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芸術鑑賞の備忘録

映画『国宝』

映画『国宝』を鑑賞しての備忘録
2025年製作の日本映画。
175分。
監督は、李相日。
原作は、吉田修一の小説『国宝』。
脚本は、奥寺佐渡子。
企画・プロデュースは、村田千恵子。
撮影は、ソフィアン・エル・ファニ。
照明は、中村裕樹。
音響は、白取貢。
音響効果は、北田雅也。
美術監督は、種田陽平
美術は、下山奈緒
装飾は、酒井拓磨。
衣装デザインは、小川久美子。
衣装は、松田和夫。
編集は、今井剛。
音楽は、原摩利彦。

 

1964年。長崎。雪が降り頻る中、料亭花丸では立花組の新年会が盛大に催されている。既に酔いの回った若い衆の諸肌脱ぎの姿もある。立花マツ(宮澤エマ)は息子の立花喜久雄(黒川想矢)が演じる「関の扉」の墨染の化粧を手伝っている。この山蔭の関の扉へ、いつの間に、どこから来た。関兵役の早川徳次(下川恭平)が科白を口に出すのに喜久雄が応じる。撞木町から来やんした。何しに来た。逢いたさに。そりゃ誰に。こなさんに。何、俺に。そりゃなぜ。色になって下さんせ。ほら、やるよ! マツが喜久雄の背に白粉を塗る。大阪の名優・二代目花井半二郎(渡辺謙)の到着を告げられたマツは慌てて宴席に戻る。組長の立花権五郎(永瀬正敏)が半二郎に挨拶し、盃を進める。半二郎が飲み干して盃を返す。いつまで長崎に? 月末までおります。どうぞよしなに。遠慮無く立花組に付けてくれてよかです。それにしても賑やかな新年会ですな。太鼓が鳴らされ、舞台「関の扉」の幕が上がる。関兵の徳次が坐っている。背後の桜樹の影から喜久雄の墨染が現われると、その美しさに宴席から溜息が漏れる。墨染が関兵の周囲を巡り、身体を反らせて振り返る。本格的でっせ。芸者じゃのうて、息子です。素人の余興ですので、お恥ずかしいことです。半二郎が目を見張る。いずくともなく見馴れぬ女。この山蔭の関の扉へ、いつの間に、どこから来た。撞木町から来やんした。何しに来た。逢いたさに。そりゃ誰に。こなさんに。何、俺に。そりゃなぜ。色になって下さんせ。2人は舞台を降り、花道代わりの廊下を進み、はける。演技した2人は暑い暑いと楽屋代わりの部屋へ戻るや否や鬘や衣装を外し、化粧を落とす。マツがやって来る。上出来、上出来! 喜久雄、半二郎さんが話したいって。徳ちゃん、まだ背中痛かと? 喜久雄が徳次の彫物を見て尋ねる。痛かは女に抱きつかれたときだけばい。辰さんは何て? 立花組の総領の息子に彫りもんはって。肝が小さかね。そのとき怒声と悲鳴、扉が蹴破られる音が響く。カチコミだ。喜久雄が慌てて大広間に向かうと、既にそこら中で乱闘になっていた。酒の入った上に丸腰の立花組は分が悪く、卓袱台などで防戦一方。権五郎は腹を括り、子分たちが退くよう求めても動かない。喜久雄は半二郎に制止され小部屋に無理矢理退避させられた。権五郎は何人かを打っ棄り、雪の降る中庭に立つ。よう見とけ。権五郎は諸肌脱ぎになり、彫物を晒す。権五郎が拾い上げた刀でさらに応戦しようとしたところで銃弾が撃ち込まれる。さらに数発。いずれも命中。権五郎は雪の中に鮮血を散らし倒れ込んだ。喜久雄はガラス戸越しに雪が降り頻る中散った父の姿を目に焼き付ける。
喜久雄の背の梟に彫師(田村泰二郎)が色を差していく。その様子を喜久雄と恋仲の幼馴染み・福田春江(根本真陽)が見守る。春江の背にも彫物がある。
喜久ちゃん、仇を討つなんて考えとうやろ? 考えとらんて。うち、喜久ちゃん死んだら生きていかれへん。だから考えとらんて。うち、喜久ちゃんにどこまででも付いていくけん。
橋桁の下で喜久雄は徳次の手に入れたチャカとドスを確認する。喜久ちゃん、何ばしよっと? 橋の上を通りがかった春江に悟られる。
喜久雄は徳次と2人で敵の組の事務所に向かう。車に乗り込もうとしていた組長に無言で襲いかかる。
1年後。大阪。花井家の屋敷の前にタクシーが停まる。喜久雄とともに番頭の多野源吉(芹沢興人)が降りる。長旅でしんどかったやろからもう少し寝とったらいいわ。屋敷に入ると、源吉は喜久雄とともに稽古場へ向かう。大垣幸子(寺島しのぶ)が踊りの稽古を付けていた。
幸子が手紙を読む。今日からお世話になります、立花喜久雄と申します。不束者ですがどうぞよろしくお願い致します。喜久雄が丁寧に頭を下げる。あんたの母さん、堅気にさせたんでええの? 母は後添えですけん。立花組言うたらたいそうな組なんやろ? 組は畳みます。祖母も叔母も原爆症で亡くなってますけん、頼れる者はおりません。住み込みで稽古とすると、旦那さんにそう聞いとります。朝早うに着いてお腹空いたやろ。お昼にしようか。
黒塗りの車に乗せられて喜久雄は幸子と源吉とともに浪花座へ向かう。浪花座の前の通りには幟が立ち並び、大勢の人出で賑わっていた。立春大歌舞伎の看板の掛かる浪花座に入ると、幸子は擦れ違う者皆と次々に挨拶を交わす。楽屋口で幸子は神棚に手を合わす。その隙に着到番を触った喜久雄が叱られる。喜久雄が舞台裏に置かれた舞台装置や小道具に目を奪われていると、源吉からこっちやと呼ばれた。
楽屋では幸子が半二郎に問い質していた。本気で住み込みで稽古させるん? 犬の子拾うて来るみたいに言うな。あの墨染はよう覚えとる。素人やんな。幸子は納得がいかないが、半二郎の腹は決まっていた。半二郎は喜久雄に言う。俊介と一緒に学校に通ったらええ。今から花井東一郎や。俺が「半」弥やのにこいつが「一」郎て、意味分からん。半二郎の息子・大垣俊介(越山敬達)が愚痴をこぼす。今に「三」代目になるやろ。半二郎が俊介を宥める。曾我兄弟やで。親の仇討ったんやろ。しくじったとです。それでも度胸は買うで。

 

1964年正月。長崎の料亭花丸では立花組の新年会が盛大に行われていた。立花喜久雄(黒川想矢)は早川徳次(下川恭平)とともに余興で「関の扉」を演じる。長崎で新春興行を打つため挨拶に訪れていた大阪の名優・二代目花井半二郎(渡辺謙)は、喜久雄の玄人跣の墨染に目を奪われる。カチコミがあり、喜久雄の父・立花権五郎(永瀬正敏)が目の前で殺された。将来を誓う福田春江(根本真陽)とともに背中に彫物を入れた喜久雄は徳次とともに仇討ちを行う。1965年2月。喜久雄は大阪に出て、半二郎の丹波屋の住み込みの弟子・花井東一郎となる。半二郎の跡取り息子「花井半弥」大垣俊介(越山敬達)とともに厳しい稽古の日々を送る。半弥に京都で茶屋遊びに連れて行かれた東一郎は、芸妓の藤駒(見上愛)に日本一の役者になると見込まれ、妾にしてと懇願された。半二郎と女将の大垣幸子(寺島しのぶ)は2人が女形の芸に秀でていると、人間国宝・小野川万菊(田中泯)の「鷺娘」を見せることに。東一郎は楽屋挨拶で万菊から眉目秀麗な顔は役者には邪魔も邪魔、顔に食われちまいますからねと告げられた。1972年。歌舞伎興行を手掛ける三友の社長・梅木(嶋田久作)は、半弥(横浜流星)・東一郎(吉沢亮)の「二人藤娘」に感激し、京座で「二人道成寺」を打つと宣言、二人は大喜び。だが梅木の懐刀である竹野(三浦貴大)は、所詮余所者は最後に悔しい思いをすることになると東一郎に冷や水を浴びせる。京座で「二人道成寺」に臨み緊張する二人に、半二郎は半弥には役者の血が守ってくれると伝え、東一郎には7年間稽古を一度も休まなかったと励ます。幕が開くと「二人道成寺」は大喝采、「東・半コンビ」は一躍スターとなった。東一郎は春江(高畑充希)に結婚を申し込むが、春江は東一郎の一番の贔屓になってみせると答えた。

(以下では、結末も含め、全篇の内容について言及する。)

喜久雄は思春期に美に魅入られた。美の原体験は、カチコミを受け、死を受け容れて見事に散った父親の姿である。舞い散る雪、背中の刺青、銃撃による鮮血。
本来、喜久雄もまた、父とともに死ぬはずだった。死を受け容れた喜久雄が親の仇を討とうとするのも、父親のように美しく死にたいとの思いに囚われているためである。しかし死ねなかった。否、喜久雄は死んだのである。東一郎に転生し、只管美を追い求めることになる。
東一郎が美に殉じる者であることを見抜いた藤駒は慧眼である。愛する人のいることを見抜き、自らは2号、3号でも構わないと、日本一の役者を生み出すために全てを賭けると誓う。以降、藤駒はほとんど画面に姿を現わさない。言葉もほとんど発さない。藤駒こそ、万菊らと並び、日本一の役者を生み出す立役者なのだ。
藤駒の娘・綾乃(森千紘)は、三代目半二郎を襲名した父から、日本一の役者になるためにそれ以外の全てを抛つ契約を悪魔と交わした聞かされる。綾乃が追い縋っても、半二郎は決して娘を見ない。後年、カメラマンとなった綾乃(瀧内公美)は、人間国宝となった半二郎に目線を要求する。幼い頃の綾乃が父親に送られなかった目線を取り戻そうとするかのように。しかし、綾乃は既に取り戻す必要はないと分かっていた。黒子に徹した母親の思いを理解し、また父親の思いを理解しようと努めてきた結果、父親の生み出す美の境地に、それを生み出すための苛烈な犠牲が必然であったことを受け容れていたのである。
春江もまた、東一郎が美に殉じる者であることを早くに悟っていた。だから身を退いた。そして、やはり芸のために父親に切られた半弥にシンパシーを感じたのである。春江が半弥とともに歩むことにする件を『曽根崎心中』に絡めて描く場面は、本作の白眉である。そして、袂を分かつことになった半弥と三代目半次郞が再び共演する『曽根崎心中』では、役者の血に呑み込まれた半弥の姿を、糖尿病により壊死する足の形で表現する。
人間国宝となった三代目半次郞が『鷺娘』を演じる。若き日に見た万菊の『鷺娘』により、万菊の後継者となったことが暗示される。そして、『鷺娘』の最後で、美の原体験である父の死のイメージを見事摑み取るのである。