可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『あしたの少女』

映画『あしたの少女』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の韓国映画
138分。
監督・脚本は、チョン・ジュリ(정주리)。
撮影は、キム・イルヨン(김일연)。
照明は、キム・ミンジェ(김민재)。
美術は、チェイム(최임)
編集は、イ・ヨンリム(이영림,)。
音楽は、チャン・ヨンギュ(장영규)。
原題は、"다음 소희"。

 

韓国南西の都市・チョンジュ。ダンススタジオで鏡に向かい、ライトグレーのスウェット姿のキム・ソヒ(김시은)がイヤホンの音楽に合せて踊っている。息を切らし、何度も床に崩れ落ちるが、その度に立ち上がり、再び踊り出す。とうとう床に尻餅をついて動けなくなったソヒは、スマートフォンで撮影していた動画で自らの動きを確認する。
地下のスタジオを出て、夜の商店街を歩く。街頭のモニターは大学受験シーズンの到来を報じている。そのときミニスカート姿のチュニ(정회린)がソヒに向かって駆け寄ってくる。寒そうな格好だね。ライヴで配信するからね。雪が降ってきた! 2人は通りを駆け出す。
コプチャン店。ソヒと卓を囲むチュニはアームを付けたスマートフォンで自撮りしている。もう40人が見てくれてるよ。もう40人! みんな、ここはチョンジュで最高のコプチャン店。今日はソヒと一緒です。チュニが向かいのソヒもカメラに映り込ませる。今配信してるの? そう。コメントも付いてるよ。私にカメラを向けないでくれる。さっきも言ったけど、彼女は私の友達。最高のダンサーだよ。次の試合に向けてダイエットするから今日は食べ納めです。分かります? 涎が垂れちゃいますね、肉の焼ける音を聞くと…。猫も杓子も配信できる時代だからな。隅のテーブルに坐っていた若い男が敢てチュニに聞こえるように連れの男に話し出す。動画専用のカメラかスマートフォンさえあればアプリがどうにかしてくれる。色温度も知らない連中がさ。食レポでもしときゃ馬鹿が投げ銭するんだよ。まあせいぜい俺たちみたいな負け犬は酔っ払おうぜ。おっさん、投げ銭したことあんの? ソヒが男に食ってかかる。何だ、俺に言ってんのか? おっさんに関係ないんだよ。ソヒの怒りは既に沸点に達して、チュニの制止を気に留めない。何だよしょぼチンが。おっさんのよりでかいだろ。やろうってのかよ! ソヒが男に殴りかかるそぶりを見せる。動揺しつつも引き下がらない男にソヒは頭突きする。殴りたきゃ殴りなよ。通報して見ろ。お前がしょぼチンだって抜かしやがったんだよ!
チョンジュ生命科学高等学校。担任の教師(허정도)が教室に入って来て、動物看護専攻のキム・ソヒと高らかに呼ぶ。手を挙げる、ソヒ。生徒たちがどよめく。
別の教室でソヒが担任と面談する。苦労したよ。遂に大手企業に生徒を送り込めることになった。担任は嬉しそうに職場での実習について説明する。ソヒ、お前の努力が遂に報われたんだよ。担任はソヒに書面を差し出す。ヒューマン&ネット? 聞いたことないんですけど。通信大手エスプラスコリアのサーヴィスセンターだよ。下請けじゃない? 子会社みたいなもんだ。この書類にサインして、保護者のサインももらってくれ。ソヒが現場実習誓約書にサインする。
ソヒは郊外にある工場を訪ねる。女性会社員をイメージして白でコーティネートし、スカートを穿いている。工場から出てきた1年先輩のテジュン(강현오)はソヒの姿を見て笑う。何だその格好、不動産関係? ソヒはコートを脱ぎ捨てると、ヒールのまま踊り出す。テジュンもソヒと同じ振り付けで踊り始める。ターンの場面でソヒは転んでしまう。俺もまだいけるな。身体が覚えてる。久しぶりに踊ったテジュンは気分を良くする。私だってこんなスカート穿いてなけりゃね。再び踊り始める2人。
トラックの運転席に並んでソヒとテジョンがハンバーガーを食べる。職場の研修に行ったらメイクアップの講習だった。唇が刺激的過ぎないようにとか、ほんのり赤くすれば十分だとか、コーラルピンクがトレンドですとか。ポテトで唇をなぞってみせるソヒ。お前のコーラルピンクはどこに行ったんだ? ケチャップしか付いてないぞ。二重にしろとか食べる量減らせとか。やんなっちゃった。面接はどうだったんだ? そのためにこの格好にしたのに、ただ明日から出勤しろって。ダンススタジオも行けない。お前が辞めたらあのスタジオ、年寄りしかいなくなるな。分かってる。たまには行くよ。気にするな上手くはならない。どうでもいいでしょ。これからは事務系OLだからね。ソヒがPCに向かってキーボードを打つフリをする。
ヒューマン&ネットの社屋。ソヒが他の2人の研修生とともに男性スタッフに連れられて職場に入る。フロアには低いパーテーションで仕切られたブースがびっしりと並び、ヘッドセットを付けた女性がPCに向かって通話している。圧倒される3人は課長(심희섭)の机に案内される。実習生の皆さん、ようこそ。第3課課長のイ・ジュノです。ウナ、ミョンギョン、ソヒですね。同じ学校かな? いいえ、私はチョンジュ生命科学高校から来ました。私たちはチョンブク商業高校です。そうですか。昨年から実習生を受け入れ始めました。実習生は皆さん真面目で良い働き手ですよ。プレッシャーをかけるつもりはありませんが、最善を尽して下さい。チーム長は実践的に学ぶのがいいだろうとジウォン(윤가이)に従うよう指示する。ソヒはジウォンのブースで隣に坐り、実際の顧客対応を見学する。

 

韓国南西の都市・チョンジュ。チョンジュ生命科学高等学校で動物看護を専攻するソヒ(김시은)は、通信大手エスプラスコリアの関連会社に実習生の受け入れ枠を作ったと自賛する担任教師(허정도)から、コールセンターを運営するヒューマン&ネット社での実習を言い渡される。配属先の第3課課長イ・ジュノ(심희섭)は習うより慣れろとソヒにジウォン(윤가이)の顧客対応を見学させる。顧客通信回線契約の解約を求める顧客に違約金の発生や商品券の提供を伝えて翻意させ、契約の継続・延長を求めるのが業務内容だった。しかも待たされ、何度も電話をかけさせられて苛立つ話し相手が怒鳴ったり、暴言を吐いたりすることも少なくない。課長のサポートを受けながら初めて電話を受けたソヒは、相手に憤慨され、電話を切られてしまう。巡廻に来た担任教師は社内の状況を少しも確認することなく、駐車場に停めた車の中でソヒと面談する。過酷な労働環境に戸惑うソヒの思いに耳を傾けようとせず、担当学級の就業率が低いから辞めるなとプレッシャーだけかけると、保護者向けの雇用契約書とは別の実習契約書に署名させる。その契約書こそ、実習生に社員と同じ労働をさせながら給料を低く抑える、企業にとっての打ち出の小槌であった。残業のために好きなダンスをする時間も無く酷使されるソヒの心は荒み、疲弊していく。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

就職のための専門技術を習得させる特性化高校(특성화고)は、生徒の就職率だけで評価され、予算が配分される。教師は就職に繋がる実習先の開拓に血眼になり、生徒の学んだ技術など関係なく企業に押し込むことに躍起になる。企業は生徒を受け入れる条件として、雇用契約書とは別に用意した実習契約書を特性化高校に求める。この裏の契約書により、社員と同じ労働をさせても給料や待遇を低く抑えることができる。専門外の分野で低賃金・長時間労働を強いられる生徒は離職に追い込まれるが、特性化高校は就業率を下げまいと、彼ら/彼女らにペナルティを課す。ペナルティを回避したい生徒は自主退学する羽目になり、仕事は疎か卒業資格も失うことになる。そのような生徒は資質に問題があったとされ、過酷な職場環境や労働条件は維持される。
ソヒはコプチャン店でチュニを馬鹿にする男に食ってかかるなど鼻っ柱が強い人物として描かれる。勤務先の課長イ・ジュノ自死すると、労働問題の発覚を恐れる会社から求められた遺書の内容を否定する念書へのサインを最後まで拒み、禁じられた課長の葬儀に参列する。そんなソヒですら、特性化高校からも両親からもプレッシャーをかけられて、好きなダンスをする時間も無く追い詰められる。足元に射し込んだ光に誘われたのは、全てを終らせる、凍るような冷たい水の中だった。
冒頭、ダンススタジオで1人で踊る姿は、ソヒが過酷な状況で必死に生きようとした姿を象徴的に伝える(最後に改めて映し出されるソヒのダンスもまた印象的であり、効果的である)。
キム・ソヒの自死を捜査する刑事オ・ユジン(배두나)は、キム・ソヒの足跡を辿りる。劣悪な職場環境を隠蔽しソヒの資質を糾弾する企業の経営陣や管理職、数字しか見ずに自らの責任を何ら感じない学校の教師や教育庁の職員。ユジンはソヒの感じた怒りを体感し、ソヒが会社で試みたように、ユジンも警察組織の中で必死に抵抗する。ユジンとソヒとは一体化する(ビールを飲んだり、愚弄する人物を殴ったりする場面が象徴的だ)。そして、鑑賞者もまた、ユジン=ソヒと一体化するだろう。
原題"다음 소희"(直訳すれば、「次のソヒ」)には、ソヒと同じ様な状況に陥る生徒が再び現われることがないようにとの願いが込められている。