可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 杉本博司個展『本歌取り 東下り』

展覧会『杉本博司本歌取り 東下り」』(後期)を鑑賞しての備忘録
渋谷区立松濤美術館にて、2023年9月16日~11月12日(後期:10月17日~11月12日)。

先行作品の趣旨を踏まえて自作に取り込んだ作品を中心に構成される、杉本博司の個展。

冒頭に設置される《時間の間》は、シャガールパリ・オペラ座の天井画や、ニューヨーク・リンカーンセンターのメトロポリタン歌劇場の壁画に倣って、時計盤に描いたシャガール風の絵画を春日厨子に収めた作品。「時計」は2012年のハリケーン・サンディにより水没したもので、時計の針が逆進するよう設定されている。時計の両脇に置かれた鏡には針が正しく回る像が映る。時を遡行することにより未来を展望する意図が示される。また、春日厨子は、春日大社に縁のある仏具である。 作家は小田原に建てた文化施設「江之浦測候所」に春日大社分祀した(柑橘山春日社)。春日大社が造営された際、鹿島神宮から武甕槌命が神鹿に乗って大和へ向かう途中に相模国を通過した故事に因む。そのため、柑橘山春日社と相模湾を映す写真《柑橘山春日社遠望図屛風》や春日大社の満開の藤を捉えた写真《春日大社藤棚図屏風》の作品へと連なる。美術の始原へと立ち返るともに、美術がかつて宗教と結び付いていたことに目を向けさせるものである。

「フォトジェニック・ドローイング」シリーズ」は、写真の先駆者であるウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(William Henry Fox Talbot)が発明したカロタイプの原画から新たにイメージをプリントしたもの。写真術の始原への旅である。のみならず、像主を現在に蘇らせ、あるいは180年ほど先の未来にタイムスリップさせてもいる。ネガとポジとを並べて見せることで、反転のイメージを強く打ち出してもいる。

室町期の《法師物語絵巻》の第7場面には、狂言『附子』とそっくりなエピソードがある。これに基づいて作家は狂言『死に薬~「附子」より』を創作した。能楽への関心は、シテが過去を回想して物語る筋に、過去の出来事を現在に蘇らせる意図を読み取ってのことであろう。

石鏃や月桂樹葉形尖頭器や握斧が並べられているのも、アートの始原を考えるためである。のみならず、石器は時間意識の発生の証拠でもある。

 基本的には菜食性(草食性)で、森のなかに住んでいた霊長類のなかで、人類だけが草原に出て、本格的な肉食を開始したのである。それとともに自由となった「手」で石を割り、原初の道具、原初の「石器」を創り出したのだ。意図的に石を割る、「石器」を創り出すということは、そこに時間(未来)という「意識」が存在しはじめたことを意味する。人間のなかに内的な世界が生まれたのである。(略)
 (略)
 ルロワ=グーランも渡辺仁も、人間のはじまる地点、すなわち人類が類人猿から分かれ出て「猿人」となった段階、原初の「石器」を創出した段階にして原初の「意識」が芽生えた段階から、それぞれの狩猟採集社会論をはじめている。直立二足歩行が可能になった「猿人」の段階から、直立二足歩行が可能になった「原人」の段階を経て、われわれの直接の起源である「新人」の段階へ。受動的な「採集」に依存する「猿人」の段階から、能動的な「狩猟」を自主的かつ共同して行う「原人」の段階を経て、身ぶりと言葉による「芸術」を生み出した「新人」の段階へ。石をただ割るだけだった段階(「猿人」=「礫器」を用いた旧石器時代人)から、それを加工し(「原人」=「握斧」を用いた旧石器時代人)、さらにそこからさまざまに多様な道具を生み出す段階(「新人」=「石刃」と「細石器」を用いた旧石器時代人)へ……。(安藤礼二『縄文論』作品社/2022/p.170-171)

会場である渋谷区立松濤美術館の建物を設計したのは白井晟一である。彼の書《瀉嘆》が展示されている。大部の辞書にも出ていない「瀉嘆」の意味は、「吐くほどの深い嘆き」という。何故そのような言葉を書にしたのであろうか。ここでは、ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)の小説『嘔吐(La Nausée)』に結び付けてみたい。小説の主人公はアントワーヌ・ロカンタンという青年である。

 作中の主人公はとある土曜日、児童たちが水切りをしているのを見て、じぶんも海に石を投げいれようとした。ロカンタンはなぜか奇妙な感覚に囚われ、小石を取りおとしてしまうが、その感覚をうまく捉えることができない。日記を付けはじめるうちに青年はふと気づくことになる。「いま、私にはわかった。このあいだ海辺であの小石を手にしていたときに感じたことを、私はもっとよく思いだすこおができる。それは一種の甘ったるいむかむかした気持ちだった」。石片を取りおとしたのはおそらくは或る種の違和感からだろう。摑みがたい、ふとした異和の感覚が、甘ったるく、むかむかさせる奇妙な感触として想起される。「そう、それだ。まさにそれだ。手のなかの一種の吐き気だったのだ」(Oui, c'est cela, c'est bien cela: une sorte de nausée dans les mains)。
 物語のあらすじを追うことにここではあまり意味がないだろう。ともあれあるとき「独学者」が主人公に向かって、こう口にしたことがある。「結局あたなも私とおなじことで、人間を愛しているのでしょう」。そのときロカンタンは、執拗な発作、吐き気の発作に襲われる。「つまりこれだったのか、吐き気というやつはこの明々白々な事実のことだったのか」。主人公には、いまようやくわかった。「私は存在している――世界は存在している――そして私は世界が存在していることを知っている」。水切りをしようとして小石を取りおとしてしまったとき、振り返れば「私は小石が存在していると感じたのだ」(J'ai senti qu'il existait)。
 主人公は或るものに手をついて、急いでじぶんの手を引っこめる。存在するものにはなまえがある。それは「座席」と呼ばれるものだ。ロカンタンは「これは座席だ」と呟いてみる。しかし、ことばは唇に貼りついたまま「もののうえに置かれるのを拒んでいる」。ものたちはただ「そこにある」グロテスクで頑固で、巨大なものがそこに、またいたるところにある。
 やがて決定的な体験とその回顧があらわれた。サルトル最初の長編小説『嘔吐』について論じられるときかならず引用される一節を、ここでもやはり引いておく。

 つまり私はさっき公園にいたのだ。マロニエの根が、ちょうど私のベンチのしたで大地に突きささっていた。それが根であることすら私はもう気づかないようになっていた。ことばは消えうせており、ことばとともにものの意味も使いかたも、人間がそれらの表面にしるした微かな符丁も消え去っていた。私はすこし背中をまるめ、あたまを低くして座り、たったひとりで、どす黒く節くれだった、まったく野生そのままのかたまりに向かいあっていた。そのかたまりは私に恐怖を与えた。そのとき私は、あの閃きを得たのである。

 吐き気は去らない。吐き気は病気でも発作でもない。吐き気とは「存在すること」の意味である。「それは私なのだ」。存在するとは、たんにそこにあるということである。なまえもなく、意味さえ欠いて、ふてぶてしく断乎としてそこにありつづけることなのである。「どす黒く節くれだった、まったく野生そのままのかたまり」(cette masse noire et noueuse, entièrement brute)はもはやマロニエの根ですらもなく、ただ不気味にそこにありつづける。(熊野純彦『極限の思想 サルトル 全世界を獲得するために』講談社講談社選書メチエ〕/2022/p.31-33)

《瀉嘆》と『嘔吐』との接続は、単に「吐き気」という両者の言葉の意味だけではなく、サルトルの思想にある。

 世界のうちのいっさいは神の被造物であり、神があらゆるものの創造主であると考えみる。その場合は、神をもって「ひとりの優れた職人」と見なすこともできるだろう。神はそのさい、じぶんの創るものがなんなのかを明確に知っていなければならない。たとえば人間を造る場面であるならば、人間とはなんであるかを、すなわち人間存在の本質を精確な仕方で知悉していなければならないはずである。そのとき「かくして個々の人間は、神の知性中に存在する一定の概念」、すなわち人間の概念を「実現することになる」。かくしてまたたとえばペーパーナイフとおなじように、人間についても「本質が実存に先だつ」ことになるだろう。
 とはいえ神はすでに神は死んでいる。あるいはそもそも神が存在しない。人間の本質をあらかじめ定義するものは存在しない、だから、人間存在にあっては実存が本質に先だつ。人間はまず存在し、つぎに行為して、そのことでみずからを作りあげる。人間はみずからのありかたを選択し、みずからを未来へ向けて投企する。これが、人間が現実に存在すること、つまり実存することの意味であって、実存が本質に先行することの意義である。ある以上が、サルトルによれば、「実存主義の第一原理」にほかならない。(熊野純彦『極限の思想 サルトル 全世界を獲得するために』講談社講談社選書メチエ〕/2022/p.11-12)

過去に遡り、「未来へ向けて投企する」のが作家の狙いと見た。