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芸術鑑賞の備忘録

映画『殺人鬼から逃げる夜』

映画『殺人鬼から逃げる夜』を鑑賞しての備忘録
2021年製作の韓国映画。104分。
監督・脚本は、クォン・オスン(권오승)。
撮影は、チャ・テクギュン(차택균)。
編集は、イ・カンヒ(이강희)。
原題は、"미드나이트"。

 

夜の工場地帯。仕事を終えた女性(나윤성)が電話をしながら通用口から出てくる。折良く客待ちのタクシーが停車している。私は夜勤明けで疲れてるのよ。恋人と軽い口論をしてる間に、乗り込もうとしていたタクシーに3人組の男性が乗り込んでしまう。彼女はやむを得ず1人歩き出す。バンに乗った眉目秀麗な若い男(위하준)が彼女に声をかける。駅まで送りましょう。女性は断る。タクシーはありませんよ。女性は男を相手にせず歩き続ける。すると、バンのドアが開く音がして、助けを求める男の苦しそうな声が漏れてきた。不審に思った女性が確認のためにバンに近づくと、中には沢山の衣装がかかっていた。そして、刺されて頽れた中年男性に気が付く。さっき声をかけてきた若い男がマスクを付けて現れ、彼女をバンに引き摺り込もうとする。悲鳴を上げて逃れようと必死に抵抗するが、男の力には敵わない。
若い男が、街灯に照らされて立ち尽くしている。回転灯を点けた警察車両が到着し、1人の警察官が彼に通報者か尋ねるが、反応が無い。やや間があって、虚ろな表情で遠くを指差す。もう1人の警察官が指示された場所に向かうと、嘔吐する音がして、女性の遺体だと叫ぶ。男は、外国人労働者3人の犯行だと証言する。すぐさま現場の確保のための封鎖を開始し、警察署に連絡を入れる。動揺する目撃者に警察官が水を与えようとすると、彼は煙草を求める。現場から離れないよう言い渡されていたにも拘わらず、彼は煙草を味わいながら、ゆっくりとした足取りで現場を後にする。
コールセンターではスタッフが電話の対応に追われている。窓側の席では、キョンミ(진기주)が画面の女性(승유)に手話でにこやかに応対している。次の客(오지영)は返品できるかどうか食って掛かる女性で、キョンミの笑顔は次第に引きつり、遂には中指を立てて通信を遮断してしまう。
ソジュン(김혜윤)が短いスカートで出かけていこうとすると、兄のジョンタク(박훈)が不用心だから着替えと言う。結婚相手を捕まえるために可愛くしてるのにと愚痴るソジュンが渋々応じる。パンツルックで現れた妹に丈が短いと再び文句を付けるが、ソジュンは兄の短パンより長いと切り返す。9時までに帰るようにと言いつける兄に、12時までと言い張る妹。ジョンタクは亡き両親の写真に向かって妹の不品行を訴える。そんな兄に折れたふりをするソジュンは、玄関を出るや否や12時までには帰ると言い捨てて兄をあきれさせる。
コールセンターの業務終了後、女性スタッフだけが休憩室に集められた。ナム課長代理(나윤성)が取引先と設ける懇親会に参加する女性を募る。飲み会は業務じゃありませんからときっぱりと断る女性もいる。コ課長(송유현)は、取引先があって仕事と給金があるでしょと説得する。母親(길해연)にチェジュ島に旅行に行こうとテキストメッセージを送っていたキョンミは、場の雰囲気に気が付き、向かいに座っていた同僚から説明を受けると、コ課長は差別しないだろうから私が参加しますと申し出る。酒席に参加した取引先の社員は皆男性だった。彼らはキョンミが耳が聞こえないことを知って、えげつない言葉で品定めをして楽しんでいる。ナム課長代理はさすがにひどすぎやしませんかとコ課長に耳打ちするが、彼女は取り合わない。読唇術で発言を理解していたキョンミは、にこやかな表情を絶やさず、手話で男たちを罵倒していた。

 

聾啞であるキョンミ(진기주)は、帰宅途中、腹を刺された女性(김혜윤)に気が付いたことから、自らも殺人鬼(위하준)に命を狙われる羽目になる。

以下、全篇に触れる。

キョンミは聾啞であることで臆することなく、社会生活を送っている。コールセンターで働き、車を運転し、やはり聾啞の母とともに旅行の計画を立てている。クレーマーに毅然とした対応を取り、聾啞と軽く見る連中にも手話で反撃を試みる。強い聾啞者として描かれるキョンミ。だが、街頭緊急通報装置では不可能な発話を求められ、警察署では警察官に対する訴えが通じず、街行く人に助けを求めても相手にされないどころか加害者扱いされる始末である。殺人鬼に対する命乞いとして縷々開陳される彼女の夢は、押し隠してきた聾啞のつらさの吐露となっている。そして、その告白というダメ押しによって、どんなに鈍感な鑑賞者であっても、映画の冗長ともとれる、やきもきさせられる展開が、戦略的に選択されたものであることに気付かないわけにはいかない。危険と隣り合わせで、急き立てられ、何より伝えたいことが思ったように伝えられない、聾啞者の心境そのものを鑑賞者は映画全篇を通じて追体験させられていたのだ。そして、再開発が進む無人のゴーストタウンという長い「トンネル」を抜けた先にある、人のごった返す煌びやかな繁華街もまた同じ「トンネル」であった。人や街(≒交通を始めとするインフラ)も、否、人や街こそが闇を構成しているのだ。サスペンスの衣装を纏わせて、その闇の打破(バリア・フリー)を訴える。ラストシーンには、苦しい思いにとらわれる夜がいつかあけて、明るい日差しが降り注ぐ幸福な世界の到来への希望が込められている。"미드나이트(midnight/真夜中)"という原題は、これ以上夜が更けることがないように、夜明けに向かうことを願って選択されたに違いない。