可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『I 人に生まれて』

映画『I 人に生まれて』を鑑賞しての備忘録
2021年製作の台湾映画。
105分。
監督・脚本は、ニー・ヤオ(倪曜)。
撮影は、フアン・ボウション(黄柏雄)。
美術は、チョン・ユウシュン(鄭予舜)。
衣装は、ワン・ユーウェン(王郁文)。
編集は、リァオ・チンソン(廖慶松)とドゥ・イーメン(杜怡門)。
音楽は、チュウ・チンラン(朱敬然)。
原題は、"生而為人"。

 

2008年5月。台湾北部。川の上を乱舞する無数のアゲハチョウ。左右の羽の模様が異なる1頭が群れを離れて住宅地に飛んでいき、2階の窓台に留まる。机にはデスクトップのPC。壁にはゲームのポスターが貼ってある。14歳の楊世南(李玲葦)はベッドで下着姿の女性の写真を見ながら自慰行為に耽っている。何してるの? 何でまた鍵をかけてるの? もうすぐご飯よ。部屋に入ろうとした母・陳潔(陳雪甄)が息子に声をかける。行くから。
食堂「歌林麵食」。世南の父・楊国英(李興文)が閉店後の清掃作業をしている。
夕食。父親はテレビで四川大地震のニュースに釘付けになっている。世南は下腹部の痛みで食事が喉を通らない。お腹が痛いの? うん。胃の調子が悪いみたい。胃薬を飲みなさいと母が水とともに錠剤を世南に手渡す。
清華国民中学の教室。皆が勉強に真剣に取り組んでいる。世南は腹痛でそれどころではない。ベルが鳴るとともにトイレに駆け込む。世南が用を足すと、小便器が真っ赤になる。驚く世南。トイレに入ってきた生徒たちが世南の血尿に気が付く。生理でも始まったんじゃないかと世南を馬鹿にする。世南はトイレを飛び出す。
ショックを受けた世南は帰宅中、行きつけの書店主からグラヴィア誌の新刊が入ったと声をかけられる。だがその声も世南には届かない。客に牛肉麺を出した母が帰宅した世南にも食べるか尋ねるが、答えることなく世南はとぼとぼと階段を上がって自室に籠もる。
世南がインターネットで血尿について調べる。膀胱癌の可能性が指摘されていた。世南は腹を押えてベッドに横たわる。
夕食。母が世南に美味しいわよと魚を食べさせる。食べられないのか? 箸が進まない世南を見て父が吃父がチリソースをかけるよう勧める。父がたっぷりとかけたチリソースの赤色は世南に血尿を思い出させた。慌ててトイレに駆け込む世南。心配した母がトイレに入って驚く。楊国英、早く! 父はトイレに駆け付け世南が重篤だと察する。病院だ!
父の運転する車で慌てて病院に連れて行かれる世南。動揺した父は受付に割り込み、息子が血尿を出すと言ってすぐ診察に当たることのできる医師をと訴える。慣れた受付係は冷静に順番を待つように言う。血尿は重篤だと食い下がるが、先に受付にいた女性の息子は交通事故に遭って怪我をしていた。
診察に当たって女性医師が世南の性器の状態を確認し、親子に何の問題もないと告げる。本当に何の問題もありませんか? 陰茎に包皮が被っていることによる感染症でしょう。泌尿器科を受診して下さい。
待合室。点滴を受ける世南に父が菓子を食べさせ、母が水を飲ませるなど、両親が甲斐甲斐しく世話する。こんな状態だからさ、学校行かなくていい? もちろんよ行かなくていいわ。どうして? 勉強が追いつかなくなったらどうするんだ? 追いつかなくなるなんてないわ。好物を食べさせてあげるわ。今は勉強より身体が大事よ。
学校を休んだ世南は、ポテトチップスをかじりながら大好きなネットゲームを思う存分楽しむ。母が食事を運んでくる。脚は降ろしなさい、O脚になるわよ。遊んでないで早く食べなさい。
再び登校する世南に荷物を持って母が校門まで付き添った。母親はリュックを息子に背負わせると、具合が悪くなったら電話するように言う。
世南が教室に顔を見せると、楊貴妃の登場だと声が上がる。生理は終ったか? 赤飯炊いてやろうか。世南は物笑いの種となる。

 

2008年5月。台湾北部にある川沿いの街。楊世南(李玲葦)は、父・楊国英(李興文)と母・陳潔(陳雪甄)が切り盛りする食堂「歌林麵食」の息子で、清華国民中学の3年生。いつも猫背で歩くのは、前屈みでネットゲームに没頭するためだ。近所の書店でグラヴィア誌を手に入れ自慰行為に励むのは14歳の男子らしい。最近、食事が進まないほど下腹部に疼痛を感じる世南は血尿が出る。ネットで膀胱癌の可能性ありと知った世南は激しく動揺する。夕食中にトイレに駆け込む息子の異変に気が付いた両親が病院に連れて行くと、包茎による感染症でしょうと泌尿器科の受診を勧められる。だが世南の下腹部の痛みは治まらない。体育の授業中に倒れた世南を背負って保健室に運び込んだ体育教師(張耀仁)の背中は血に染まった。学校に駆け付けた両親は専門医の李培瑞(尹昭德)の病院に世南を連れて行く。検査結果を知った李医師は、助手の医師吳源(安德森)に世南を別室で待機させると、 世南の両親に、世南は子宮や卵巣も備えた両性具有者だと説明した。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

世南は極端な猫背――彼が周囲の人間とは異なる存在であることを強調する――がトレードマークの冴えない中学生。友達がいないからPCゲームに熱中するのか、PCゲームに熱中するから友達がいないのか、独りで過している。
世南は14歳の男子らしく異性への興味を持ち、セクシーな女性の写真を見て手淫に耽る。尤も冒頭の自慰行為の場面では、世南は写真を見ず、手を動かしながらもなかなか射精に到らず苦しげな表情を浮かべている。母親に中断させられたせいもあるが、射精に到らない。それが性分化疾患を原因とするものか、あるいは射精シーンの描写を避けたのかは判然としない。
下腹部の疼痛に悩まされる世南は血尿を出す。世南は血尿についてネットで検索して膀胱癌を疑う。息子の血尿に気が付いた両親は病院に世南を連れて行く。出血量の多さからは精密検査をすべきだろうが、医師は血尿そのものを確認しておら、性器を触診するだけで包茎を原因とする感染症と断じる(射精に到らない激しい手淫が何らかの外傷を陰茎に生じさせていたのかもしれない)。
数多のアゲハチョウのうち雌雄同体の1頭だけが群れを離れて世南の部屋に舞い込むことで、世南が両性具有であることが示唆される。また、清華国民中学の制服は青であり、世南=男が青によって象徴されているが、世南の部屋には信号機の赤い光の点滅が映り込む(下校の際にも青空に赤信号の点滅が映り込む)。血尿は経血であり、女=赤への転換が暗示される(少女「詩蘭」として転校した学校はピンクの制服である)。
男子として生きてきた少年が、卵巣や子宮を備えているからと男性器を切除され女性として生きろと言われても受け入れられないだろう。たとえ両親(とりわけ母親)が娘になった息子を愛し続けるのは僥倖としても、である。少女「詩蘭」として「再生」したことで張天琦(梁洳瑄)という友人を得たことは唯一、希望となった。その希望が打ち砕かれるとき、詩蘭は「生みの親」李培瑞医師に対し復讐を企てることになる。博士の瀆神的と言える所業とそれにより生み出される孤独というテーマは、メアリー・シェリー(Mary Shelley)の『フランケンシュタイン(Frankenstein)』に通じるだろう。