可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『空白』

映画『空白』を鑑賞しての備忘録
2021年製作の日本映画。107分。
監督・脚本は、𠮷田恵輔。
撮影は、志田貴之。
編集は、下田悠。

 

白い波を立てて進む漁船。添田充(古田新太)が野木龍馬(藤原季節)に厳しく指示を飛ばしながら、網入れを開始する。曳き綱を延ばし、漁網をしばらく曳航する。網を揚げると、カニや貝などがかかっている。帰港し、カニをトロ箱に入れる作業でも、添田が野木に注文を付ける。網を繕いながら野木が添田の厳しさを他の漁師に愚痴っている。そんなら俺の船に乗るか? 添田さんいるのに他の船なんて乗れませんって。船降りるならホストでもやりますよ。まあホストってそんな髪してらあな。さっさと終わらせろ! 野木は添田にどやされる。
中学校の制服を着た花音(伊東蒼)が海岸沿いの道を歩いている。飛び跳ねるような周りの生徒たちとは違って、1人静かに登校している。教室では、入学式に向けた飾り付けの準備が進められていた。美術部に所属する花音は、花の飾りを1輪1輪丁寧に作っている。クラス担任の今井若菜(趣里) が花音に声をかける。このペースで作っていて間に合う? これまでに作った個数とかかった時間から考えて、残りを作るのにどれくらい時間が必要か考えないと。それか他の人に手伝ってもらうとか。自分から考えて行動しなさいね。花音は学校帰りに母親・松本翔子(田畑智子)に会いに喫茶店に立ち寄る。花音はそこでも花の飾りを作り続ける。母は娘の作業を手伝うが、娘のように綺麗に仕上げられず困惑する。母は再婚した夫との間の子供を妊娠していた。次にいつ会えるかと問われて金曜ならと答える母。そのとき旦那が一緒でもいい? 
添田が娘の花音と食卓を囲んでいる。繋留する船の件で揉め事が起きているらしく、食事中にも拘わらず、添田は頻繁に電話で連絡をとっている。学校のことで話があると何とか切り出した花音だったが、喧嘩腰で通話する父親に話を切り出せる雰囲気ではない。学校の話って何なんだ? …やっぱりいい。そこへ電話の着信が入るが、それは添田のものではなかった。電話持ってるのか、出せ! 添田は娘の電話にかけてきた翔子に文句を付ける。何でケータイ持たせたんだ! 中学生には早い! 言いたいことを言って電話を切ると、添田は電話を窓から投げ捨てる。花音が密かに電話を回収しに行くと、画面は割れていた。
添田の運転する軽トラックが工事現場に行き当たる。すいません、迂回をお願いします。ガードマンが軽トラの前に駆け寄る。通れるだろ、通せ! こちらは歩行者用の道になりますので…。どこに歩行者がいるんだよ! おい、コーンをどかして来い。助手席の野木は添田に命じられるまま、赤いコーンをずらしていく。添田の軽トラが「歩道」を進んでいく。
スーパー・アオヤギのバックヤードで、パートの草加部麻子(寺島しのぶ)がカゴ台車に思い荷物を積み上げている。店長・青柳直人(松坂桃李)が手伝いますよと声をかける。私、こう見えて筋肉あるんですよ。触ってみて下さい。店長に無理矢理上腕二頭筋を触らせた草加部は、店長も意外と筋肉あるんですねと店長の腕に触れる。戸惑う青柳。店長、またヴォランティアのポスター貼らせてもらっていいですか? 大きすぎないサイズなら構いません。売り場に戻ると、ベテラン店員から焼き鳥弁当はこれで終わりですと報告を受ける。焼き鳥弁当は先代からの看板商品だ。青柳は創業者である父が斃れて急遽跡を継いだ若き2代目だ。ふと化粧品コーナーの女子中学生に目が止まる。鞄にマニキュアを入れていた。君、話がある。手首を摑んでバックヤードに連れて行こうとすると、少女は腕を振りほどいて店の外に走り出す。青柳は慌ててその跡を追いかける。トラックなども頻繁に行き来する国道沿いを少女は走ってく。青柳もその跡を必死に追いかける。追いつかれそうになった少女は、道路を横断しようと駐車されていた車の影から一歩飛び出したところ、乗用車に跳ねられてしまう。動顚する青柳。少女が血を流しながらも立ち上がりかけたところを、今度は大型トラックがタイヤに巻き込んで引きずっていく。数十メートルの血の筋が残った。

 

漁師の添田充(古田新太)の娘・花音(伊東蒼)が交通事故で亡くなった。スーパーで万引きを咎められ店から逃走したところ、店長の青柳直人(松坂桃李)に追いかけられて、道路に飛び出したという。大型トラックに引き摺られた遺体の頭部は潰れ、眼球は飛び出し、娘の死に顔を確かめる術も無かった。化粧っ気の無い物静かな娘が化粧品を万引きするはずなどない。縦しんば万引きしたとしても、それは誰かに命じられて仕方なく行ったに違いない。あるいは、店長が淫行目的でバックヤードに連れ込もうとした可能性もある。添田は娘の死の真相を知るための行動を開始する。

以下、全篇について触れる。

交通事故によって突然に娘を失ってしまっただけでなく、物静かな娘に「万引き犯」の烙印が押されていることは、添田には到底理解できなかった。妻と離婚して、思春期を迎えた娘に、どう接していいか分からない無骨な(それは自分を慕ってくれている野木に対する接し方にも示される)添田は、できる限り干渉しないことが多感な時期を迎えた娘に対する配慮(≒愛情)だと考えていたのだろう。娘を奪われてしまったという心の「空白」は、まず、娘を奪った者に対する怒りの感情で満たされることになった。それはとりわけスーパーの店長・青柳に向けられることになり、あるいは車の運転手の謝罪を受け容れないことで、別の悲劇を生むことになる。添田は、怒りによっては娘の喪失(=空白)が埋められないことに気が付く。自分が見ることを避けてきた娘についての情報が何よりの「空白」であることを悟り、娘の好んだ絵画を自ら始めてみたり、娘の蔵書のマンガを読んでみたりする。野木が「時化た」添田の底にある愛情を感じ取っていたように、娘もまた父親の愛情を汲んでいた(そのように解釈したい)ことをラスト・シーンは暗示する。
古田新太松坂桃李を始め、事なかれ主義の教職員とか、中身の無いテレビ司会者とか、写真を一緒に撮って欲しいとねだる男とか、焼き鳥弁当復活を願う若者も含め、キャストは皆素晴らしかったが、敢えて挙げれば、若い店長にご執心の、正義のパートタイマー・草加部麻子役の寺島しのぶは、全てを飲み込んでしまうような底知れぬ力を感じさせたし(というか間違いなく本物の魔力を持っている)、わずかな登場ながら添田の心を動かす中山緑を演じて片岡礼子は説得力があった。 そして、一見軽そうで実は芯の確りした漁師・野木龍馬の藤原季節が魅力を放っていた。