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芸術鑑賞の備忘録

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』を鑑賞しての備忘録
2019年製作の韓国映画。118分。
監督は、キム・ドヨン(김도영)。
原作は、チョ・ナムジュ(조남주)の小説『82年生まれ、キム・ジヨン(82년생 김지영)』。
撮影は、イ・スンジェ(이성재)。
編集は、シン・ミンギョン(신민경)。
原題は、"82년생 김지영"。

 

ソウル。マンションの1室。キム・ジヨン(정유미)は家事に勤しんでいる。ラジオの放送は、天気予報から学習講座などへ次々と別の番組へと移っていく。一息つこうとベランダに出るが、程なくしてママと泣く娘アヨン(류아영)の声に呼び戻される。公園のベンチに座り、ベビーカーの娘をあやしながら珈琲を飲んでいると、近くにいる会社員のグループの立ち話が耳に入ってくる。俺も専業主婦だったら夫の金で気楽に暮らせるのにな。部長の嫁にでもなるか。ベビーカーを押してその場を立ち去るジヨン。夜、夫のチョン・テヒョン(공유)が帰宅する。今度の正月だけど、実家に帰省するのやめて旅行にでも行こうか。家で過ごすのもいいな。プサンまで車を運転するのも大変だし。私が実家に行くのをやめたいと言ったとき我慢しろと言ったのはあなたじゃない。それに行かなかったら義母さんから小言を言われるのは私なのよ。テヒョンは精神科医(김정영)のもとに相談に訪れていた。どうされたのですか。診ていただきたいのは私ではなく妻なのです。本人が来なければ診察はできませんよ。分かっています。でも事前に知っておきたいことがあったので。正月、一家はテヒョンの実家へ。ジヨンは台所で義母(김미경)の指示に合わせて調理を手伝う。大量の餃子の餡を用意する義母にテヒョンが驚く。そんなに作る必要ある? 毎年これくらい作ってるじゃないの。夜、やっと義母から解放されたジヨンは、テヒョンとアヨンをはさみ川の字で床に着く。早朝、台所からの音で眼が覚めるジヨン。しまったと即座に台所へ向かう。義母は特に何も言わない。だが不満であることはひしひしと伝わってくる。ジヨンは指示された葉物野菜の処理を始める。午後、テヒョンから荷物をまとめたから帰ろうと言われたジヨンは、先に車に行っててと告げる。やっと解放されると思ったその矢先、義理の姉夫婦が息子2人を伴ってやって来る。義理の姉はアヨンのためのかわいらしい洋服を手土産に持ってきていて、アヨンに服をあてがってみては娘はいいわと喜んでいる。義母から料理を温めて持ってきてと指示されたジヨンはしばらく身動きがとれない。間もなくして、ジヨンが居間にいる皆に向かい、いつもとは異なる調子で話し出す。ジヨンはとても疲れています。解放してやりなさい。一同は凍り付く。テヒョンは咄嗟にアヨンを抱き抱えると、ジヨンを連れて慌ただしく実家を後にする。ジヨンは病気なんだ。

 

一人娘を育てていた主婦のキム・ジヨン(정유미)が精神に変調を来してしまった。彼女の来し方を辿ることで、男女で待遇に差がある社会が浮き彫りにされる(例えば、女性がキャリアを実現できない状況は、ある母親が、ソウル大学校の工科大学に入ったのは息子に九九を教えるためのようなものと茶化すシーンなどで描かれる)。テヒョン(공유)は妻のジヨンに理解を示す優しい夫だが、ジヨンは夫の言葉すら額面通りに受け取れない(背後に隠された意味を読み取ろうとしてしまう)ところに、ジヨンが受けてきた「傷」の深さが表される。回想に浸っていることを表すためもあるが、ジヨンが誰かと相対するのではなく1人前を向いている様を繰り返し映し出すことで、ジヨンが「傷」に耐える姿を炙り出す。ジヨンが、精神を病んでしまったことについて、皆ができていることをできずに落ちこぼれたと嘆くのが、とりわけ悲痛。
ジヨンの母ミスク(김미경)やジヨンのかつての上司キム・ウンシル(박성연)が風穴を開けつつある状況が描かれる一方、体制側に組み込まれているジヨンの義母(김미경)が壁となって立ちはだかる。この義母の存在がよく効いている。義母もまた女性としての役割を強制されているのだが、内面化して自己規律化してしまっているためにジヨンやミスクの考えが理解できない。彼女らの生き方を受け入れることは自己否定に直結するからだろう。
韓国の場合には、男尊女卑の風潮の背景に、儒教道徳や徴兵制の影響もあるのだろうか。
チョ・ナムジュの小説『82年生まれ、キム・ジヨン』が話題となっているのは知っていたが未読のため、原作との相違点は不明。
本作品(特にジヨンやテヒョンの実家のシーン)と問題意識を共有する日本の作品に、乾真裕子の《月へは帰らない》がある。日本の「ミスク」と言える、作家の母からの聞き取りを中心に構成された作品で、関西の人や言葉が持つ独特の温かみがオブラートとして働いているのも良い。