可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』

映画『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の日本映画。
100分。
監督は、酒井麻衣。
原作は、汐見夏衛の小説『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』。
脚本は、イ・ナウォンと酒井麻衣。
撮影は、平野礼。
照明は、本間光平。
サウンドデザインは、浅梨なおこ。
美術は、Ren。
装飾は、小林美智子。
絵画監修は、朝霧レオ。
スタイリストは、小泉美智子。
ヘアメイクは、外丸愛。
編集は、岩間徳裕。
音楽は、横山克と濱田菜月。

 

色葉高校の渡り廊下。舞い散る桜の花びらを摑もうとしていた丹羽茜(久間田琳加)は、向こうから深川青磁(白岩瑠姫)がやって来るのに気が付く。同じクラスになった深川君だよね。マスクをした茜が青磁に声をかける。俺、お前のことが大嫌い。青磁はそう言い捨てると立ち去る。
茜が自室の屋根裏部屋で目を覚ます。鏡に向かって睫毛を整える。本のぎっしり並ぶ書棚を回転させて部屋を出て階段を降りる。和洋折衷の歴史ある建物は喫茶店と接続している。喫茶店の客席では母・恵子(鶴田真由)が保育園に通う玲奈(佐藤恋和)に朝食を食べさせている。茜ちゃん、おはよう。今日は杏ジャムのトーストだよ。トレイに載せた朝食プレートを父・隆(吉田ウーロン太)が差し出す。珈琲だけ頂きます。じゃあ、代わりにお父さんが食べちゃおう。3人とは別のテーブルに坐り、茜が珈琲を飲む。
恵子が玲奈の手を引いて竹庭のアプローチを抜けながら、茜に玲奈の迎えとケーキの予約を頼む。ケーキ? お父さんの誕生日。茜は喫茶店の看板を運んで門に設置する。
保育園と高校は跨線橋までは同じ道を辿る。プレゼントは何がいいかな? 何でも構わないわ。でもお父さんて呼ぶのが一番喜ぶかな。跨線橋を渡り、おやつはドーナツがいいとおねだりする玲奈たちと別れると、茜は駆け出す。
バス停の黄色いベンチに腰かけた茜は鞄からマスクを取り出して着ける。
川岸の草地に寝そべった青磁が、両手の親指と人差指で枠を作って空に翳す。
2年A組の教室。色葉祭の演し物は多数決でラインダンスに決まったと学級委員長を務める茜が告げる。だが旧友たちは茜の話をろくに聞かずにお喋りに興じている。竹花沙耶香(箭内夢菜)が皆に茜の話を聞くよう声を上げてくれた。ダンスのリーダーを決めたいんだけど…。青磁がいい! でも最近あまり教室に顔を出さないから…。あいつならOKしてくれるよ。ヤダよ。そのとき青磁が窓から顔を出し、教室に入って来る。みんながリーダーに推してるんだけど…。みんながって何なんだよ。イヤだって言ってんだろ。俺は絵を描く時間を邪魔されるのだけは我慢できない。青磁が席に着く。取り付く島がないため、やむを得ず茜は自分がリーダーを務めるとみんなに言って話をまとめる。
青磁は口悪いから気にしないで。階段を降りながら沙耶香が茜を慰める。私も部活あるからダンスの練習に顔出せない。沙耶香がくれようとしたキャンディを茜は断って別れる。
美術室。スクリーンにはゴッホの自画像とゴーギャンの描いたゴッホ像とが並べて投影されている。岡崎先生(上杉柊平)は、2つの画像が同じ人物に見えないかもしれないと、自らが抱くイメージと他人から見たイメージとのギャップを指摘する。自画像の課題に当たり、自己イメージ探究の材料にするため、グループごとにお互いの印象を書き出すよう求める。順番に自らに寄せられたコメントを発表していく。茜の番になり、しっかり者だとか、いつもニコニコしているとの評価を読み上げた後、言葉に詰まる。…いつもマスクで本心を隠してる。青磁の記述だった。マスクは習慣なだけ。茜が否定する。
非常階段で一人弁当を食べていると、紙飛行機が飛んでくる。やっぱり隠してんじゃん、本心。青磁が教室から茜に言う。俺の絵なんて見たことないだろ。その場凌ぎの都合のいいことばかり言いやがって。だから嫌いなんだよ。
自宅の最寄りのバス停に到着した茜は手帖を開いてびっしり書き込まれた予定を確認する。
玲奈を連れ帰った茜は、食事の前にドーナツを食べている妹を叱り、風呂に入れ、歯を磨かせる。恵子が仕事の電話を受けながら帰宅。玲奈が母に纏わり付く。茜は母から洗濯物を畳むよう頼まれる。
ハーブティーを淹れた茜は、ソファで隆が玲奈に絵本を読み、その傍らに母が坐っている姿を遠目に見る。
屋根裏部屋で茜が机に向かい英語の問題集を解く。推薦を狙う茜は定期考査で得点して何としても評定を上げたい。眠気に襲われた茜は、ペンを爪に刺す。
茶店に行くと、既にモーニングの客がいた。お母さんは? 寝坊して出て行ったよ。接客する父が答える。茜も遅刻すると慌てて出て行く。茜ちゃん、ご飯は!
走る茜はバスが出て行くところを呼び止めて乗せてもらう。バスに飛び乗った茜はバッグの中にマスクが入っていないことに気が付き動揺する。茜の周囲が歪んで来る。
公園の通路で吐き気がしてしゃがみ込む茜。おい、こんな所で何してんだよ。自転車の青磁が通りかかる。邪魔なんだけど。遅刻すんぞ。茜の異状に気付いた青磁が自転車を降りる。具合悪いのか?

 

丹羽茜(久間田琳加)は、色葉高校の高校2年生。推薦での大学進学を目指し、A組で学級委員長を務めて諸行事にも率先して取り込んでいる。母・恵子(鶴田真由)は茜が小学生のときに離婚して、喫茶店を営む隆(吉田ウーロン太)と再婚、玲奈(佐藤恋和)が生まれた。茜は未だに隆を父親として受け入れることができず、家庭で居場所がない思いを抱いている。仕事で多忙な母に代わって玲奈の世話など家事に追われる茜は、勉強に手が回らず、成績が振わない。ある日寝坊した茜は、精神を安定させるために常に身に付けているマスクを忘れて呼吸が困難になり、気分が悪くなる。通りかかったクラスメイトの深川青磁(白岩瑠姫)が介抱してマスクを用意してくれたために事無きを得た。青磁は絵を描くことに没頭して好き勝手に振る舞うが、校内では男女を問わず圧倒的な人気を誇る。クラスが同じになった際、何故か茜に大嫌いだと告げた人物でもあった。色葉祭でのクラスの演し物であるラインダンスの練習に協力してもらえず途方に暮れる茜を見かねた青磁は、校内放送を使ってクラスの連中を集める。ラインダンスは青磁の仕切りで順調に仕上がったが、茜は蚊帳の外になってしまう。色葉祭の準備が進む校内を一人歩いていて、美術部の展示を通りがかった茜は、金網フェンス越しの空を描いた絵に惹き付けられる。お前、俺の絵見て感動したのか? 青磁が涙ぐむ茜に声をかけた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

茜は皆が引き受けたがらない学級委員長を――恐らくは学校推薦型選抜での進学を考えていることもあって――務め、皆から一定の好評価を得てはいるものの、地味なキャラクターである。対して、青磁は"Carpe diem"の精神で絵画制作を最優先し、主たるモティーフである――世界で二番目に美しい――空の表情次第で、教室に顔を出したり出さなかったりだが、その自由に振る舞いは、金罰に端整な顔立ちが映える青磁の魅力を高めこそすれ、損なわせることはない。人気者の青磁が茜に嫌いだとわざわざはっきり告げるのか。そこには夕暮れの――あるいは朝焼けの――黄みがかった青と茜色のような分かち難い結び付きがあることが明らかにされる。
青磁は茜に見えているものが世界だと訴える。裏を返せば、見えている世界とは、自らが世界をどう捉えているか、自ら(の思考)を映す鏡なのだ。映画が最初に映し出すのは鏡であり、茜の部屋、通学路のカーブミラーなど、とりわけ冒頭に鏡のイメージが繰り返し登場する。
茜は屋根裏部屋に自室を構えている。あるいは、父母妹の三人と別のテーブルに坐り、3人の団欒から距離を取る。父親の誕生日にはケーキを一緒に食べない(ラップで包む)。家族が茜を仲間はずれにしているように見える世界は、実は継父と、実母と継父との間の娘とを受け入れられないという茜自身の思考の反映なのである。
茜のマスクは仮面≒ペルソナであるとともに人生の海で潜水するための酸素ボンベである。青磁に屋上に引き上げられる際の丸い出入り口は潜水艦のそれであるようだ。
最初に青磁が茜を屋上に連れ出すシーン。カメラは青磁と茜の周りを回転して捉える。この回転運動は、後に青磁が茜を連れていく(廃止された)遊園地でも、コーヒーカップやメリーゴーラウンドなどで回転の動きによって示される。それは、時間の巻き戻しであり、青磁と茜との立場の入れ替えでもある。青磁が茜を自由な世界に誘う状況から、茜が青磁を導く星となる状況――スマートフォンのライトを点灯させた茜が暗い校舎内で青磁の前に現われる――へと役割が入れ替わるのだ(青磁が先行して駆け出すシークエンスと、茜が先行して駆け出すシークエンスとが対照される)。
茜と青磁が二人だけで朝を迎える場面も、絵具の交わりというメタファーで表現。
妹の面倒や家事に忙殺されていた茜が夜遅くに帰宅するようになり、朝帰りするに到るという、男ができると生活が一変するという点も非常に分かりやすい。
久間田琳加と白岩瑠姫とがシンデレラのようなファンタジーの世界を体現。