排除に関わるイメージで構成される。柱に残された人が頭を置いていたらしい黒ずんだ跡に、草が刈り取られた跡に仮囲いに残された植物ワイパー(トマソン物件の一種)を組み合わせることによって、人が雑草のように排除される様が静かに訴えられる。
陳郁文の映像インスタレーション《もし私が木と言ったら、それは何色であるべきだとあなたは思う?》は、現代における植物と人間との関わりを考察する作品。六義園では江戸時代に造園された際のイメージを、簡略な絵図面(絵画記録)に基づいて維持しようと模索する人々の姿が紹介される。どのような姿がオリジナルなのかを決定することさえ難しいという問題が示される。その上、植物は成長や枯死を免れないため、気象条件の変化も考慮に入れながら、どういう姿になるか数年ないし数十年先を見据えて手入れをしなければならない。風景の記憶をどう伝承するかという問題を投げ掛ける。そこに対極的な存在であるフェイクグリーンを併せて紹介することで、現代人が植物に何を求めているのかを明らかにしようとする。ホテルの大きなガラス越しの緑は、もはや植物が映像と化したようでもある。落ち葉や虫などを極度に忌避する事態が進行すれば、街にはフェイクグリーンや映像の植物が溢れる日が訪れるだろうか。「もし私が木と言ったら、それは何色であるべきだとあなたは思う?」というタイトルは、そのようなディストピアとも言えそうな未来都市を予告する。スクリーンの周囲には、コンクリートを被ったような植物の鉢植えが10個置かれている。果たして全てがフェイクグリーンであったのだろうか。