可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『石元泰博』

展覧会『石元泰博』を鑑賞しての備忘録
東京画廊+BTAPにて、2023年10月7日~11月11日。

石元泰博(1921-2012)の写真展。都市の景観、ヌード、紙や木の葉などをモティーフとしたモノクローム作品15点に、桂離宮で撮影したカラー作品2点を加えた17点を展観。

冒頭を飾るのは、コンクリート造の建造物の隅で白い鉄枠を撮影する作家の自らの影を捉えた《日本》[01]。ファインダーを右目で覗くためにカメラを構えた作者の濃い影が、鉄枠の影、鉄枠、建造物の角の縦線からはみ出す。被写体の四角い枠による入れ籠は、写真の縁、マット、額縁によって反復される。ミザンナビム(mise en abyme)のようなイメージは、紙テープの渦を捉えた《Fantaisie》[02]の円の入れ籠や、桂離宮で撮影された《笑意軒土庇から室内を望む》[05]の障子や襖や畳などの四角の入れ籠にも見られる。
展示空間は広い空間と狭い空間とがプランでL字になっている。小展示室に桂離宮で撮影されたカラー写真《笑意軒土庇から室内を望む》[05]と《松琴亭一の間来たの土庇・水屋棚・竈構えごしに苑池を望む》[06]とが向かい合って並ぶ。縁側、欄間、障子、畳、襖などがシンメトリーをなす前者と、竃、飛び石、庭石、石橋などのアシンメトリーの後者とが対照的である。
縞のシャツの青年を中心に6人の人物が行き交う通路を写す《日本》[07]。人々の背景となる壁には「張紙固く御断り致します 管理者」の貼紙。ルネ・マグリット(René Magritte)がパイプの絵とともに「これはパイプではない。(Ceci n'est pas une pipe.」と描いた《イメージの裏切り(La trahison des images)》のようである。あるいは、ジョージ・オーウェル(George Orwell)の『動物農場(Animal Farm)』のように、「あらゆる動物は平等だ。だが他の動物に比してより平等な動物もいる。(ALL ANIMALS ARE EQUAL BUT SOME ANIMALS ARE MORE EQUAL THAN OTHERS.)」を思わせる。オーウェルへの連想は、本展のメインヴィジュアルである《東京》[11]において、中央下に目のサインを配して板壁(板塀?)を切り取っているのが、『1984年(Nineteen Eighty-Four)』の『偉大な兄弟があなたを見守っている(BIG BROTHER IS WATCHING YOU)』の表現に見えてしまうからでもある。
《東京》[10]には、有楽町から新橋にかけて残る煉瓦造アーチの高架橋下の真っ暗な空間が、金網フェンスで閉ざさている場面が映し出されている。フェンスの前には、手前に向かって通りを渡ろうとしているらしく、左右を確認するために頭部が流れるように映し出された前掛けを付けた女性がいて、右端には黒塗りの外車が停められている。左側にはジョルジュ・ランパン(Georges Lampin)監督の映画『罪と罰(Crime et Châtiment)』(1956)の立て看板がある。写真は、高利貸しの老女と彼を殺害する学生の運命とを描く洋画を暗示するのであろうか。真っ暗な空間の高い位置にある窓(?)を映し出す《日本》[08]が刑務所に見えて来る。あるいは、フョードル・ドストエフスキー(Фёдор Достоевский)の『地下室の手記(Записки из подполья)』か。
シカゴの壁を撮影した作品が3点並ぶ。芸術の始原を見るようなネガティヴハンドの《シカゴ》[14]も興味深いが、恰もジョアン・ミロの絵画のような"*"の落書きがある《シカゴ》[12]には、とりわけ日本の壁との差異が感じられる。
前に屈んだ女性の臀部を暗闇の中に浮かび上がらせた《ヌード》[16]、葉のような石の板にモデルの女性の乳房を載せた《ヌード》[17]も興味深い。後者の巨大な石の板は一体何なのか。