可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『すべてうまくいきますように』

映画『すべてうまくいきますように』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のフランス映画。
113分。
監督・脚本は、フランソワ・オゾン(François Ozon)。
原作は、エマニュエル・ベルンエイム(Emmanuèle Bernheim)の小説"Tout s'est bien passé"。
撮影は、イシャーム・アラウィエ(Hichame Alaouié)。
美術は、エマニュエル・デュプレ(Emmanuelle Duplay)。
衣装は、ウルスラ・パレデス・チョト(Ursula Paredes-Choto)。
編集は、ロール・ガルデット(Laure Gardette)。
原題は、"Tout s'est bien passé"。

 

9月15日。書斎ではエマニュエル(Sophie Marceau)がラップトップに向かって快調に執筆している。電話が鳴る。すぐに出る。何ですって? いつ? どこなの? すぐ行く。取るものも取りあえず部屋を出る。アパルトマンのエレベーターを待つのももどかしい。階段を下る。だが目がかすむ。引き返して洗面台に向かい、コンタクトレンズを付ける。コートを羽織りリュックを背負ったエマニュエルがアパルトマンを出る。急ぎ足でメトロの改札を通過し、地下鉄に乗る。
病院の門の脇でパスカル(Géraldine Pailhas)が待っていた。どこなの? 救急治療室。神経科パスカルがエマニュエルを伴って建物に入る。2人は看護師に案内されMRI検査室へ。2人の父アンドレ(André Dussollier)がMRIの寝台に乗せられている。部屋の外でお待ちください。傾斜磁場コイルのけたたましい振動音が鳴り響く。
ヤシの木の生える浜辺が描かれた壁の前に坐っていた2人が看護師からお父様に会えますよと声を掛けられる。ベッドに横たわった父は2人の娘を見ると起き上がろうとする。寒いの? エマニュエルが尋ねると、くぐもった声を出す。エマニュエルが毛布を掛けてやる。何か言おうとしてアンドレは口から何かを吐き出す。何が起きた? 卒中だと思う。パスカルが答える。病院にいるから、対応してもらえるわ。行きなさい。アンドレが出て行くように手を振る。看護師は2人にすぐにアンドレ神経科病棟に移すと伝える。面会できます? もちろん。看護師が立ち去る。会議は止めるべきかしら? パスカルが尋ねる。行きなさいよ、私が残るから。エマニュエルが2人もいらないわと送り出す。
エマニュエルが神経科病棟の208号室へ向かう。チョコレート菓子を取り出すと父は嫌がり、塩味が利いたものを欲しがる。サンドイッチは? スモークサーモンとチーズ。ああ。一口囓ると、父は満足して眠る。放射線検査のためアンドレが病室から運び出される。時間がかかるとエマニュエルは看護師から帰宅を促された。お父さん? 帰りの支度をしていたエマニュエルに同室の患者ロベール(Jacques Nolot)が尋ねる。私も卒中だ。弱ってるが経過は良好だ。医者は治ると期待を持っている。良かったわね。心配かね? ええ。でも父は丈夫だわ。いつも恢復するの。 
Can you tell me where we are? エマニュエルは帰りの地下鉄で地図を拡げたアメリカ人(Peter Stephan Jungk)に尋ねられる。Of course, we are here. エマニュエルが路線図を指し示す。エマニュエルは少女時代を思い出す。後部座席に坐るエマニュエル(Madeleine Nosal Romane)が運転する父から、地図を読んで右か左か尋ねられるが、分からない。馬鹿だな。父が地図を取り上げる。地図も読めないのか? 車が田舎道の脇で停車し、エマニュエルが慌てて車を降りて吐く。お前はどれくらい食べられるかも読めない。
帰宅したエマニュエルは父の囓ったサンドイッチを捨てようとしてためらい、冷蔵庫にしまう。ラップトップを起ち上げて卒中の仕組みについての映像を見る。目が疲れている。コンタクトレンズを外し、目薬を差す。
見舞いに来たエマニュエルとパスカルに父が力なく訴える。よく眠れなかった。どこにいるのか分からなくなった。叫んだかもしれん。ロベールが叫んではいなかったと言うと、父は誰もお前には訊いていないと撥ね付けるので慌ててパスカルが宥める。奴は耳が聞こえんのだ。クロード(Charlotte Rampling)はいつ来るんだ? 午後に連れて来るつもりだけど、母さんの気が向いたら。あいつは昼食でも散歩でも決まって気が向いたらとしか言わん。ラファエル(Quentin Redt-Zimmer)とノエミ(Alexia Chicot)に会いたい? お前の子供たちにこんな姿を晒したくない。誰かに伝える? ああ。ジェラール(Grégory Gadebois)? 誰だ? パスカルはジェラールの名を聞いて、あのクソ野郎を呼ぶのかとエマニュエルにだけ小声で訴える。必要ない。書くものはあるか? パスカルがメモ帳を取り出す。ダニエル、01…。ああ、忘れた。
杖を突いたクロードがヘルパーのシルヴィア(Catherine Chevallier)に付き添われてアンドレの見舞いに現れる。

 

小説家のエマニュエル(Sophie Marceau)が自宅で執筆中、パスカル(Géraldine Pailhas)から父アンドレ(André Dussollier)が倒れて病院に運び込まれたと連絡を受ける。2人が駆け付けると父はMRI検査を受けるところだった。緊急治療室のベッドで意識を取り戻したアンドレに面会すると、何が起きたのかと尋ねられる。卒中で倒れたと聞かされた父は、娘たちに帰れと素っ気ない。父が自分の意見を曲げないことを知悉する娘たちは退出する。
神経科の病棟に移った父をエマニュエルが見舞う。チョコレート菓子は拒み、塩辛い者を求めるアンドレにスモークサーモンとチーズのサンドイッチを差し出すと、一口囓り、満足して眠る。放射線検査で父が運ばれると、エマニュエルは同室の患者ロベール(Jacques Nolot)から自分も卒中から恢復しつつあると励まされる。
エマニュエルとパスカルが父を見舞う。パスカルがラファエル(Quentin Redt-Zimmer)とノエミ(Alexia Chicot)を連れて来ようかと提案すると、孫たちに今の姿を見せたくないと拒む。エマニュエルが父の交際していたジェラール(Grégory Gadebois)の名を挙げると、パスカルは露骨に難色を示す。実業家で美術品蒐集家のアンドレと長年別居してきた彫刻家のクロード(Charlotte Rampling)は、夫を一目見るなり思ったより元気そうだとすぐに病室を後にする。クロードは男の子を分娩中に喪って以来ずっと鬱で、現在はパーキンソン病を患っていた。
検査の結果、アンドレ深部静脈血栓症肺塞栓症に加え頸動脈瘤が確認され、脳梗塞の再発の可能性が高いと診断された。実際、容態が急変したアンドレは再び集中治療室に運ばれた。アンドレの不測の事態に備えて、公証人(François Perache)による手続が進められる。アンドレは同性愛を毛嫌いして結婚式に参列しなかったクロードの両親と同じ墓に入ることを断固拒絶する。エマニュエルの夫で映画博物館に勤務するセルジュ(Éric Caravaca)もアンドレを見舞う。どこで聞きつけたのか、ジェラールが病院を彷徨いているのをエマニュエルが目撃する。
アンドレが臨床老人学専門のブローカ病院に転院することになる。アンドレにはあなたのような娘がいて幸せだと、ロベールはエマニュエルとの別れを惜しむ。
エマニュエルがブローカ病院の病室にアンドレを見舞うと、父は終わらせるのを手伝って欲しいと娘に訴えた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

脳梗塞により自分の思うように生活できなくなった父アンドレが死を望み、娘のエマニュエルが父の願いを叶えることが孝行になるのか葛藤する。
編集者(Denise Chalem)に悩みを打ち明けたエマニュエルは、愛するアンドレが父親ではなく友人だったら良かったと吐露すると、だったら友人として助けてあげなさいと助言される。
André Dussollierが脳梗塞により弱音を吐露しつつも決して頑固さを喪わない老人を極めてリアルに演じ、Sophie Marceauは彼の實の娘のようであった。
エマニュエルの父アンドレは美術コレクターでありエマニュエルが父に代わり展覧会に足を運ぶと、リチャード・ロング(Richard Long)の新作があると薦められ、スイスの安楽死教会がベルンにあると聞くとアンドレパウル・クレー・センター(Zentrum Paul Klee)に言及する(病室にクレーのものと思しきドローイングが飾られている)。冒頭、エマニュエルが書斎で執筆する場面は、ピート・モンドリアン(Piet Mondrian)の抽象絵画を彷彿とさせる。
アンドレルイス・ブニュエル(Luis Buñuel)の映画『忘れられた人々(Los olvidados)』(1950)を評価している。
アンドレの長年別居している妻クロードは彫刻家である。エマニュエルの回想シーンで制作するクロードの黒い円形の作品は、リチャード・ロングの作品と親和性がある。
エマニュエルとパスカルが父の運ばれた病院に駆け付けると、MRI検査室では青い光に満ちている。青い光(ないし青)は、救急車の光(救急であり、水(ミヒャエル・ハネケ(Michael Haneke)の映画『ハッピーエンド(Happy End)』(2017)のラスト・シーンなど)であり、黄泉を連想させる(エマニュエルが看病疲れを癒やしに向かった先で10月にも拘わらずに水浴するのも死を想うためであろう)。
青が死なら、赤は生である(ジェラールと話す喫茶店の赤い光、アンドレのお気に入りの孫のラファエルの赤い服)。ラ・ヴォルテールでの最後の食事会で、エマニュエルが赤い服を着ているのは、父親に翻意を促すためであろう(エマニュエルは、スイスの安楽死財団の女性(Hanna Schygulla)から、安楽死を寸前で思い留まった唯一の事例を聞いていた)。
エマニュエルとパスカルが警察に問われた罪はフランス刑法223条の6に規定。「本人または第三者に危険を及ぼすことなく、即時の行動によって犯罪または身体の完全性に対する犯罪を自発的に防止できる者」が、犯罪を防止しなかった場合に処罰(5年の懲役及び75,000ユーロの罰金)されるらしい。エマニュエルはスプラッター映画を見て、自らの行為が殺害に等しいものだと思うだろう。
原題"Tout s'est bien passé"は複合過去で、英題"Everything Went Fine"は過去形。だが邦題は「すべてうまくいった」とはしなかった。映画の描く過程あるいは当事者の願望をタイトルにして、乾いた表現から潤いのあるものへと変更してみせた。フランス語なら接続法で表現するだろう「すべてうまくいきますように」だが、(接続法の活用がない)英語であれば"I wish"や"If only"を補えば邦題に近付こう。