可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『楽しい隠遁生活 文人たちのマインドフルネス』

展覧会『楽しい隠遁生活 文人たちのマインドフルネス』を鑑賞しての備忘録
泉屋博古館東京にて、2023年9月2日~10月15日。

俗世を離れ、清雅な地での隠遁生活を送りたいとの冀求から制作された、理想郷や隠者の姿を描いた絵画作品などを展観。孔子竹林の七賢陶淵明ら隠者を描いた作品を並べた「自由へのあこがれ『隠遁思想と隠者たち』」(第1展示室)、桃源郷など理想郷を題材とした山水画を展示する「理想世界のイメージ」(第2展示室)、観瀑や理想的な文房(書斎)をテーマとした作品を陳列する「楽しい隠遁―清閑の暮らし」(第3展示室)、文化人の交流を夢想する雅集図などを紹介する「時に文雅を楽しむ交遊」(第3展示室)の4部構成。「住友コレクションの近代彫刻」を第4展示室にて同時開催。

「自由へのあこがれ『隠遁思想と隠者たち』」の冒頭を飾るのは作者不詳の《孔子像》[01]。首陽山に隠棲した伯夷・叔斉を仁を求め仁を得たとして最高評価したことから。堯帝から譲位の申し出を受けて箕山に隠棲した許由を描くのは橋本雅邦《許由》[02]。垂下がる木の枝と、その下に打ち棄てられた瓢箪、そして背を向けて立ち去る許由が描かれる。

 唐土に許由といひける人は、さらに、身にしたがへる貯へもなくて、水をも手して捧げて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝に懸けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に掬むすびてぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。(西尾実・安良岡康作校注『新訂 徒然草岩波書店岩波文庫〕/1928/p.42)

樹下で書籍を傍らに楽器を手にして小川を眺め寛ぐ陶淵明を描いた、伝仇英《林間人物図(陶淵明図)》[05]は本展のメインヴィジュアルに採用されている。陶淵明の『桃花源記』が桃源郷の語源となっているためだろう。花瓶に生けた菊を愛でる陶淵明を描いた森寛斎《陶淵明像》[06]も出展。 竹林の七賢を描いた作品として、姫島竹外《竹林七賢図》[07]など。達磨を題材にするのは、王震《達磨像》[03]、  石溪《面壁達磨図巻)[14]。庵住と行脚に生きた西行にまつわる《花見西行図鐔》[08]や《富士見西行蒔絵香箱》[09]、芭蕉を描くを描いた富岡鉄斎松尾芭蕉像》[10]も。

「理想世界のイメージ」では、陶淵明『桃花源記』の桃源郷に象徴される、自然の中で自由に暮らす理想世界に纏わる作品が紹介される。例えば、童基《桃源図》[15]では小舟で洞を抜けた先に水辺に面した山間の桃源郷が描かれる。蓬萊やユートピアと異なり島――islandの語源は「水の土地」――ではないが、舟でアクセスする閉鎖的環境という点で近似する。

 フライングジラフのボカロ曲『ショッピングモール』では「黄昏のユートピア」という歌詞が歌われる、外部がなく箱庭のような街が内部にある、という形式はユートピアを目指すのではないか。トマス・モアが描いたユートピアも、海の孤島だった。海と川で二重に守られた馬蹄形の島で、もともとは大陸の一部だったものが切り離されたという設定だ。「理想の街」は外部を持たない閉鎖した構造を持つらしい。
 もちろん、モールは文字通りのユートピアなどではない。(略)ただ、ビクター・グルーエンやジョン・ジャーディが夢見た理想のモールの形式が、人間が繰り返し想像するひとつの都市の形式、ユートピア島の構造に似ているということが興味深い。
 1984年に公開された劇場版アニメ『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(押井守監督)も、一種の「内部に街がある宇宙船」を描いている。学園祭開幕前日を延々とループする世界に巻き込まれた主人公たち。異変に気付いた彼らが飛行機に乗って上空から見下ろすと、なんと自分たちの街が切り取られ宇宙空間を漂う巨大な亀の背中に乗っているではないか。
 (略)
 それにしても同じ1日が繰り返され、学園祭前日を永遠に続ける、という設定は見事だ。現代のぼくらは、純粋なユートピアなど存在しないことをよく知っているが、一時的にならば擬似的に成立しうることも知っている。祭がそれだ。外部を失った箱庭のユートピアが祭りを準備し続けるというのは大変示唆的である。祭のように一時的なら、モールもユートピアを実現できるかもしれない。モールに営業時間があるのはそのためなのだろうか。(大山顕『モールの想像力 ショッピングモールはユートピアか』本の雑誌社/2023/p.58-59)

古の人々にとっても理想的な世界は夢想に過ぎ無かった。だからこそ絵画に桃源郷を描いたことが指摘される。「時に文雅を楽しむ交遊」でも紹介されるように、山水画を眺めることで、その地に遊んだような気持になって楽しむ――臥遊する――のだ。「楽しい隠遁―清閑の暮らし」に並ぶ一連の観瀑図もそのためのツールである。石濤《廬山観瀑図》[37]に描かれた隠士が眼前の瀧を見ていないのは、臥遊であることを象徴するようだ。本展では、実際、会場である泉屋博古館東京周囲の竹林や瀧を案内し、観想を勧めている。まずは《太湖石(怪石)》[83]に峨峨たる山を見、そこに束の間のユートピアを起ち上げてみよと来場者に焚き付ける好企画であった。