映画『もしかしたら私たちは別れたかもしれない』
2023年製作の韓国映画。
103分。
監督・脚本は、ヒョン・スル(형슬우)。
撮影は、イ・ジングン(이진근)。
編集は、キム・ジュウン(김주운)。
音楽は、ゴーギャン(Gogang)。
原題は、"어쩌면 우린 헤어졌는지 모른다"。
アヨン(정은채)が、内見で高層マンションの1室を訪れている。いい眺めだ。見晴らしがいいわね。ここにソファを置いたらいいんじゃない? テレビはこっち。身重の妻と彼女を気遣う夫が広い窓のリヴィングルームを確認している。もうちょっと見ていい? もちろんです。どうぞごゆっくり。浮かない顔をしていたアヨンが笑顔を作る。夫婦が別の部屋に向かう。この部屋は子供部屋ね。
この辺りは静かでいいですよ。内見を終えた夫婦を伴ってアヨンが玄関ホールに降りる。気に入ったわ。ありがとう。十分ご検討の上、ご連絡下さい。連絡します。お気を付けて。夫婦を見送ると、強い雨が降り出している。アヨンは煙草を取り出す。アヨン君。サイクルウェアに身を包んだ高齢の男性に声を掛けられる。先生! 慌てて煙草をしまうアヨン。吸い給え、遠慮することはない。なぜこちらへ? ここの住人だからだよ。君は何をしとるんだ? 仕事で参りました。職場に戻らなければなりません。お元気でしたか? 元気だよ。「先生の日」に君とジュノ君だけ顔を見せなかったから心配してたんだ。すいません、どうしても外せない用事がありました。口先だけだな。展示があるなら教えてくれ給え。お伝えしていませんでしたが、今は筆を手にしてないんです。何だと? 筆を置いてしまったのか? 私でさえまだ現役なのに。止めわけではないんです。ただ今は描いていません。それなら今は何をしているんだね? 不動産会社に勤めています。不動産? それは意外だな。君は納得してるのか? ええ。本当かね。知り合いに画家を紹介するよう頼まれてね、君を推薦することにしたんだが。すいません、最近は絵を描くどころではなくて。暇なときに大学に顔を出しなさい。ご馳走しよう。ありがとうございます。それじゃ、行くよ。先生、お気を付けて。
ジュノ(이동휘)がリヴィングルームで公務員試験の解説講義を視聴しながら洗濯物を畳んでいる。すぐに飽きてベランダの枯れた鉢植えをいじる。鉢植えの下にはテキストが積み重なっている。アパートの前の狭い通りでは、男子高校生の3人組が塀の上に隠していた煙草を取り出して吸おうとしていた。誰だ、煙草を吸ってるのは! ジュノが声色を使って高校生を追い払う。ジュノは外へ出て高校生が落としていった煙草を拾い、煙草に火を点け吸い始める。そこへ3人組が戻って来る。おっさん、前も俺らの煙草盗ったろ? メビウスは俺らのだよ。何? そこに合った煙草。何やってんだよ、ムカつくわ。何を言ってるんだ? これは俺のだ。だいたいガキが吸うべきじゃないだろ、違うか? だいたいガキから盗るべきじゃないだろ、違うか? 失礼な連中だな。どこの生徒だ? そんなの知る必要ある? 警察官の知り合いに学校に連絡入れてもらうぞ。おっさん、卑劣漢だな。警官の友人に何を言うわけ? 卑劣漢? 勉強はしてるらしいな。成績がいいのか? あんたは出来が悪いみたいだね、ガキから煙草を盗るってことは。見たところ、引きこもりの無職の負け犬って感じだな。だいたいそのしょぼいTシャツは何なんだよ。ロッカーでも気取ってるわけ? よくカート・コバーンを馬鹿にできるな。ニルヴァーナのTシャツを着たジュノが高校生に詰め寄ったところへ近所の主婦がやって来る。いつもここで煙草吸ってる人? 洗濯物に煙草の臭いがついちゃうのよ。ここで煙草を吸ったことはありません。だろ? 高校生に同意を求めるジュノ。不良たちがいつもここで煙草を吸うので説教していただけです。何の話ですか? 煙草は僕らのものじゃありません。…あれ、ミンソクじゃない? こんにちは、おばさん。学校に通ってる時間じゃないの? この人に煙草代を要求されたんです…。分かったわ。ミンソクがどんな子だか知ってる? 学級委員長で成績は常に校内トップなの。ミンソクが何で煙草を吸う必要があるわけ? 子供の前で噓を付いて、煙草代まで巻き上げるなんて。今時は校内トップをとるストレスで煙草を吸うものですよ。校内トップだったことがあるの? 騒ぎを起こすなら警察官の知り合いに連絡して逮捕してもらうわよ。言ってることが滅茶苦茶なのよ、出てって。待って、彼らにお金を返してちょうだい。騒ぎ? 私が何をしました? それに警察官の知り合いに連絡? これは卑劣漢じゃないか? ジュノが高校生に同意を求める。私が卑劣漢だって言うの? 主婦が引き上げる。3人組の高校生も立ち去ろうとして、ミンソクが煙草を返すようにジュノに言う。俺が指導してやらなきゃならないか? 煙草を旨そうに吸い始めるジュノ。高校生が慌てて逃げ始める。主婦が連れて来た大男に、ジュノは盥の水を掛けられる。文句を言うこともできずジュノは慌てて退散する。
夜。仕事帰りのアヨンが店の前でジュノを待っている。スマートフォンに恩師から展覧会について検討するようテキストメッセージが入っていた。電動キックボードでジュノがやって来る。悪い、遅れた。待った? もうちょっとマシな格好に着替えて来られなかったの? ジュノは安物のTシャツにネルシャツを羽織り、チノパンを穿いている。これじゃ不味かったか? 就職面接じゃないだろ。…そうだけど。遅れてるだろ、早く行こう。配達してたの? 1件だけ。
2人は建物の階段を上がり、入口の店員に迎え入れられる。いらっしゃいませ。アヨンはジュノからヘルメットをひったくり、店員に預かるように頼む。店に入ったアヨンは個室に向かう前に、ジュノの髪型を直し、シャツを着せ直そうとして、溜息をつく。座敷では同期の2組のカップルが話に花を咲かせていた。こんばんわ。おう、アヨン。遅れてスマン。遅刻したんだから、罰金、2人分払えよ。ああ、もちろん、次回払うよ。アヨンは適当に合せるジュノに白い目を向ける。ジュノはアヨンの視線に気まずい思いをする。
酒が進む。ジュノいつ試験に合格するんだ? ステーキ奢るって云ったよな。お前は俺の試験のことなんてどうでもいいくせに、いつもステーキをせがむよな。奢らなくていいからとっとと試験に受かってくれよ。それが望みだよ。アヨンさん、ジュノにいらいらさせられてるんじゃない? いいえ、彼は一生懸命勉強してますよ。今年の試験は馬鹿みたいに難しかったんだよ、優秀な人材を求めてて。お前だけじゃないだろ、みんな大変だったんだ。まあ、政府がちゃんと仕事してるってことだよな。ジュノは試験に失敗して同じことばっかり言うんだ。試験の話はもういいだろう? 酒を楽しもう、乾杯!
不動産会社に勤務するアヨン(정은채)は、内見の仕事で訪れたマンションで美大の恩師に遭遇する。教授はアヨンと交際相手のジュノの2人だけが「先生の日」に姿を現わさなかったことを気にしていた。教授は展示の企画にアヨンを推薦することを考えていたが、アヨンは絵画制作から遠のいていた。ジュノは公務員試験の勉強のために、アヨンの部屋に同棲し、生活を支えてもらっていた。だが繰り返し試験に落ちたジュノは勉強を遠ざけ、配達のアルバイトや友人と遊ぶことで日々をやり過ごしていた。同期との飲み会にだらしのない格好で現れたジュノは試験の話題を早々に切り上げ、アヨンは人生設計について話し合う機会を流してしまう。帰りに占い師に占わせたところ2人の相性は抜群だったが、自宅前でジュノが何者かからモノを投げつけられ、その対応を巡って2人の関係は決定的に拗れてしまう。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
アヨンとジュノはともに美術の世界を志していたが、2人の生活のため、アヨンが不動産会社に勤務して生活を支えながら、ジュノが公務員を目指し受験勉強をすることになった。だが、ジュノは受験に失敗を重ね、2人とも三十路を迎えていた。
アヨンの親しい友人は結婚して子供がいる。同期のカップルや会社の顧客の夫婦を見ていると、自分の置かれた立場を想わざるを得ない。だが、ジュノはろくに勉強もせずにその日暮らしを続けている。ちょっとしたきっかけで2人の関係が破綻することは明白だった。
例えば、アヨンとジュノとを結び付ける絆となったはずの――例えば、映画『花束みたいな恋をした』(2021)では描かれるような――かつての2人の幸せな日々は一切描かれない。アヨンの目に映るのはジュノの短所だけであり、鑑賞者はアヨンの立場に立つことになるだろう。その結果、アヨンがジュノとの関係を断たない、2人の関係を持続させる惰性の力こそが浮かび上がる。
ジュノの「寝違え」が惰性の影響を象徴する。日常的な動作の繰り返しの中で、どこか不自然な体勢が、思わぬ痛みをもたらす。
ジュノが魅力的な人物であることは、アンナ(정다은)がジュノにアプローチすることで描かれる。恋人から過度に束縛される関係を疎ましく思っていた学生のアンナは、10歳以上離れたジュノが魅力的に映った。アンナは(噓を付かないことともに)好きなモノを好きなときに食べることに象徴されるルールをお互いに課すことにするが、却ってその自由さに飽き足らず、アンナはジュノとの関係を終らせることになる。
恋人たちが別れることで他人以上に疎遠になってしまう。
枯れた鉢植えみたいな恋をした。