映画『小説家の映画』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の韓国映画。
92分。
監督・脚本・撮影・編集・音楽は、ホン・サンス(홍상수)。
原題は、"소설가의 영화"。
ソウル近郊のブックカフェ。ジュニ(이혜영)が店に入り、入口に近い棚に並ぶ本を眺める。年配の女性が若い女性に対し声を荒げる声店の奥から聞こえてきた。今は話さないつもり? 私に答える気がないわけ? 答えを拒否するの? …いいえ、そういうわけでは…。いつからそんな生意気になったの? 一体どうしちゃったのよ? …負担をかけたくなかったんです…。一瞬頭の中が真っ白になってしまって。本気で言ってるの? またそんな言い訳? こんなこと言うの、もううんざりなのよ! …分かりました。ジュニはそっと店を出て行く。
ジュニが店外の椅子に腰掛け手にした案内板を眺めつつ電子煙草を吸っている。店員のヒョヌ(박미소)が出てきてジュニに声をかける。何か御用はございますか? 店に入る前に煙草を吸おうと思って。どうぞごゆっくり。その案内板をどかしましょうか? いいのよ、見てるから。ヒョヌが下がると、再び煙草を口にする。そこへセウォン(서영화)が出て来る。先輩、ここで何をされてるんですか? 坐ってるの。とりあえず煙草を吸いきってしまうわ。さっきの娘が先輩だと言ったんですけど、私には信じられなかったんです。どうやってこちらへ? 私がここにいるとご存じでした? あなたがいるから来たのよ。本当ですか? 誰が先輩に言ったんですか? 知人がね。そうですか。誰にもここに住んでるって言わなかったんですけど。誰か知ってたんですね。そうよ、だから来られたんだもの。ヒョヌが2人のところに顔を出す。お飲み物はいかがですか? 珈琲か紅茶か、何でもお好きなものを。こんにちは、ありがとう。こんにちわ。先ほどはご挨拶もせず、すみませんでした。気にしないで、よろしくね。よろしくお願いします。何にします? 珈琲? 珈琲をもらうわ。珈琲をご用意しますね。ヒョヌが店内に戻る。彼女、私たちが知ってる人に似てない? そうですか? 似てるわよ。違うかしら? 彼女は誰? 私の知り合いです。近くに住んでいるんです。店のお手伝いをしてもらってます。最近はどうしてるの? 私ですか? 大丈夫ですよ。作品を書いてないの? ええ。もう書いていません。また書くこともないです。太ったみたいね。それもかなり。そうなんです、10キロは増えました。いい顔してる。重荷から解放されて、自然体って感じで、いいわね。ありがとうございます。着られる服がなくなってしまいました。自制心を働かせられなくて。最近、最新作を拝読しました。読み終わった後に連絡を入れず申し訳ありません。読み終えてないのね。最近あまり出してないの、でしょ? そうですね、久しぶりです。教えて欲しいんだけど。なんで連絡くれなかったの? 電話するのは厄介? 厄介なんてことはありませんよ。ソウルを離れてからすっかり面倒になってしまって。先輩のことじゃありませんよ。およそ人付き合いが、です。でもここの人たちとはうまくいっているみたいね。集いを開催したりして。なりゆきです。来店していた近所の方には特に年配の女性が多かったものですから。ここを気に入ってくれて。とにかく元気そうね。暇つぶしにいらっしゃるんですよ。近くに書店がありませんから。僅かな人たちを講演会に誘っています。それで知られたんだわ。そんなことないと思いますけど。あり得るわよ。誰にも言わないよう伝えたんですけど。それにしてもどうやってこちらへいらっしゃたんですか? 遠かったでしょう。あなたに会いに来たのよ。あなたがどうしているか気になってね。以前どれだけ世話になったか。そんなことないですよ。珈琲を飲まれますか? もう入ったと思いますよ。飲みましょう。煙草は止めたの? いいえ。店頭では吸いません。ご近所の方が煙草を嫌われますから。奥で電子煙草を。ジュニとセウォンが店の中へ入る。
かつてベストセラー作家として広く知られたジュニ(이혜영)は、執筆に行き詰まっていた。ソウル近郊のベッドタウンにあるブックカフェに後輩のセウォン(서영화)を訪ねることにした。突然の訪問は、ソウルを離れてから人付き合いを地元の人に限っていたセウォンを驚かせる。セゥオンは筆を折り、太って血色が良くなっていた。店に並ぶ本もユニークだった。セウォンが雇う店員ヒョヌ(박미소)はかつて俳優をしていて、今は手話を学んでいるという。ジュニは詩の一節を手話で表現する方法を教わる。ジュニは近くにある観光スポットであるユニオンタワーに立ち寄ることにした。展望台で熱心に望遠鏡を覗いていると、ヤンジュ(조윤희)に声を掛けられる。彼女は映画監督ヒョジン(권해효)の妻だった。監督は最近生活を変えたことで作風も変わったという。3人でお茶をして近くの公園に散歩に出ると、ウォーキングをしていた俳優のギルス(김민희)に出会った。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
ジュニはカリスマ性のあるベストセラー作家として広く知られている。だが、最近は執筆に行き詰まっていた。ソウル近郊のベッドタウンでブックカフェを開いた後輩のセウォンを訪ねることにする。
セウォンは作家をしていたが、筆を折っていた。ソウルでの煩わしい人間関係を断ち、ブックカフェのある地元の人たちに付き合いを限っていた。そのおかげで太って血色が良くなっている。セウォンの選書が独特なのは、見栄を張らないことしたためらしい。
冒頭、本棚を眺めるジュニの姿だけが映し出される中、ジュニの来店を知らないセウォンが店員のヒョヌを激しく叱責する声が響く。直後のジュニへの対応や、ギルスの評価とは全く異なるセウォンの別の面が描き出される。
憶測に過ぎないが、セゥオンがレズビアンであるなら、ソウルを離れた理由や、冒頭でヒョヌに激昂していた理由も説明が付きやすいように思うが、どうだろうか。
ジュニはヒョヌに、人生は短いから楽しむべきだという主旨の詩の一節(?)を手話で表現してもらう。この手話の内容は、ジュニの心境を表わすとともに、映画監督のヒョジンらとの会話へと連なっていく。
ジュニは自分の意見をはっきり主張する。それはジュニがカリスマ性があると評価される一端だが、本人は頓着していない。
ヒョジンはかつてジュニの小説の映画化を企図したが、出資者の賛同を得られず断念した。ジュニとしては、本当に作品を気に入っていたのなら映画を撮るべきだったと考える。それは単に金銭の問題しかないと喝破する。そのため、ヒョジンがギルスが俳優として活動してないことを「もったいない」と評するのも、根底には金銭的評価があると指弾する。ギルスは子供ではないのだから、何を大切にするのかは本人が決れば良いのであって、「もったいない」などと言うのはお門違いであると言い放つ。もっとも、ヒョジンの判断が金銭的評価に基づいてると断定するのもまた見当違いの可能性はあるのだが(だからこそヒョジンはジュニが映画化の件が流れたことを根に持っているのではないかと考えるのだろう)。
散歩に出る。ソウル(生活の場)から離れる(離れた場所から見る)。手話を試す(文字以外で語る)。高所から見下ろす(異なる観点から見る)。望遠鏡(レンズ)を通して見る。ジュニの行動は、映画を監督する方向へと結び合わされていく。
小説を書けなくなった小説家。彼女が散歩に出る。彼女が出会う人々と交わすやり取り。偶然の重なりや、(カメラを前提とした)人々の立つ位置。ちょっとした仕掛けの案配で、人間の有様を描き出す物語となる。