可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『世界が引き裂かれる時』

映画『世界が引き裂かれる時』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のウクライナ・トルコ合作映画。
100分。
監督・脚本は、マリナ・エル・ゴルバチ(Марина Ер Горбач)。
撮影は、スベトスラフ・ブラコフスキー(Святослав Булаковський)。
音楽は、ズビアド・ムゲブリー(Звіяд Мгебрішвілі)。
原題は、"Клондайк"。

 

2014年。ウクライナ東部ドネツク州にある小村。夜、イルカ(Оксана Черкашина)が夫のトリク(Сергій Шадрін)に呟く。私がどんな夢を持ってるか知ってる? どんなだよ? 全てが終ったら穴に大きな窓を取り付けるの。大きな窓か、ヨーロッパで見かけるような。そうね。新しい屋根を架けよう。床暖房にして全て作り変えよう。子供のために。家を建て直さないと。新しい家具も買おう。椅子、テーブル。テレビの台は捨てて、新しいのが欲しいわ。刻んで薪にする方がいいさ。キャビネットは用意する。イルカ、どうした? もう始まったか? ソファに横になっているイルカの様子をトリクが窺う。怖いの? 怖くなんかないさ。壁には夕陽に照らされた海岸の壁紙が張られている。気分はどうだ? 今日は吐いたのか? イルカがソファからしんどそうに起き上がる。もう5ヶ月は吐いてない。どこに行ってたの? 車を取りに。おむつは手に入れた? いや。車を取り戻したの? ああ。おむつはいつ? まだ早いさ、後で買うよ。トリクがごそごそと部屋の中で探しものを始める。鞄はどこにやったんだ? どの鞄? 病院に持っていく鞄だよ。もう産まれる人がいるの? お前は年がいってるんだ。早めに病院に行った方がいい。何の話? 何故今なの? 出産したらお前の乳房は大きくなるさ。私の胸の話なんかどうでもいいでしょ。イルカ、行こう。お前のために病室を手配したんだ。どこへ連れてくつもり? 身重のイルカがトリクのもとに苦労して近付く。服を着るんだ。トリクが服を渡す。どこへ行くの? 戦争のないところさ。そのとき家に爆弾が命中する。
家の壁が崩れ、朝焼けの空と地平線が見渡せる。イルカが立ち上がり、ふらふらとソファまで歩いて腰を下ろす。
2014年7月17日。
止まれ! トリクが自動車の後を追いかけて走る。サーニャ! サーニャ(Олег Шевчук)はトリクの自動車で走り去る。
イルカが壁の落ちた家から壊れたベビーカーを外に出そうとして瓦礫の上を引き摺っていた。トリクが駆け付ける。大丈夫か? 手伝うよ。足は大丈夫か? ベビーカーはどうするわけ? 車は? サーニャが乗って行ってしまった。サーニャが? サーニャの野郎! 奴が買った車なわけ? 何で奴が運転してるの? 何で奴が私たちの車を乗り回してるのよ! 頼むよ、そんなに腹を立てないでくれ。黙ってて。誰がやって誰がやってないかなんてどうでもいい! 奴らはベビーカーを爆破したの! 子供をどうすればいいの? 心配するな。分離主義者どものモノを引き千切って望み通り分離させてやるわ。トリク、私たちの車を取り返してきて。明日、新しいベビーカーを買うの。イルカ、本当に大丈夫か? トリク! イルカに凄まれたトリクは慌てて出て行く。

 

2014年7月。ウクライナ東部ドネツク州。ロシア国境に近い小村ハラヴォベでは傭兵組織が分離主義者住民たちを使って実効支配を進めていた。イルカ(Оксана Черкашина)は親ロシアの分離主義者たちに反感を抱きながら、イルカの弟ヤリク(Олег Щербина)がキーウに出て行った後も留まり、農業を営んでいた。夫のトリク(Сергій Шадрін)は分離主義者として活動しているサーニャ(Олег Шевчук)に活動に加わるようしつこく勧誘されるも、妻との関係から自らの立ち位置を決められないでいた。トリクは高齢妊娠を理由に紛争地帯から外れた病院にイルカを連れ出そうとしていたところ、家に爆弾が打ち込まれ、壁が崩れ落ちた。激昂するイルカ。サーニャはトリクに誤爆だったと説明する。その直後、ロシアから運び込まれた地対空ミサイルがアムステルダム発クアラルンプール行きの民間旅客機を誤爆する事件が起こる。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

傭兵たちはロシアの後ろ盾をいいことに我物顔で振る舞い、分離主義者の住民たちは傭兵達の顔色を窺って生活している。イルカは分離主義者たちに反感を抱きながら暮らしている。トリクは分離主義者として活動するサーニャから活動に加わるよう促されるが、妻との関係から踏ん切りが付かない。そんな中、イルカの家が爆撃を受ける。サーニャ誤爆だと説明し、家の再建に協力すると言うが、ロシアに協力しないイルカに対する脅迫であることは明白だった。サーニャに引き続き勝手に車を使い回され、傭兵たちの食事の提供を求められるトリクは、従わざるを得ない。分離主義者に対して怒りを募らせるイルカと、生きるためにロシアに協力しようとするトリクとの間の不和が否応なく高まる。
家に開けられた壁、そしてそこにずかずかと入り込む傭兵たち。イルカの家はロシアに蹂躙されるウクライナを象徴する。そして不条理に耐える身重のイルカが不屈のウクライナを体現する。
とりわけ冒頭の、家が爆破された後にゆっくりとカメラが回転して状況を映し出しながら場面を転換するシーンが典型的だが、静かに映像を提示する手法が印象的である。
地平線まで拡がる大地と鳴き声をあげる家畜の長閑さ。そこに入り込んでくる銃を構えた傭兵、さらには巨大なミサイルの不穏さの対照的な映像。項垂れた向日葵が立ち並ぶ畑とそこで遺体を捜索する兵士たちによるウクライナを象徴する映像。大地に取り残された撃墜された飛行機の翼と、そこに佇む娘を失ったオランダ人夫婦の言葉無く佇む姿、さらには夜陰に乗じて翼が撤去されるシーンも、戦闘行為を描くことなく「戦争」を伝える。
激しい痛みの後に希望が生まれる、との願いが作品には籠められている。