可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 小林椋個展『ヌー・フォー・フィーヌ・フェニ・ファー』

展覧会『小林椋個展「ヌー・フォー・フィーヌ・フェニ・ファー」』を鑑賞しての備忘録
gallery N 神田社宅にて、2022年8月27日~9月10日。

ポップな家具ないし玩具を思わせる、マットで鮮やかな色彩と滑らかな表面を持つ、一見して使途不明の機械部品のような規格化された形で構成される、一部可動式の立体作品7点で構成される小林椋の個展。不思議なタイトルは、彫刻を構成する立体の型の名前に因む。例えば、「ヌー」ならキリル文字のПの2本の縦線が揺れたような形を指し、「ヌー・ヌー」とはそれが2つ組み合わされていることを示す。

《フェニ(ウニが喜ぶときの音)》と《(フェニ(反対側に迫り出すとき、もう反対側もまた、迫り出す)》とで用いられる「フェニ」は、上底の方が広い四角錐台で、下底の側を波形に切断した形。上底側は明るい青で、その他はクリーム色に着彩されている。どちらも上部に黒いチューブで繋がれた黒い楕円を切断したような形のオブジェが動作を続け、チューブが形を変えていく。2つのうち、可動部がより早く動き回り、より複雑な運動を設定されている《(フェニ(反対側に迫り出すとき、もう反対側もまた、迫り出す)》は天井に近い高い位置に設置されているため、見上げる形で「フェニ」とその上に覗く黒いチューブの変化を鑑賞することになる。

規格化された部品から構成され、なおかつ運動する部分を持つ立体作品は、細胞や遺伝子のような基礎的な部分と絶え間ない運動から成る生命の表現とも解される。だが、作家の意図は、何かに擬えられる視線から逃れ、作品の形と色そのものを純粋に味わわせることにあるようだ。

「正n角形の芳香な幻をのれんのように据え置くことこそ並々ならぬ」とそれは言う。またしても静止したポルscheを拝覧することこそがポルscheのそのもの性であるかのように謳うが、その存在は運動と切り離すことはできない。玄関のドアが可塑性の高いダチョウの伸び縮みに合わせて開口部が設計されているように、売れっ子アイドルが井の頭公園駅に各駅停車することもあるのだ。そうは言っても、手のひらに書き込まれた線のなかには用途不明なものがあり、それらが新宿駅地下街のレリーフ型の彫刻を構成しているのは間違いないだろう。「正n角形の肩幅を調停するためのマネジメントこそマミマミマラぬ」とそれは言う。(作家が本展に寄せたステートメント

「正n角形の芳香な幻」とは円のことであろうか。正多角形の全ての頂点は1つの円周上に位置するからだ。それを「のれんのように据え置く」とは、(のれんが風などで揺れるように)運動を維持したまま作品として提示することかもしれない。実際、展示作品には回転運動が伴っている。
ところで、移動手段である自動車を鑑賞の対象とするのは、眺められることを目的としない自然の景観を風景画として描き表わすことと等価である。美術の制作――そして鑑賞――に際して、本来の用途は等閑に付される。しかしながら鑑賞者は作品が何を表わしているのかに執着する。恰も玄関が来訪者に対して、その大きさを変えないように、鑑賞者の思考は凝り固まっている。だからこそ、作家は作品の方を動かすことで、却って鑑賞者の思考の可塑性を実現しようとするのだ。
それでは何故、作品に回転運動を持ち込むのか。それは、どんな形をしていようと、回転運動の結果、円という形に収斂するからであろう。回転する部分は暖簾の布、絵画で言えば支持体に当たる部分である。従って、回転する黒いオブジェは目に入っていながら見えないことになっている「黒子」として作品に導入されていると言える。それは純粋に不動の部分を見せるための仕掛けなのだ。