可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『遠いところ』

映画『遠いところ』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の日本映画。
128分。
監督は、工藤将亮。
脚本は、工藤将亮と鈴木茉美。
撮影は、杉村高之。
照明は、野村直樹。
サウンドデザインは、Keefarと伊藤裕規。
美術は、小林蘭。
音楽は、茂野雅道

 

沖縄県・コザ。キャバクラでアオイ(花瀬琴音)が酒を呷る。若くない? 何歳? 東京からの客がアオイに尋ねる。18じゃない? そんくらい。もっと下かも。アオイは17歳だと告げる。驚く客。捕まったりしない? 中学からギャバ嬢当たり前だよね。こんなに若い娘と飲めてうまいもん食えて、ヤバくないか。移住しちゃおうかな。
仕事を終え、給料の入った封筒を受け取ってアオイが店を出る。仕事で着ていたタイトな赤のワンピースの上からカーキのコートを羽織り、赤の派手なバッグを提げたアオイは、まだ暗い街を一人歩く。狭い路地を抜け、赤信号で車道を横断する。祖母(吉田妙子)の家に着く頃には夜が明けている。祖母が険しい表情で顔を出し、健吾(長谷川月起)を表に出す。アオイは健吾の手を引いて家に向かう。途中から健吾を抱き抱える。
家に着くと、マサヤ(佐久間祥朗)はまだ寝ていた。健吾はテレビを見る。アオイは封筒の紙幣を取り出して財布に入れ、トイレに入って封筒をサニタリーボックスに隠す。眠そうにしているマサヤが起きてアオイと入れ替わりにトイレに入る。
アオイとマサヤが息子に朝食を食べさせながら食卓で向かい合う。今日何時に帰って来る? 5時くらい。マサヤは一応建築会社に勤務しているが、時給2200円のキャバ嬢の給料を当てにしている。
コインランドリーで健吾を伴って洗濯が終るのを待っていると、マサヤから電話が入る。しつこく財布がどこにあるかと尋ねてきた。やむを得ず健吾を連れて家へ向かう。マサヤが酒臭い息で現場に現れたことで叱責されているのを目撃する。
部屋の前の通路で一人遊ぶ健吾。アオイがその前で眠っている。強い風が吹き付ける。
アオイがキャバクラで接客していると、離れた席で海音(石田夢実)が客に激しくどなっているのが聞こえた。アオイの隣にやって来た海音は、胸に札を挿し込んで胸を摑まれたと憤慨している。摑む胸なんかないでしょと笑うアオイ。アオイは海音に自分の胸に触れるよう頼むと、海音の1万5千円を手に取る。胸、触ったでしょ。
今夜はもう働かないと言う海音とともにアオイも仕事を切り上げる。臨時収入の海音に奢れとせがんで買い出しに行き、いつもつるんでいる連中と車でクラブに繰り出す。酒を飲んで音楽に身を委ねる。一頻り踊った後、海へ向かい、水浴びする。海音がアオイに言う。どっか行きたい。遠いところ。2人で海に向かって駆け出す。

 

アオイ(花瀬琴音)は17歳ながらキャバクラ勤めをしている。祖母(吉田妙子)は朝まで酒を飲む仕事をするアオイにいい顔をしないが、健吾(長谷川月起)を預かってくれている。アオイは家事や育児をこなしながらキャバクラの収入で次々と届く請求書の支払いをする。夫のマサヤ(佐久間祥朗)は一応建築会社に勤めているが、アオイの収入を当てにして酒ばかり飲み、ろくに家賃も入れようとしない。それでも母親が蒸発し、父親(宇野祥平)と縁が切れたアオイにとって、マサヤは健吾の父であり、大切な家族なのだ。友人でキャバクラの同僚でもある海音(石田夢実)と過す時間だけはアオイが羽目を外して17歳の少女でいられた。ある晩、キャバクラに警察官が乗り込んできた。未成年のキャバ嬢たちは裏口から逃げ出すが、アオイは捕まってしまう。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

17歳のアオイは、家事と育児とをこなしながら、キャバクラ勤めをして、酒ばかり飲む夫マサヤに代わって家計を支える。酒を飲んで働かないだけでなく、アオイに暴力を振うようになる。ろくでもない夫をアオイが支えるのは、母親が蒸発し、父親からも捨てられてしまった生い立ちにある(としか考えられない)。ごく稀に見せる愛情にアオイは絆される。
児童相談所の職員は、いつでも相談してと言いながら、アオイから息子を奪い、母子の関係を切り裂く。
キャバクラの勤務を終えたアオイは、祖母の家に息子の健吾を迎えに行く。アオイは1人暗く狭い路地を登っていく。後半では、同じ道をアオイが降っていくことになる。アオイを買う客のもとへ送迎する車(デリヘルドライヴァー:高橋雄祐)に乗るためだ。アオイが風俗嬢に「転落」する象徴的なシーンとなっている。
もう1つの「転落」――「遠いところ」を目指した――もまた、アオイを追い込むことになる。海の音に誘われて、アオイもまた「遠いところ」を目指すだろう。
飛行機が画面に現れることは無い。だが、アオイの生活に、飛行機の騒音が聞こえる。あるいは、基地のフェンスの脇をアオイが駆けていく。生きるための過剰な責任を負わされる――身体を売らされる――アオイは、米軍基地が集中する沖縄の象徴でもある。沖縄が「遠いところ」なら、『遠いところ』は「ナイチャー」である鑑賞者に突き付けられた作品と言える。逆接的に、『遠いところ』が「ナイチャー」を「遠いところ」=沖縄に接続しているとも言える。
花瀬琴音がアオイに実在感を与え、作品に鑑賞者を引き込んだ。
健吾役の長谷川月起は極めて自然な演技で作品のリアリティを高めていた。