映画『aftersun アフターサン』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のイギリス・アメリカ合作映画。
101分。
監督・脚本は、シャーロット・ウェルズ(Charlotte Wells)。
撮影は、グレゴリー・オーク(Gregory Oke)。
美術は、ビラー・トゥラン(Billur Turan)。
衣装は、フランク・ギャラチャー(Frank Gallacher)。
編集は、ブレア・マクレンドン(Blair McClendon)。
音楽は、オリバー・コーツ(Oliver Coates)。
原題は、"Aftersun"。
ソフィー(Frankie Corio)が父親のキャルム(Paul Mescal)にヴィデオカメラを向ける。カーテンの掛かる窓を前に逆光で影になった父親が跳ねたり向きを変えたり忙しなく動いてみせる。それ何なの? 俺流の動き。止めてよ、恥ずかしい。恥ずかしくなんかない。キャルムはベランダに出て洗濯物を取り込む。ちょっと、インタヴューするんでしょ。何をインタヴューするんだ? さあね。えっとね、私は11歳になったばかり、で、あなたは130歳、あと2日で131歳。ソフィーは巫山戯て喋る自分の顔にいったんカメラを向け、再び父親の姿を捉える。11歳の時、今の年齢になったら何してるって思ってた? 父親は首を傾げ、黙る。
ダンスフロア。明滅する光の中、人々が踊る。ソフィー(Celia Rowlson-Hall)だけが目を閉じて立ち尽くしている。11歳の時の父親とのトルコ旅行を思い出している。
愛してる。飛行機に乗るために立ち去る娘にヴィデオカメラを向けながら呟くキャルム。父親に手を振って、別れを告げるソフィー。
バスの車内。ツアー・コンダクターの女性(Sally Messham)が挨拶する。皆さん、こんばんわ。ベリンダです。これから1~2週間、皆さんのツアーを担当します。つい先ほどまでトレモリーノスに…。マイクがハウリングする。トレモリーノス! マイクを使わずにベリンダが叫び、苦笑する。トルコで皆さんのお役に立てればと思います。これから7つの停留所に…。キャルムが隣の席の娘にツアー・コンダクターの真似をして囁く。ベリンダです。先ほどまで、トレモリーノス! ソフィーが笑う。
点在する道路照明、ロードサイドの看板。バスが夜を走り抜ける。
キャルムとソフィーがホテルに到着する。カウンターには誰もおらず、キャルムがベルを鳴らすが誰も対応に出てこない。ソフィーは椅子に坐って雑誌を眺めている。そこにいろよ。キャルムが階段を上がっていく。ソフィーはテーブルに置かれたペーパーバックが気になり、開いてみる。父親が戻ってくる足音が聞こえると、ソフィーは本を戻す。誰か来てくれる。眠いか? ううん。
部屋。ソフィーがベッドで横になっている。キャルムが内線電話でフロントに問い合わせる。501だけど。そうです。ツインで予約を入れたんだけど、部屋にはベッドが1つしかなくて。…ツインの料金を支払ったし、旅行代理店にも確認してもらった。…それしかしてもらえない? …そうしてもらわないと、それじゃ、どうも。キャルムは眠ったソフィーの靴を脱がし、身体の位置をずらし、ブランケットをかけてやる。灯りを消し、バッグから煙草を取り出すと、ベランダに出る。右手を怪我して包帯を巻いているため、キャルムはマッチで火を点けるのに梃子摺る。ゆらゆら揺れながら煙草を吸うキャルム。外には虫の声。室内にはソフィーの寝息。
エディンバラに母と暮らすソフィー(Frankie Corio)は11歳になったばかり。夏休みの終わりを、母と離婚してロンドンで生活する父親キャルム(Paul Mescal)と過すため、ともにトルコのリゾート地にやって来た。右腕を怪我して包帯を巻いているキャルムは、ツアー・コンダクターの女性(Sally Messham)の真似をしたり、ニンジャのような動きをしたりする。ホテルに到着すると、フロントには誰もおらず、やっとチェックインすると、部屋にはベッドが1つだけ。朝は建物改修のための足場を組む音で起こされる。それでも父娘はプールや海でゆったりとした時間を過し、キャルムはソフィーにヴィデオカメラを向け、11歳の娘の姿をテープに収めていく。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
ソフィーは離婚して別居する父キャルムとともに、夏休みの最後をトルコのリゾート地で過した。ソフィーの記憶に焼き付いている、少女時代最後の夏休み。
娘の様子を伝えるためにソフィーの母親(キャルムの元妻)に電話したキャルムが愛してると挨拶するのを――それならば何故別れる必要があったと――不思議に思うソフィー。彼女は、太陽を見ると、キャルムもまた同じ太陽を見ているから、たとえ離れていても同じ場所にいる気がすると言う。
そのような幼さの残るソフィーだが、他方で思春期に差し掛かっている。同世代や自分より年下ではなく、年上の男女の仲間入りをしたい。とりわけ恋愛――雑誌やペーパーバックへの関心――や、性的な言動――トイレの個室の鍵穴から洗面台で男について会話する女性たちの姿を覗き見る――に目や耳を欹てざるを得ない。だが年上の男女は幼いソフィーを保護の対象と見ている。ビリヤード(≒性的メタファー)では一目置かれるが、水球(≒身体的接触)では全くボールに触れられない、ましてパラグライダー(≒エクスタシー)には挑戦すらできない。
様々な場面で大人の世界を垣間見るソフィーは、やがてローラ(Ruby Thompson)からリゾートのパスであるリストバンドを譲られる形で、大人の世界への通行許可が象徴的に与えられるのだ。
右腕の怪我、ホテルの予約、太極拳の動作、ディナーを終えての逃走。キャルムの挙動には不自然な点が端々に見られるが、彼の置かれた状況は判然としない。それは幼かったソフィーが大人――当時の父親と同じ年齢――になって振り返るのと同じ状況を鑑賞者に味わわせるためだ。あのとき、父親はどんな状況にあって何を考えていたのか、と。その構造によって物語がより痛切に胸に迫ることになるだろう。
ソフィーが見るのは、キャルムの背中であり、影であり、鏡に映った姿であり、倒立した姿である。とりわけ、鏡、窓、テレビの(消えた)画面、テーブルなどに映る父の姿は、文字通り映像の父であり、ヴィデオテープに残された父――記憶の中の若い姿――と等価となる。
ソフィーは余興でステージに立って父親とともに、彼の愛好する曲(R.E.M.の"Losing My Religion")をデュエットしようとするが、キャルムはステージに向かわない。父親に拒絶されて打ち拉がれるソフィーが1人ステージに立って拙く歌う姿があまりに切ない。歌い終えて戻ってきた娘に、あろうことか、キャルムは歌のレッスンを受けさせようかと声をかけ、ソフィーの傷ついた心に塩を塗ることになる。だが、この酷い経験は、ソフィーに大人の階段を上らせることにもなる。
キャルムはトルコ絨毯に魅せられる。個々のモティーフが象徴する意味、そしてそれらの綴られた絨毯1枚ごとに異なる物語。鑑賞者もまた作品に織り込まれた意味を読み解くよう促す。
親と同じ年齢になって当時の親の気持ちに思いを馳せる作品としては、現在上映中の映画『帰れない山(Le otto montagne)』(2022)がある。
娘が父親の前で歌を披露するシーンで忘れがたい作品として、映画『ローガン・ラッキー(Logan Lucky)』(2017)がある。