可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『バービー』

映画『バービー』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のアメリカ映画。
114分。
監督は、グレタ・ガーウィグ(Greta Gerwig)。
脚本は、グレタ・ガーウィグ(Greta Gerwig)とノア・バームバック(Noah Baumbach)。
撮影は、ロドリゴ・プリエト(Rodrigo Prieto)。
美術は、サラ・グリーンウッド(Sarah Greenwood)。
衣装は、ジャクリーン・デュラン(Jacqueline Durran)。
編集は、ニック・ヒューイ(Nick Houy)。
音楽は、マーク・ロンソン(Mark Ronson)とアンドリュー・ワイアット(Andrew Wyatt)。
原題は、"Barbie"。

 

岩だらけの沙漠。少女たちがそれぞれ赤ん坊の人形を抱いたり乳母車に乗せてたりしている。人形を置いて、鍋をかき混ぜたり、アイロンを掛けたりと、おままごとをしている。
太古から、それは最初の少女が現れて以来ということですが、ずっと人形は存在してきました。しかし、人形は常に赤ちゃんの姿をとってきました。ですから、人形と遊ぶ女の子は母親の役割しか演じることができなかったのです。楽しい役回りではありえます。少なくとも差し当たっては。母親に聞いてみたらいいでしょう。この状況はバービーの登場により、全くと言っていいほど変わってしまいました。
寄り添って眠っていた少女たちが、何かの気配に目を覚ます。ストライプの水着を身に付けたスタイルの良い女性が立っていた。但し、身長は10メートルもあろうかという巨大さだ。彼女はサングラスを外すと、少女たちに微笑みかけウィンクしてみせる。彼女こそ「バービー」(Margot Robbie)だった。少女たちは手にしていた赤ちゃんの人形を叩き付けて破壊し、あるいは放り投げてしまう。
ストライプの水着、赤いスーツ、フライトアテンダントの制服、ボヘミアン・ワンピースに宇宙服。様々な衣装の女性たち。彼女たちは全員バービーです。そして、バービーは全ての女性でもあります。最初は水着を着た女性でした。しかし、彼女は次第に様々な役割を果たすようになりました。自分のお金、自分の家、自分の車に自分のキャリア。バービーは何だってできるのです。だから女性も何にだって成れるのです。現実世界の幼い女の子たちにバービーの姿は反映されてきました。少女たちは自分が心に決めたあらゆることを実現する女性に成長できるのです。バービーのおかげでフェミニズムや平等に関するあらゆる問題は解決されました。少なくともバービーたちはそう考えています。
バービーたちの暮らすバービーランド。「バービー」(Margot Robbie)がピンクでコーディネートされた部屋で目を覚ます。ベッドから起き上がると、隣に住むバービーと挨拶を交わす。チェスをするバービーたち、ゴミを片付けるバービーたち、「バービー」はバービーたちと次々と手を振り合う。シャワーを浴びた「バービー」はピンクのギンガムドレスに身を包む。滑り台で階下に降りると、冷蔵庫からミルクを取り出し、焼きたてのワッフルの朝食を取る。「バービー」はふわりと宙に浮かび、ピンクの車に乗り込む。
車に乗っても皆との挨拶は続く。バービーの他にもスキッパー(Erica Ford)や妊娠しているミッジ(Emerald Fennell)――販売元のマテルにやり過ぎたとの理由で廃盤にされてしまったが――の姿もある。商店が立ち並ぶ目抜き通りでは道路の補修もバービーたちが行っている。
大統領官邸では大統領のバービー(Issa Rae)が記者の質問に答えている。ノーコメントと。ホールで行われているノーベル賞の授賞式では、ジャーナリストのバービー(Ritu Arya)に報道賞が、作家のバービー(Alexandra Shipp)に文学賞が授与された。最高裁判所では弁護士のバービー(Sharon Rooney)が長官のバービー(Ana Cruz Kayne)に企業の献金言論の自由と等価に考えるべきではないと主張し、傍聴人から喝采を浴びている。飛行機の機長のバービーや宇宙遊泳する宇宙飛行士のバービーたちとも挨拶を交わした「バービー」は、海岸へ車を走らせる。サーフボードを抱えたケン(Ryan Gosling)がバービーを待ち構えていた。

 

女の子が遊ぶ人形と言えば赤ん坊と相場が決まっていた状況を1959年にマテル社が覆した。同社の「バービー」と名付けられた人形は、白と紺のストライプの水着をエレガントに着こなす女性だったのだ。「バービー」は大ヒットし、続々と様々な衣装を身に付けたあらゆる役割を果たすバービーがラインアップされた。バービーたちがロールモデルとなり、バービーを手にした少女たちは憧れの自分を実現することができる。バービーたちはそう信じて疑わなかった。なぜなら平行世界バービーランドでは、全てのバービーたちが自分の果たす役割に満足し最高な毎日を繰り返していたからだ。
ある日「バービー」(Margot Robbie)は目を覚ますと、いつものようにシャワー浴び、ギンガムドレスに着替えて、ミルクとワッフルの朝食を取ると、車で家を出る。バービーたちと挨拶を交わし、向かったのは海岸。そこでは「ケン」(Ryan Gosling)たちがバービーを待っている。海岸でバービーを待つのが「ケン」たちの仕事なのだ。「ケン」は波乗りに挑戦しようとして硬い波に弾かれるがすぐに恢復する。夜、「バービー」は盛大なダンスパーティーを開く。その最中、「バービー」は死について考えたことがあるかとバービーたちに尋ねる。その瞬間にバービーランドが凍り付く。死ぬほど踊りたいってことよと機転を利かせ、「バービー」はその場を乗り切る。だが翌朝、「バービー」は自らに生じる異変に気が付く。

(以下では、冒頭意外の内容についても言及する。)

バービーランドという平行世界では、バービーたちがあらゆる職業で活躍する一方、ケンたちはビーチでその肉体美を誇示しながら、バービーたちがやってくるのをただ待つ存在である。ある日「バービー」は死について口にしたのをきっかけに、自らの身体の異変に気が付く。高台の奇妙な家に住む事情通のバービー(Kate McKinnon)に相談すると、現実世界――バービーで遊ぶ少女たちの暮らす人間の世界。自動車、ボート、ロケット、自転車、キャンピングカー、スノーモービル、そして何より黄色いインラインスケートで移動可能――で持ち主に会うよう求められる。「バービー」は現実世界をバービーランドを反映する世界だと思っていたが、現実世界はむしろ反転する世界であったことに当惑する。「バービー」の車に忍び込んで現実世界を訪れた「ケン」は、バービーランドでのバービーたちの役割を全て男性たちが担っていることに感銘を受ける。バービーランドに戻った「ケン」は、自らの理想を実現するべく奔走する。「ケン」の思想は植民地に植民者が持ち込んだ疫病のように瞬く間にバービーランドに広まっていく。
男性中心の現実社会を反転させた世界としてバービーランドを描くことで、また、「ケン」が現実社会で感銘を受けて――ビーチで肉体美を誇るだけの女性の添え物であってはならないと悟る――女性社会バービーランドを「ケン」たちの男性社会へと変革することで、現実社会の異常さを二重に炙り出して見せている。
マテル社――バービーを販売する会社でありながら役員は男性だけ――の秘書グロリア(America Ferrera)と娘サーシャ(Ariana Greenblatt)――「バービー」の持ち主――はバービーランドが男性社会へと反転して苦境に陥るバービーたちを救うために一肌脱ぐことを決意する。人間の女性・少女たちがバービーランドをバービー中心として復興させるなら、バービーたちが信じるようにバービーランドが現実の鏡である以上、現実世界の男性社会を反転させる可能性が生まれることになる。

ピンクでコーティネートされた桃源郷としてのバービーランドがダンスシーンなどを交え華やかにコミカルに描かれる冒頭だけでも見物。エンターテインメント作品として見応えがある。
「バービー」の使うシャワーから水は出ないし、牛乳もパックから流れ出ない。3階から車に飛び乗ることだって出来る。バービーたちを俳優が演じながら、人形遊びの要素を活かすことで、バービーランドのバービーたちが想像力で暮らしていることを示す。
人形の足という設定を活かしていわゆる「KuToo」問題も織り込まれている。

(以下では、結末について触れる。)

バービーやケンに性器がないことが、「バービー」によって現実世界で言及される。それでもバービーランドの復興を成し遂げた後、現実世界に姿を現わした「バービー」が向かうのは、病院である。グロリアやサーシャに励まされ、ヒールを履かない「バービー」は受付で産科の受診を申し出る。「バービー」が現実社会で暮らすこと。それは絶対にあり得なかった社会が「生まれる」ことのメタファーである。バービーという人形遊びが、映画というフィクションが、現実の世界を現実に変えうることを示唆して、静かに映画は幕を迎える。