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芸術鑑賞の備忘録

映画『女子高生に殺されたい』

映画『女子高生に殺されたい』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の日本映画。
110分。
監督・脚本は、城定秀夫。
原作は、古屋兎丸の漫画『女子高生に殺されたい』。
撮影は、相馬大輔。
照明は、佐藤浩太。
録音は、竹内久史。
美術は、黒羽陽子。
ヘアメイクは、内城千栄子。
衣装は、加藤みゆき。
編集は、相良直一郎。
音楽は、世武裕子
音響効果は、井上奈津子。

 

大学生の東山春人(田中圭)がビデオカメラに向かって質問に答えようとしている。僕の望みは…。東山の言葉が続かない。
新年度初日を迎えた二鷹高校。桜が咲き誇る中、生徒が次々と登校してくる。その中に新任の東山の姿があった。彼の端麗な容姿は、すぐさま女子生徒たちの興味を引き付けた。だが新2年生の小杉あおい(河合優実)は東山の姿を見ると、何故か疼痛に襲われてしゃがみ込んでしまう。一緒に登校していた佐々木真帆(南沙良)があおいを介抱し、保健室に連れて行く。
あおいを保健室に連れて行った真帆は体育館に向かい、始業式に参加する生徒の列に加わる。校長が話を終えて、新任の東山を紹介するところだった。演台を前に立った東山が挨拶し、日本史を教えること、2年C組の担任となること、遺跡など史跡に恵まれた二鷹に赴任できたことは望外の喜びであることなどを語った。
人気者の東山は、女子生徒たちから行く先々で話しかけられる。前髪切ったの気付いた? ああ気付いたよ。どう? いいね。
昇降口にある水槽を眺めていると、あおいが真帆に告げる。この大きな魚は死ぬよ。まだ元気そうなのに…。
いつも愛し合っているなと声をかけ、川原雪生(細田佳央太)が真帆に借りていたノートをお礼のチョコレートとともに渡す。
教室のベランダであおいが植木鉢の植物に声をかけている。真帆は雪生からもらったチョコレートをあおいに分けると、口にする。真帆の姿を教室から雪生が眺めている。
日本史の授業で、東山が元寇の解説をしている。保健室にいるあおいが日本史の授業にだけは顔を出すのって、まさかあおいも東山に気があるんじゃない。あおいを揶揄う女子生徒のおしゃべりは、あおい本人にも聞こえている。東山が私語を止めて授業に集中するよう注意する。
廊下に貼り出された遺跡探索部のチラシを見た真帆は、あおいに一緒に入部することを提案する。あおいは逡巡する。真帆が1年生の時に二鷹古墳についてレポートを書いたことをアピールすると、あおいは真帆のレポートの内容を諳んじてみせる。驚く真帆。結局あおいは真帆とともに遺跡探索部に入ることにする。
あおいが死を予言した魚が水槽で浮いているのを目にした2人は、校庭の角に死骸を埋めてやった。
東山が自ら創部して顧問を務める遺跡探索部。東山は二鷹古墳の出土品を部員に見せ、その装飾が東北地方のものと類似することや、交易ではなく移住者による制作の可能性などを指摘する。東山が真帆に近付くと、あおいは然り気無くその間に割って入った。
職員室では東山の机を女子生徒が囲んでいる。東山の隣に机のある地歴教師(キンタカオ)が生徒たちを追い払う。先生も気をつけて下さいよ。前任者の件はお聞きになってるでしょう? 生徒との淫行ですよね。声が大きいですよ。生徒をそういう目で見ることは僕には考えられないので。
前任者が退職することになった生徒との関係を教育委員会に伝えたのは東山だった。

 

二鷹高校では、日本史担当の教師が不祥事で退職したため、新年度に当たって欠員を補充するため東山春人(田中圭)が赴任することになった。甘いルックスと気さくな性格で瞬く間に女子生徒たちの人気者になった東山だが、前任者の不祥事を教育委員会にリークしたのは彼だった。かつて臨床心理士になるべく大学で心理学を学んでいた東山は、強制猥褻事件の被害者であるとともに、加害者の首を絞めて殺害した美しい少女を研修先で知る。思春期から美しい女子高校生に首を絞めて殺される妄想に悩まされてきた東山は、その少女を利用することで完全犯罪によって自らの願望を実現する可能性に気が付く。東山は突然進路を教員へと変え、少女の進学する高校の教師になるべくあらゆる手を尽したのだった。
東山が担当する2年C組の小杉あおい(河合優実)は、その鋭い感受性ゆえか予知能力に長けている。小学4年生のとき転校してきた佐々木真帆(南沙良)だけが彼女の理解者であり、2人は固い絆で結ばれている。遺跡に興味がある真帆から、東山の創部した遺跡探索部に一緒に入部しようと誘われたあおいは、断れず受け容れる。
同じく2年C組の君島京子(莉子)は演劇部員。図書室で学園祭のクラス演劇の脚本を書いていると、東山からある映画を見るよう勧められる。

東山春人は、誕生時に臍の緒が首を締め付けていたというイメージに囚われており、思春期には、美しい女子高校生を見ると首を絞められる妄想に取り憑かれるようになる。それが「オートアサシノフィリア」であることに気が付いた東山は、その治癒のために心理学を志したが、臨床心理士になるための研修先の病院で自己の願望を実現できる可能性を持つ少女との出会いをきっかけに、むしろ本願を実現のための周到な計画を立て、着実に実行していく。
大人の男の首を絞めて殺すにはかなりの力が必要になるため、単に美しい女子高校生というだけでは足りない。東山が研修先の病院で出会った少女は、彼女を襲った大柄な男性を、彼の抵抗にも拘わらず、コードで絞め殺していた。彼女が危機に陥った際、彼女の中に別の人格が現れ、その人格が殺害を実現したのだ。さらに、彼女を守るために、少女と「殺害者」との間に緩衝となるような人格も生み出されることになった。
東山の「オートアサシノフィリア」の原因の1つは、誕生時に臍の緒が首を締め付けていたというイメージである。だが、彼がそのイメージに固執するのは、母親によるネグレクトにあることが示唆される。東山は、幼少期に、「放任主義」であった母親の注目を惹き付けたいがために、玩具店で駄駄を捏ねたところ置き去りにされた、トラウマとなった経験を告白している。
東山は、完全犯罪により、自らを殺害させるよう仕向ける少女が罪に問われることのないよう綿密な計画を立てる。だが、東山がターゲットとする少女こそ、自らのトラウマを逃れるために多重人格者となっており、東山が執拗に彼女の殺害者の人格を呼びだそうとすることは、自らの欲求を実現するために少女を玩具にしようとしたチャイルド・マレスターと異なるところはない。
心とは何か。私たちの首を絞めつけるロープであるのか。エンターテインメント作品を通じて、監督が真摯にかつ直球で問いかけてくる。