可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『この子は邪悪』

映画『この子は邪悪』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の日本映画。
100分。
監督・脚本は、片岡翔。
撮影は、花村也寸志。
美術は、野々垣聡、
録音は、吉方淳二。
衣装は、篠塚奈美。
ヘアメイクは、知野香那子。
編集は、山本彩加。
音楽は、渡邊琢磨。

 

誰もいないプール。淀んだ水。水面に漣が立つ。男がプールサイドから身を乗り出して水を飲み始めた。
精神科。甲府市。自室でPCに向かう四井純(大西流星)がサーチエンジンで検索する。壁に掛けた地図には多数の写真や付箋が貼られている。アパートの通路を這う女。アパートの物が溢れたベランダで手摺に噛み付く男。メンタルクリニック
スズエさん、スズエマリさん、いますか? アパートの1室のドアの前で声をかけるが、応答がない。2人の職員がドアを開けて中に入る。物で溢れかえる暗い室内。テーブルの下に隠れている母親は虚ろな表情。離れた場所に少年が蹲っている。職員はもう大丈夫だからと声をかけ、少年を保護する。母親と子どもが職員によってアパートから連れ出される。高校の制服を着た純が離れた位置から観察し、撮影する。
純が帰宅すると、母親が居間で金魚の水槽をぼんやりと眺めている。純は台所で食事の支度をしている祖母(稲川実代子)に、今日、母さんと同じような人を見つけたと報告する。包丁の手を止める祖母。これで5人目。祖母は何も言わない。
純は、くぼ心理療法室を訪れる。古い和洋折衷の白い建物。2階の窓から白い仮面を被った少女(渡辺さくら)が外を眺めている。純が少女を見ていると、男(玉木宏)が現れ、少女に行こうかと声をかけて窓を閉ざす。そこへ帽子を被った女性が、くぼ心理療法室を訪ねて来る。少女とともにいた男がお待ちしていましたと女性を迎え入れる。
くぼ心理療法室の裏庭。窪花(南沙良)が多数のウサギを遊ばせている。診察室で心理療法士である父・司朗が患者にメリーゴーラウンドが好きか尋ねているのが聞こえてくる。私から先にお話しましょうと司朗が語り始める。5年前に家族で出かけた遊園地の帰り道、突然居眠り運転のトラックに衝突されましてね。妻は未だに病院で眠ったままです。次女はひどい火傷を負って、家から出られません。私は脚の神経を損傷して脚を引き摺っています。長女は奇跡的に無事でしたが心に深い傷を負ってしまいました。司朗は患者に近寄って優しく訴える。人は皆、1人では生きられません。一緒に傷ついた魂を癒やしていきましょう。庭で花が立ち聞きしているのに気が付いた司朗は、診察室の窓を閉ざす。
夜、居間で花は父と妹と食卓を囲む。花が作った夕食を司朗が妻の繭子にも食べさせたいと言えば、仮面を被った月が自分も料理を頑張ると宣言する。人には向き不向きがあるからと司朗が言うと、何それ、ひどいと月がむくれる。
庭で花が洗濯物を取り込んでいる。純が現れ、昔一緒にウサギと遊ばなかったかと花に尋ねる。驚く花。君、この家の人?
帰宅した純は自室でPCに向かっている。退行催眠について調べる。催眠療法でトラウマが消えたなどの検索結果が表示される。祖母がもうすぐごはんだよと呼びに来る。くぼ心理療法室って知ってる? 純の問いかけに祖母は知らないと言って立ち去る。
花と月が居間で並んで勉強をしている。月が花に質問していると、司朗が奇跡が起きたと言って、繭子(桜井ユキ)を家に連れ帰ってきた。喜ぶ月が母親のもとへと駆け寄る。月、つらかったねと繭子が月を抱き締める。だが花は違和感で身動きがとれない。それでも恐る恐る母のもとへ向かい、抱き合う。司朗も3人を抱き締め、これからは家族みんなずっと一緒だと声をかける。
夕食を家族4人で囲む。繭子は花が料理が上手なことに驚きを隠さない。母親代わりでずっと頑張ってきたからと司朗が花を労う。月はママみたいになりたくてずっとピアノを頑張ったのと言ってピアノに向かう。繭子は食事中でしょと窘めるが、司朗は今日くらいいいじゃないかと、月がピアノの腕を披露するのを許す。久々に家族4人が揃っての団欒。だが花は繭子に対してどうしても馴染めないものを感じてしまう。
夜、父は、廊下で出くわした花が怪訝な表情を浮かべているので、どうしたのか尋ねる。お母さん変じゃない? 整形手術をしたし、5年間も寝たきりだったんだから。どうだ、久しぶりに診察室で話そうか? 父の申し出を花は断る。花は妹の部屋で月にも尋ねてみるが、妹は母に対して何の違和感も抱いてはいなかった。
診察室で司朗が患者に退行催眠療法を行っている。7歳になるよ。催眠状態に入っている女性に声をかけ、6歳、5歳と次第に年齢を下げていく。0歳。何が見えるかな? 笑い出す女性。そこにお兄ちゃんはいるかな?
居間で母と2人になった花。繭子が娘に尋ねる。このクッション、ボロボロになったね。ずっと大切に使っていたから。そういえば花がお父さんに渡すって言ってた刺繍はどうなったの? 母しか知らない刺繍の話が持ち出されたのに驚いた花は自室に向かい、家族4人をモティーフにした刺繍を取り出す。繭子が刺繍を見て、よく出来ていると褒める。花は5年も苦しんできたんだものね。ごめんね。母に抱き締められた花は、胸のつかえが取れた心地がする。

 

窪花(南沙良)は、5年前、家族で出かけた遊園地の帰り、居眠り運転のトラックに衝突される事故に遭う。母・繭子は今も意識のない状態で入院している。父・司朗(玉木宏)は脚の神経を損傷して脚を引き摺らないと歩けなくなった。妹・月(渡辺さくら)は顔に火傷を負い、仮面を付けて生活を送り、家から出ることができない。花は大した怪我を負わずに済んだが、自分の発案で出かけたがために家族を惨事に巻き込んでしまったと心を病んでいる。ある日突然、奇跡が起きたと父が繭子(桜井ユキ)を連れ帰る。月は喜ぶが、花は違和感を禁じ得ない。それでも母しか知らないはずの、事故前に父親に贈るために縫っていた刺繍の存在を繭子から指摘されて、花はようやく帰ってきた母を受け容れる。庭に放したウサギがフェンスの穴から逃げ出したのを探しに行くと、先日、自宅を兼ねた心理療法室に訪ねて来て、昔一緒にウサギと遊んだと言っていた男子高校生(大西流星)が、逃げたウサギを捕まえていてくれた。やっぱりウサギを飼ってたんだねと言う男の子は、友達になって欲しいと花に告げる。

(以下では、冒頭以外の内容についても触れる。)

司朗は、診察室に置いた沢山の飼育籠でウサギを飼っており、また、彼が窓を閉める動作が繰り返し描かれる。それは司朗が催眠によって人を自らの手の中に閉じ込めてしまう能力を有していることを示す。自宅を兼ねたくぼ心理療法室の裏庭(ウサギの墓と思しき十字架もいくつか立てられている)が建物に囲まれた閉鎖環境であるのは、父親であり心理療法士でもある司朗の支配の象徴だ。花、月、繭子が度々そこでお茶の時間などを過ごすのは、司朗に囚われていることを表わす(何が起ころうとも、その支配が断たれることがないことが明らかにされるだろう)。
病院から自宅に戻った繭子について、E.T.A.ホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann)の短編小説「砂男(Der Sandmann)」に登場する人形のような女性を彷彿とさせる描写がある。本作品で人形やロボットとして人間が描かれるわけではない。だが、AIによって著名な故人が再現される例に見られる通り、あらゆる情報の集積・分析・再構成によって、人間のある種の再生が可能になっている。恰も魂が依代に宿るように、情報としての生命を別の媒体に移しうる可能性が描かれている(その意味では、映画『トランセンデンス(Transcendence)』(2014)に通じるものがある)。生命が遺伝子によって形成されるなら、生命は情報と捉えることができる。本作は情報を魂と捉え、情報が等しければ同じ存在と言えるのかという問いを突き付けている。
作品のテーマの1つは、映画『死刑にいたる病』(2022)同様、児童虐待である。但し、身体に対する加害は描かれず、その存在が示唆されるのみである(ネグレクトは描かれる)。本作では、同時に、虐待をなくす正義の暴走をも描いている。愛情と暴力とが截然と区別できないことを訴える意図があるのだろう。
メリーゴーラウンドが繰り返し場面に登場する。記憶の再現であるとともに、記憶の強化でもある。また、負の連鎖のメタファーともなっていよう。
くぼ心理療法室の裏庭からウサギが逃げ出すことで、ウサギを捕まえてくれた純と花とが友達になるきっかけになる。だが、作品の結末において、何故あのウサギが逃げ出したのかがはっきりする。