可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『ポーラ ミュージアム アネックス展2020―透過と抵抗―』

展覧会『ポーラ ミュージアム アネックス展2020―透過と抵抗―』を鑑賞しての備忘録
ポーラ ミュージアム アネックスにて、2020年10月15日~11月15日。

「ポーラ ミュージアム アネックス展」は、公益財団法人ポーラ美術振興財団の「若手芸術家の在外研修に対する助成」を受けた作家による在外研修の成果発表のための展覧会。「透過と抵抗」と銘打った2020年後期展では、いずれもガラスを扱う青木美歌(アイスランド)・林恵理(ドイツ)・中村愛子(フランス)の3名の作家を紹介。

冒頭には、緑や紫を帯びた大理石のような表面を持つガラス製の球体が4つ並ぶ。林恵理の《O.T.》("Ohne Titel(無題)"の略か)である。中央の割れ目から上下の半球が組み合わされており、中が空洞であることが窺える。クロード・ニコラ・ルドゥー(Claude Nicolas Ledoux)の《耕作の番人のための家のプラン(Projet de maison des gardes agricoles)》や、エティエンヌ・ルイ・ブーレー(Etienne Louis Boullée)の《ニュートン記念堂のプラン(Projet de cénotaphe à Newton)》などの球体建築をイメージさせる。

 (略)〔引用者註:ミシュレがシャン=ド=マルスに言及する文を紹介して〕フランス革命のモニュメントのみが「空虚」なる空間かを形成しているのではなく、近代国家のすべてのモニュメントは「空虚なる中心」でなければならない。なぜなら「空虚なる空間」であるがゆえに、あらゆる「意味」をそこに充填することができるし、「空虚なる中心」であるがゆえに、あらゆる「周縁」をそこに引き寄せることができるのである。
(松宮秀治『芸術崇拝の思想 政教分離とヨーロッパの新しい神』白水社/2008年/p.201-202)

林は「ユートピアを考えることは現実を考えることである」として「ユートピア」をテーマに制作を行っているという。冒頭に球体を置いたのは、理想の空間の象徴としてだろう。また、色味の異なる4つの球体を併置したのは、個人の差異に基づくユートピアの複数性を訴えるためだろう。なお、作家のテーマとするユートピアは狭義のもの(西欧のユートピア)ではなく広義のもの(一種の理想郷)と考えられる。

 西欧のユートピアとはなによりも無為〔引用者註:陶淵明の描く無為徒食と快適充実の生活が保証される「桃源郷」のイメージ〕とは対極にある概念で、それは人間の理想の追究という究極目標のために、細部から全体にわたって綿密に計算され、全体がひとつの機械のように作動するように組織された人間共同体で、その組織員はそれぞれの構成役割によって、全体の目標と方途に合わせてみずからの任務を果たしていく義務を負う。構成員は単に自分の役割だけを歯車のように果たしさえすればよいというのではない。厳密には、ユートピアとは「理想郷」ではなく、それをめざしての絶えざる活動体のことである。いうなれば啓蒙主義の最も忠実な継承者たる共産主義が、私的財産所有の放棄をめざし、革命精神の永久持続を謳ったようなものである。ユートピアとは東洋的な所与の世界としての理想郷ではなく、絶えず理念世界を追求するための目標として想定される理想像であると同時に、実践活動としては現状に満足することなく、常によりよき状態へと目標をグレードアップさせていく思想である。いいかえれば「進歩」の思想が提供する非宗教的な、「人間のために人間みずからが創り出すべき」理想社会のモデルが西欧のユートピアなのである。
 ユートピアの住人たちは、自分の義務を果たしていく限りにおいて、多大の権利と生活の保証と自由が与えられる。ユートピアとはまさしく近代市民社会と民主主義社会のモデルである。だがユートピアとは近代西欧社会がモデルとするような一種の「楽園」であるというよりは、むしろ徹底した管理社会と官僚主義的な全体主義社会のモデルとされやすい性格を有している。西欧の政治的伝統を見ると、啓蒙主義フランス革命以後の近代民主主義の流れのなかにさえも、集合的な代議政治よりも「指導者」「リーダー」待望と崇拝が色濃くあらわれ、個人的な自由や私権の主張よりも集団的決議や公共権の優勢が目立つのは、西欧思想の伝統のなかにユートピア思想がかなり根強く生き残っているということを教えてくれる。
(松宮秀治『芸術崇拝の思想 政教分離とヨーロッパの新しい神』白水社/2008年/p.110-111)

トマス・モア(Thomas More)の『ユートピア(Utopia)』ではユートピアは島であり円環をなしている。またそこに広がるのは直線か円のような幾何学的な構造を持った都市だという(巖谷國士シュルレアリスムとは何か』筑摩書房ちくま学芸文庫〕/2002年/p.206-210)。《A kind of Φ》のシリーズ(全12点)には透明なガラスに焼き入れた円(一部作品には直線も)が幾何学的に配置されている。タイトルの「Φ」は「ファイ」のことで「黄金比」を意味するものと考えられる。《A kind of Φ》の飾られた壁面には、1.5メートルほどの高さにグラファイトによる線が引かれ、《Der ebene Horizont》と題されている。「平坦な水平線」。水平線が平坦なのは当然である。だが、グラファイトの線は所々で凹凸を描いているのである。禅問答のような作品であるが、ここにも直線という一つの理想型に対し、「ブレ」という差異への注目が作家から促されている。床には59個のガラスの立体作品《Glastopia》が置かれている(なお、トマス・モアのユートピアには54の都市がある(巖谷國士シュルレアリスムとは何か』筑摩書房ちくま学芸文庫〕/2002年/p.207))。理想都市を黄金比で象徴するためか、Φが象られている。あるいは、《O.T.》の空の球体と響き合う∅(空集合)を示すのかもしれない。

中村愛子は、ステンドグラス8点と鉛筆画4点を出展している。ステンドグラスはスマートフォンやPC、電信柱などのモティーフが描き込まれるとともに、バンド・デシネのようにキャラクターの動きが導入されているのが特徴的。鉛筆画には、石造の橋や建物が密集する島を描いた《島/L'île》や、カーテンがかかった書割のような絵画を中心にピアノやテーブル旅行鞄などのモティーフを鏤めた《Elysion_楽園》(夜空の星が透かして見えているような光の点在も興味深い)などユートピアを連想させる作品がある。

青木美歌は、《Her favorite necklace》(18個の不均一のガラスの球体から成る)など、アイスランド(島!)の巨人のトロールの女の子が身につけている装飾品をイメージした作品を展示。

三者の作品は、ガラスという共通点以外でも、球、島などのイメージでも緩やかに繋がっている。