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芸術鑑賞の備忘録

映画『私がやりました』

映画『私がやりました』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のフランス映画。
監督・脚本は、フランソワ・オゾン(François Ozon)。
原作は、ジョルジュ・ベール(Georges Berr)とルイ・ヴェルヌイユ(Louis Verneuil)の戯曲"Mon crime !…"。
撮影は、マニュエル・ダコッセ(Manuel Dacosse)。
美術は、ジャン・ラバッセ(Jean Rabasse)。
衣装は、パスカリーヌ・シャバンヌ(Pascaline Chavanne)。
編集は、ロール・ガルデット(Laure Gardette)。
音楽は、フィリップ・ロンビ(Philippe Rombi)。
原題は、"Mon crime"。

 

金の房飾りが付いた深紅の緞帳が上がる。
1935年。パリ西郊ヌイイ。プールの水面が揺れ、タイルが歪む。邸宅の中で鈍い音と悲鳴がする。マドレーヌ・ヴェルディエ(Nadia Tereszkiewicz)が慌ててプールの方へ飛び出してくると、手にしたベージュのコートを羽織り、門を出る。黒い衣装の女性とぶつかるがマドレーヌは構わず歩き続ける。橋を渡る。
家主のピストル(Franck de Lapersonne)が階段を上がり、ベルを鳴らす。ポーリーヌ・モレオン(Rebecca Marder)が扉を開けるが家主と気付くとすぐ閉める。開けなさい。裸なの。マドレーヌがいるときにいらっしゃって。5ヵ月分の家賃3000フランが未払いだ。支払うか、さもなきゃ扉を壊さなきゃならん。ピストルが勢いよく扉にぶつかろうとすると、扉が開く。説明させて頂くわ。説明を聞くためじゃない、取り立てに来たんだ。お坐りになって。車はお持ちかしら? シトロエンだよ。きちんと家賃を払う店子もいるからね。駐車場に2ヵ月放置したことはあります? あるよ、4年前、足を骨折したときにね。それは可哀想に、どちらの足? 話を変えないでもらえるかな? 変えてません。車に乗らない間、自動車税は? 払わんさ、車を使ってないんだからな。私たち、7月と8月は部屋を使えませんでした。マドレーヌと一緒にプレシニーに滞在していたので。2ヵ月分1200フランは差し引いてもらわないと。ダメだ。何でです? あなたは本当はいい人だって分かってますわ。ポーリーヌが家主の肩を揉む。1000フランを払う猶予を下さいな。3000フランだ! あなたの心に話しかけてます。儂の心は聴く耳を持たん。抗弁なら裁判所でしてくれ。すぐに退去してもらおう、滞納額に来月分600フランを上乗せしなくて済むようにな。待って! マドレーヌが今どこかご存じ? どうでもいいことだ。彼女はモンフェラン(Jean-Christophe Bouvet)のところにいるの。モンフェランとは何者だね? 不動産業界のこと以外、何も知らないのね。リヨン、パリ、ブリュッセルで一番遣手の演劇プロデューサーよ。新作舞台『シュゼットの試練』にマドレーヌを出演させるの。
マドレーヌが歩いてアパルトマンの前の通りまで戻って来る。
いつ法曹資格を得た? 1年前よ。出訴したことは一度もないのかね? 常に訴えてますわ、今こうして30分間訴え続けてます。いいかね、48時間の猶予をやろう。月曜までに3000フランを用立てできなければ…。マドレーヌが扉を開けて入ってくる。また催促に? 猶予を望んでるのかね? もちろん。首尾良くいかなかったの? ダメね。警察署に行かなくてはならんな。男ってなんて卑劣なのかしら。この豚! 侮辱するとは。ちょっと取り乱してるの。儂は憤慨しとるよ。4回家賃の催促に来て、4回とも侮辱されるとはね。ピストルが部屋を出て行く。
役を与えてくれなかったの?、与えてくれたわ、メイドの役。月10000フラン。10000フランも? 何でそんなに浮かない顔してるの? どうしてだと思う? さあ。彼は私をすごく気に入ってくれて、週に2回1時間会って欲しいって。劇場で? まさか。フロショ通りの別宅で。分かったわ。週2時間で月に10000フランなら時給1000フランってことね。悪いけど、検討の余地なしよ。絶対にお断り。それで出て行こうとしたら…。マドレーヌが泣き出す。どうしたの? 彼が私に飛び掛かって抱きついてキスされたの。叫んで、離れようとした。彼は私にソファに押し倒されたから、噛み付いてやったの。そしたら彼は叫び声をあげて正気じゃ無い目つきになった。面白がってた、私が興奮させたみたいに。必死に逃げ出した。可哀想なマドレーヌ。何てこと! 随分遅くなったのね。歩いたから。息を吐いて考えなきゃならなかった。ムカムカしたしがっかりした。やっといいお芝居で主要な役が手に入ると思ってたのに。そんな鬼畜野郎の魔手にかからず愛人にならなかったことの方が遙かに大切よ。役は逃したけど、慰めてくれる恋人がいるでしょ。そうよ、アンドレがいる。彼は全然違う。彼は決して私を愛人にしようとしなかったわ。心配ね。本当に彼が結婚してくれるって思ってる? 私達の家賃を払ってくれてもいかしくないでしょ。彼にお金なんてないもの。ボナール・タイヤの御曹司なのに? たしかに父親は大金持ちね。でもアンドレには月2000フランしかくれない。なら彼が働けばいいでしょ。彼は行動的なタイプじゃ無くて、それを苦にしてるわ。だけどそれが何だって言うの。私が稼げばいいのよ。父親が死んだら返してくれるわ。父親が死にそうなの? そんな気配はないわね。金持ちのぼんぼん。皆が働いているのに、彼らは何もしない。ポーリーヌ、アンドレと一緒に会って、彼が恋に落ちたのは私。彼を恨むなんてつまらないことだわ。付き合うのがあなただろうが他の誰だろうが、私は好みの人物に何てなれないの。大袈裟ね。そんなことないわ。物語の主人公に生まれ落ちる女性と、その物語の語り手とがいるってこと。私は語り手。永遠に古典劇の腹心役なのよ、悲劇の中のね。ポーリーヌは鏡台の前に坐り、自分の鏡を覗き込む。
ベルが鳴る。姿を見せたのはアンドレ(Édouard Sulpice)だった。

 

1935年。パリ。駆け出しの女優マドレーヌ・ヴェルディエ(Nadia Tereszkiewicz)は、親友の新米弁護士ポーリーヌ・モレオン(Rebecca Marder)と屋根裏にルームシェアしながら舞台出演のチャンスを窺っていた。だが鳴かず飛ばずで、家主のピストル(Franck de Lapersonne)から度々催促される家賃の滞納は5ヵ月分3000フランに上っている。ようやく大物演劇プロデューサーのモンフェラン(Jean-Christophe Bouvet)の目に留まり、西郊ヌイイにある彼の屋敷に呼ばれた。新作舞台『シュゼットの試練』への出演依頼かと喜び勇んで訪れると、週2回1時間、1万フランで別宅で会いたいと持ちかけられた。失意のマドレーヌが拒否すると、抱きつかれてキスされ、ソファに押し倒された。マドレーヌは、モンフェランに噛み付いて這這の体で逃げ出した。打ち拉がれて帰宅したマドレーヌは家賃の催促に来ていたピストルを追い返し、ポーリーヌにモンフェランから受けた仕打ちを訴える。恋人のアンドレ(Édouard Sulpice)がいると慰められると、折良く彼が来訪する。アンドレはボナール・タイヤを経営する父(André Dussollier)を持つが、 競馬で拵えた借金が40万フランに膨らんでいた。アンドレはポーリーヌに豊かな生活を送らせるため、500万フランの持参金を持つベルト・クルテイユと結婚すると言い出す。アンリ・マルタン通りのクルテイユ家の瀟洒な邸宅の5階に無料で暮らせて1日1回は一緒に食事をとれると嬉々として語る。自分と結婚してくれると信じていたアンドレからモンフェランと同じ提案を受けたマドレーヌは、キスも交わさずアンドレをクルテイユの晩餐に向かわせる。生きる希望を失い拳銃をこめかみに当てるマドレーヌ。ポーリーヌが彼女に翻意させ慰めたところに、ブラン刑事(Régis Laspalès)がやって来る。モンフェランが殺害されたという。死亡推定時刻は午後3時00分からの15分間。当日会計士の立ち会いの下で手にしていた30万フランと彼の財布も無くなっていた。マドレーヌは死の直前にモンフェランと面会していたため、重要参考人としてパリから出ることを禁じられる。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

駆け出しの女優マドレーヌが、大物プロデューサー・モンフェラン殺害の嫌疑をかけられたことをきっかけに、親友の新人弁護士ポーリーヌと組み、実際の法廷を舞台に、貞操を守るために殺人を侵した女優を演じて評判をとるという展開。機転を利かせて危地を脱するシスターフッドの物語。
冒頭、モンフェランとマドレーヌが揉めている状況において、銃声はしない。モンフェランは頭部に銃弾を撃ち込まれて殺害されており、マドレーヌが殺害犯ではないことが示される。そして、慌ててモンフェランの屋敷から逃げ出したマドレーヌが、黒い服に身を固めたオデット・ショメ(Isabelle Huppert)とぶつかるシーンが伏線となっている。
マドレーヌは仕事が無く、一文無し。路上に立たなければならない瀬戸際にあった。それでもモンフェランから愛人にならないかと持ちかけられるが拒絶し、大企業の御曹司アンドレからの愛人契約も蹴る。マドレーヌが貞淑な人物であることを示す一方で、他方、世間の女優に向ける眼差しが示される。
法廷においてもまた、次席検事(Michel Fau)が、証人である家主ピストル、管理人(Myriam Boyer)、ブラン刑事などを尋問する中で、社会が女優・女性に対して持つ偏見ないしミソジニーが露わにされる。
4回来て4回罵倒された家主が耐え忍び出そうとした条件は、体で払えということだったのだろう(ピストルは言えず終いになったが)。最初に家主が扉をこじ開けようとするのはレイプのメタファーである。
無声映画時代に一世を風靡した女優オデット・ショメは酸いも甘いもかみ分けた食わせ物。昔噺では、正直者の成功を真似る欲張りな老人は失敗するのがオチだが……。オデット・ショメとのシスターフッドも成り立っている。
マドレーヌのNadia Tereszkiewicz、ポーリーヌのRebecca Marderが魅力的。脇を固める俳優も芸達者。だがさすがはIsabelle Huppert。後半で一気にかっさらっていく。