可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 小倉ゆい個展『ちきゅうという現象』

展覧会『小倉ゆい展「ちきゅうという現象」』を鑑賞しての備忘録
galerieHにて、2023年7月30日~8月12日。

硬質な金唐革を背景にモフモフした化け物や動物の魂などを描いた油彩・テンペラの混合技法の絵画17点と、猫を描いた水彩・アクリル絵具の混合技法の絵画3点とで構成される、小倉ゆいの個展。

《窓辺のオバケちゃん》(820mm×318mm)[01]は、金唐革(あるいは金唐革紙)の部屋の窓辺に佇む毛むくじゃらのお化けを描いた作品。目・鼻・口のある(耳は見えない)頭部と胴との区別のない、灰色と白の毛に覆われた体は、その代わりと言うべきか、真ん中で分かれ、顔のある上部が浮遊して、手足のある下部と3本の三つ編みの髪で繋がっている。左手で宙に浮いた赤い風船(?)に結わえられた紐を持ち、その風船を見上げている。
同題で小画面の《窓辺のオバケちゃん》(360mm×140mm)[02]の「オバケちゃん」は別種らしく、茶色っぽい毛に覆われた体は上下に分離せず、頭部(胴の上端)の毛だけ白く、鼻がはっきりとは見えない。俯いていて、手にした風船の位置も低い。
《窓辺のオバケ》(360mm×140mm)[04]の「オバケ」もまた別種で胴体の下端が割れた脚で立ち、腹の部分が白い。馬の頭部を被る。窓が小さい(遠くにある?)せいか、「オバケちゃん」のは小さく見える。
《窓辺の子ヤギ》[05]は、(ウサギに見える)白い「子ヤギ」が赤い風船(?)を持ってやはり金唐革の壁の窓辺にすっくと立つ。大きな窓は低い位置まであるが、「子ヤギ」は窓外を見ることなく、また風船を見ることもなく、正面(鑑賞者の側)を向いている。
メインヴィジュアルに採用されている《そらに魚》(652mm×455mm)[03]は、金唐革(あるいは金唐革紙)の部屋に「風船」を持って立つ「オバケちゃん」であるが、花のような装飾を持つ円形の窓の外には大きな魚の姿がある。
同題作品《そらに魚》[15](727mm×910mm)は、4つの窓のある金唐革(あるいは金唐革紙)のホールに「風船」手に集う8匹(?)の「オバケちゃん」たちを描く。窓外には5匹の魚たちが左上に向かって泳いでいく姿が見え、水族館のようである。同題・同サイズ《そらに魚》(727mm×910mm)[16]は、やはり4つの窓のあるホールに集う「オバケちゃん」や「たましい」(動物たちが溶け出したような姿を見せる《ぶちネコのたましい》[06]・《ネコのたましい》[09・12]などの作品が展示されている)8匹を描く。窓の形・配置が異なり、4つの窓全てに姿を見せる1匹の巨大魚がいる。

金唐革(あるいは金唐革紙)の空間は歴史のある洋館を思わせる。古い建物には化け物が棲み着き、あるいは魂が宿る。そこには時間、すなわち生命が存在するからだだろう。窓は空、すなわち天国への通路である。画中に現れる風船は空=天国へと上ろうとする魂を象徴する。だが空は「空事」でもある。実際、画中の窓の外には魚が泳ぐ。実は水中なのだ。セイレーンやウンディーネの伝説、あるいは水死するオフィーリアを想えば、水中を冥界の象徴と捉えることは容易である。天国に上ることと冥界に下ることとは同じ事なのだ。そして、冥府は、地下にある。生の場である大地(eartn)から、浮遊し、あるいは沈下する生命の千変万化――ウサギは溶解し(《とけだすウサギ》[10・11])、ペンギンは凝固する(《ペンギンのかたまり》[14]――を、お化けたちに仮託したのが、地球(the earth)という現象をタイトルに冠した展覧会の作品群であるらしい。