展覧会『佐々木成美個展「翅」』を鑑賞しての備忘録
TAKU SOMETANI GALLERYにて、2022年9月17日~10月9日。
佐々木成美の個展。
死者が蝶の姿になって山を登るとの言い伝えのある蔵王山でアサギマダラを実見したことと、荘子の「胡蝶の夢」とが主題となっている。アサギマダラと胡蝶との提喩となる「翅」が展覧会のタイトルに冠されている。
かつて荘周が夢を見て蝶となった。ヒラヒラと飛び、蝶であった。自ら楽しんで、心ゆくものであった。荘集であるとはわからなかった。突然目覚めると、ハッとして荘周であった。荘周が夢を見て蝶となったのか、蝶が夢を見て荘周となったのかわからない。荘周と蝶とは必ず区別があるはずである。だから、これを物化というのである。(『荘子』斉物論篇)(中島隆博『荘子の哲学』講談社〔講談社学術文庫〕/2022年/p.166-167)
「翅」を冠した作品は3点ある。
《翅》(2030mm×1720mm)は、人の姿と蝶の翅と、網のような波線(縦5本、横4本)とを画面全体に表わし、画面中央に近い人体の腹部辺りに白い円をキャンヴァスに描いている。人物の姿は画面の右上から左下にかけての対角線状に、膝を軽く曲げ、両脚が爪先立ちで描かれている。前傾して地面から足が離れるような姿勢が、背の左右に広がる大きな翅と重ねられることで飛翔のイメージを生み出している。キャンヴァスが木枠に張られていないことで、ヒラヒラとした飛翔のイメージが増幅される。それに対し、画面中央の白い円に接するように取り付けられた、軽く握った右手を表わした焦茶色の陶器が重力を感じさせる。
《翅》(2120mm×700mm)は、壁に縦長のキャンヴァスを床に付くまで垂らし、白い布の3分の1強の長さの灰色のフェルトをやはり床に付くようにその手前に重ねている。フェルトの床に掛った部分に腕の代わりに翅を持つ白い人物の陶器を載せ、その背後に、サイズの小さい同様の灰色の陶器を頭の分だけ高い位置に設置している。
《翅》(300mm×150mm×100mm)は、素焼きに透明釉(?)と焦茶色の焼き物で2つの手(手首)を組み合わせた作品。透明な板の上に載せて床に置かれている。
また、「胡蝶の夢」に登場する「物化」を冠した作品がある。「物化」とは「ある物が他の物に生成変化すること」(中島隆博『荘子の哲学』講談社〔講談社学術文庫〕/2022年/p.166)である。《物化》(280mm×260mm)は、画面の下3分の2くらいに緑色の楕円があり、その中の左上には黄緑色の鎖のような形が浮かぶと共に、右下には黒い円が描き込まれている。画面全体は灰色が覆うが、左側、とりわけ左上は黄色が配されて明るい。何よりこの作品を特徴付けるのは、黒い円の上で交差する8の字状の黒い陶器が取り付けられていることである。
「物の変化」というのは、1つの物が他の物に変わることであり、そこには一と他との差別がある。しかしそれは常識の立場のことであり、すべてをひとしいとみる立場からみれば、自分と他者との区別がないのであるから、胡蝶はそのまま荘周である。したがって、どのような変化がおとずれても、自分が失われることはない。生きている自分があるとともに、死んでいる自分がある。人生だけを現実とみるのは差別の立場である、人生もまた夢とみるのが無差別の立場である。なぜなら万物斉同の理においては、夢と現実との区別はないからである。〔森三樹三郎『荘子』、小川環樹責任編集『老子 荘子』202頁〕
森は、「すべてをひとしいとみる立場からみれば、自分と他者との区別がない」とあるように、「万物斉同の理」を物化に適用し、荘周と胡蝶の無差別を協調している。
(略)
やはり福永〔引用者註:福永光司『荘子』内篇〕もまた原文にある「分有り」を、「人間の分別」にすぎず、「どうでもいい問題である」と退けている。「物化」は「一切存在が常識的な分別のしがらみを突き抜けて、自由自在に変化しあう世界」であり、「万物の極まりない流転」であって、それぞれのモーメントにおける境遇を「逞しく肯定して」いけばよい。ここにもまた、「万物斉同」を『荘子』の中心思想とみる考えが強く現れている。(中島隆博『荘子の哲学』講談社〔講談社学術文庫〕/2022年/p.168-170)
《翅》(2120mm×700mm)に重ね合わされて描かれた人物と翅、あるいは《翅》(2120mm×700mm)の翅を持つ人物の陶器は、「胡蝶はそのまま荘周である」ことを表現したものに見える。また、《翅》(2120mm×700mm)の画面全体を覆うように描かれた網に「万物斉同の理」を見て、「夢と現実との区別はない」ことを表現したものとも解することも可能であろう。さらに《物化》(280mm×260mm)の8の字の陶器を∞に見立て、「万物の極まりない流転」を看取することもできよう。
しかし、それでは、《翅》(2120mm×700mm)の手が宙に浮き、あるいは《翅》(300mm×150mm×100mm)の手が切り離されてしまうきらいがある。
そもそも覚夢の区別は、死生の区分と異ならない。いま自ら楽しみ、心ゆくというのは、その区分が定まっているからで、区分がないからではない。そもそも時間というものは、片時も止まったりせず、今というのはついに存在しない。だから、昨日見た夢は、今において別の物に化しているはずである。死生の変化もこれと別ではなく、心を労するのはその間においてなのだ。まさにこれである時には、あれは知らない。夢で蝶になっていること〔を目覚めている時に知らないこと〕がそれである。これを人に当てはめれば、一生において、今は後のことを知らない。麗姫がそれである〔𦫿の国の麗姫が、晋の献公に連れ去られた当初は涙を流すばかりであったのに、王宮に着き、王と同衾し、うまい肉を食べると、自分が泣いていることを後悔したという故事〕。愚者は知ったかぶりをして、自分で生は楽しく死は苦しいと知ったつもりでいるが、それはまだ物化の意味を知らないのである。(郭象『荘子』斉物論篇注)
胡蝶と荘周の間に「区分がないからではない」。その反対に、「その区分が定まっているから」、その区別された世界において、胡蝶としてあるいは荘周として「自ら楽しみ」、「心ゆく」ことができる。この読解は、これまで見てきた、区分を無みする読解の対極にある。
郭象は、1つの区分された世界において他の世界を摑まえることはできない、と主張する。「まさにこれである時には、あれは知らない」からである。この原則は、荘周と胡蝶、夢と目覚め、そして死と生においても貫徹される。この主張は、1つの世界に2つ(あるいは複数)の立場があり、それらが交換しあう様子を高みから眺めて、無差別だということではない。そうではなく、ここで構想されているのは、一方で、荘周が荘周として、蝶が蝶として、それぞれの区分された世界とその現在において絶対的に自己充足的に存在し、他の立場に無関心でありながら、他方で、その性が変化し、他なるものに化し、その世界そのものが変容するという事態である。ここでは、「物化」は、1つの世界の中での事物の変化にとどまらず、この世界そのものもまた変化することでもある。
それを念頭に置くと、胡蝶の夢は、荘周が胡蝶という他なる物に変化したということ以上に、それまで予想だにしなかった、胡蝶として私が存在する世界が現出し、その新たな世界をまるごと享受するという意味になる。それは、何か「真実在」なる「道」の高みに上り、万物の区別を無みする意味での「物化」という変化を楽しむということではない。(中島隆博『荘子の哲学』講談社〔講談社学術文庫〕/2022年/p.171-172)
《翅》(2120mm×700mm)の画面全体を覆うように描かれた「網」は、「1つの区分された世界において他の世界を摑まえる」ためのものではなかった。むしろ、「網」を構成する縦5本、横4本の線が波打っていることに着目し、「世界そのものが変容するという事態」をこそ読み取るべきなのである。
そして、《翅》(300mm×150mm×100mm)において、他の《翅》2作品とは異なり、翅を表わすことなく、2つの異なる種類の手を組み合わせたのは、印相ないしジェスチャーのやり取りと解しても、握手と解しても、いずれにせよ「他者の心との交渉」を表わすためであったと考えられる。
(略)それよりも重要なことは、この神滅不滅論争〔引用者註:老子や荘子の思想を介した仏教受容が試みられる中で行われた、身体と魂(精神)の関係についての論争〕をつうじて、さらにはその中での『荘子』読解を通じて、他者論という問題系が浮上していたということである。
想像してみよう。わたしの「情」が他人にやどり、胡蝶の「性」がわたしにやどることを。これは、人間だけに限定される必要もない、人間や動物といった魂のジャンルを超えて交わる事態である。こうした他者の心との交渉を、他者との同一化でもなく、動物の擬人化でもなく、模倣することでもなく、同情でもない仕方で思考すること。また、虚仮としての夢でもなく、幻想でもなく、全き現実性として思考すること。これこそが、中国思想における魂論と他者論の可能性の中心なのである。
そして、曹思文や蕭琛といった仏教徒による『荘子』の読解は、この可能性をかすかに垣間見させていた。それは、「万物斉同」というよりも、〈他なるものになる〉という「物化」を『荘子』読解において強調し、他者とのコミュニケーションという問題系を開いていたのである。(中島隆博『荘子の哲学』講談社〔講談社学術文庫〕/2022年/p.49-50)
人の姿と翅とが組み合わされたモティーフが登場する《翅》(2120mm×700mm)や《翅》(2120mm×700mm)に対し、組み合わされた手のみで表現された《翅》(300mm×150mm×100mm)を対置することで、「他者の心との交渉を、」「虚仮としての夢でもなく、幻想でもなく、全き現実性として思考する」、「他者とのコミュニケーション」を透明のアクリルケースという俎に載せているのである。
超越論的原理としての「道」が基礎づける意味の宇宙に、「物化」という変容は穴を穿っていった。それは、「このわたし」が「このわたし」のままでありながら、しかし全く別の他の物になることで、本質の同一性が崩されるからである。しかも、万物流転を超越的な視点から見るという従来の「斉同」観においては、「物化」は「この世界」における諸アバター(変身)でしかなかったのに対し、「物化」の中に「このわたし」だけでなく「この世界までもが変容するラディカルな可能性を見るとすると、超越論的原理としての「道」そのものが変化するとまで言えるだろう。(中島隆博『荘子の哲学』講談社〔講談社学術文庫〕/2022年/p.180)
《翅》(2030mm×1720mm)の中央に穿たれた白い円は光であり、それと反対側の壁に掲げられた《物化》(280mm×260mm)に現れる小さな黒い円の闇と呼応している。
ところで《物化》に表わされたのは宇宙ではないか。画面の半分近くを黒い穴が占め、その穴に人の姿を微かに浮かび上がらせた《穴居人》(665mm×510mm)とを併せ見たとき、《物化》は「盆景」であり、その中心モティーフである緑の円を海に浮かぶ山(=蓬莱の島)と解することは不可能ではあるまい。
周知の通り、17世紀以降、水盤のなかに庭をしつらえることがシナの学者の間に流行していた。それは水を張った水盤の中央に岩が立っており、その上に小さな木や花、小さな家や塔、橋や人間がいるものであって、〈盆山〉あるいは〈仮山〉と呼ばれる。これらの名称自体がすでに宇宙論的な意味を思わせる。すなわち山は、既述の通り宇宙の象徴である。
しかしこの耽美家の楽しみである盆景には長い歴史、否むしろ深い宗教的世界感情を窺わせる前史があった。その前身は、海を表わす芳香を帯びた水と、山を表わす円屋根型の覆いとをもつ水盤であった。こういう物の宇宙的構造は明白である。神秘的要素もまた現れている。というのは、海の中央に浮かぶ山は蓬莱の島という、道教の仙人が住む一種の楽園を象徴していたからである。したがってこれは独立した1つの世界であり、その集約された神秘力にあずかるために、また瞑想によって世界との調和を回復するために、人が自分の手許に、自分の家に設立する小宇宙であった。山は洞窟で飾られているが、洞窟伝説は盆景を作る際に重要な役割を果たした。洞窟は秘密の隠れ家、道教の仙人の棲み家であり、入門式の場所である。それは楽園の世界を表わし、それゆえ〈困難な入口〉をもっているのである。(略)
しかしながらこの水や木や山や洞窟から成る、道教で重んぜられた複合的全体は、遙かに古い宗教観念、すなわちそれは(山と木を以て)完備し、同時に隠遁しているところの完全な風景という観念を受け継いで発展したものに過ぎない――完全な風景という所以は、小世界であると同時に楽園であり、浄福の源、不死の場所であるからである。(ミルチャ・エリアーデ〔風間敏夫〕『聖と俗 宗教的なるものの本質について』法政大学出版局〔叢書・ウニベルシタス〕/2014年/p.145-146)
《物化》の画面に表わされた宇宙、そこに穿たれた穴こそが「物化」であった。