可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 石川真生個展『私に何ができるか』

展覧会『石川真生「私に何ができるか」』を鑑賞しての備忘録
東京オペラシティ アートギャラリーにて、2023年10月13日~12月24日。

沖縄を拠点に、旧日本軍、自衛隊、米軍に関わりのある人物や出来事を取材し、国内外を問わず精力的な撮影を行う石川真生の個展。最初期の、黒人米兵向けのバーに勤めながら同僚たちを撮影した「赤花 アカバナー 沖縄の女」シリーズ(1975-1977)から、最新作の「大琉球写真絵巻」シリーズ(2014-)(出展されるのはpart1とpart8, 9, 10)まで166点を展観。作家のコメント(2021年に沖縄県立博物館・美術館で開催された『石川真生展:醜くも美しい人の一生、私は人間が好きだ。』図録に掲載のインタヴューからの引用)などを掲載した詳細なハンドアウトが用意されているのが有り難い。

イタリア系アメリカ人の叔父がいたこともあって黒人に先入観が無かったという作家は、黒人兵と同棲中、「ルーツ」というテレビドラマで黒人の歴史を知り、沖縄の歴史とのアナロジーに気付く。琉球新報の記者の紹介で黒人バーで働くことになった作家は、同僚の写真を撮影する(「赤花 アカバナー 沖縄の女」シリーズ(1975-1977))。自衛官の夫と離婚後、引き取った一人娘を養うため、那覇の安謝新港近くの港町に居酒屋「あーまん」を開く。客であった港湾労働者や遠洋漁業の漁師たちが「自分の好きなように生きて、好きなことを言って、好きなように行動する」「プライドの高い人たち」の姿を記録した(「港町エレジー」シリーズ(1983-1986))。3年間経営した店を畳んだ余剰資金でかつての交際相手に紹介された海兵隊員マイロン・カーの実家をフィラデルフィアに訪ねた(「Life in Philly」シリーズ(1986))。沖縄の伝統を演劇を通じて捉えた「沖縄芝居-仲田幸子一行物語」(1977-1992)や「沖縄芝居―名優たち」(1989-1992)、在沖米軍や自衛隊の問題意識から「沖縄と自衛隊」シリーズ(1991-1995, 2003-)、「基地を取り巻く人々」シリーズ(1989-)、「ヘリ基地建設に揺れるシマ」シリーズ(1996-)に取り組む一方、自らの病気をきっかけに自身と家族に向き合う「私の家族」シリーズ(2001-2005)の撮影を敢行した。ストーマが必要になった作家は自らの変化した身体にレンズを向ける。

(略)私は写真家だから当たり前に、自分で自分を写すことにしたの。それまで自分を撮る女の写真家とかをたまに見ていたけど、なんでいちいち自分を撮るんだ、と結構私は馬鹿にしていたのよ。ところが、いざ自分の体が変化したときにやったことが、自分で自分を撮ることだったわけ。だからその女の子たちもきっと何かあって自分を撮っていたんだなとそのとき理解したよ。(略)相手との距離は常にあるよ。たとえ自分の写真でも、娘、孫、友達、どんなに教しい人の写真でも。だから写真家は冷たいんだよ。(『「石川真生 私に何ができるか」展ハンドアウト』p.5-6)

仮に作家が「冷たい」のなら、それは熱を放ったがためだろう。
展示は日の丸をテーマに、国や自分を表現を求めて撮影した「日の丸を視る目」シリーズ(1993-2011)、アーティストとのコラボレーション「森花―夢の世界」(2012-2013)、そして100点を超える「大琉球写真絵巻」シリーズ(2014-)(出展されるのはpart1とpart8, 9, 10)へと連なっていく。

米兵は戦争に行って、真っ先に人を殺すけど、真っ先に殺されもする。兵隊はひとつのコマでしかないわけさ。一番偉くて命令する人たちは、ワシントンにいるわけじゃない。この人はちは、美味しいものを食べながら命令するだけさね。行け!って言われたら行くし、戻れ!と言われたら戻るのが軍隊なんだよ。だから私は彼ら個人個人をバッシングできないよ。そしたらさ、揺れる私のふたつの気持ちがある。揺れるけれども、ふたつを受け入れている自分もいるわけよね。だから私は反対運動している人たちにバッシングされるけど、私は米兵一人ひとりを愛しているんだと。だけど米軍は嫌いだと言っている。黒か白かと人間決められるのかと。真ん中の灰色の人もいっぱいいるんだよと。それは決して悪いことではないし、人間はそんなに計算して生きられるもんじゃない。(『「石川真生 私に何ができるか」展ハンドアウト』p.4)

本展のメインヴィジュアルに「大琉球写真絵巻 パート9」の《沖縄でバイレイシャル(ミックスルーツ)として生きること》が採用されているのが象徴的だ。ネイションの時代ではなく、原始時代に遡れば、およそ人はミックスルーツであり、灰色の人ではないか。
そして、作家の写真はその多くが、名前のある個人を捉えていることに着目したい。

 生身の人間を呼ぶにふさわしい言葉は「敵」でも「外国人」でも「他民族」でもない。生身の人間を指し示す言葉はその名しかない。ここから考え直していこう。レヴィナスはこう書いている。

 他者を知り他者に到達したいという要求は、言語の関係のうちに宿る他者との関係において実現する。言語の関係は、召喚、呼格をその本質とする。語りかけることはできなということを他人に語るにせよ、他人を病人として分類するにせよ、他人に死刑を宣告するにせよ、召喚されたとたんに他人は、異質なものとして維持され是認される。把握され、傷つけられ、陵辱されると同時に、「尊重」される。召喚された者は、私によって包括的に理解されるものではない、カテゴリーの下に組み込めない、私が語りかける相手である。召喚された者は、自己を指示されるものでしかない。かくかくしかじかの者ではない。

 名を呼ぶことが、他人を他者として遇することである。ところが、戦争は決してそのような仕方で他人を遇してはいない。戦争は敵国と敵国民の打倒をめざす。戦闘は敵兵誌の殲滅をめざす。戦争も戦闘も敵を名で呼び出すのではない。兵士は名も知らない敵を殺害する。これは収容所も同じである。収容所は、ユダヤ人というカテゴリーの下に包括される個人たちを集めたのであって、各人の名を呼んで召喚したわけではない。もちろん名には、いわゆるユダヤ性を刻印された名もあるが、強制的改名や自発的改名のために、ユダヤ的ではない名をもつユダヤ人はたくさんいる。そして実際にも、ユダヤ人の収容は名を検索して実行されたのではなく、政府や教会や団体が作成した各種のリストに照らして実行されたのである。
 レヴィナスは、殺したいのならば、名を知って名を呼んで殺すべきであると言いたいのである。そしてそのことが、まさにそのことだけが、他人の他者性を「尊重」するただ1つの方法であると言いたいのである。レヴィナスはそんな〈高貴な殺し方〉に賭けている。
 兵士は他者を殺すことはできない。兵士が殺すのは、敵、異邦人、非戦闘員である。兵士は兵士である限り、名指される人間を殺すことはできない。これは論理的不可能性である。だから、もしかして兵士が名乗りあって対峙して殺し合うのであれば、戦争や戦闘がそのような体面の敵対関係に還元されるのであれば、レヴィナスは生身の人間として、同じく生身の人間ハンスを殺したいと思いつつも、ハンスに対峙しているのであるから、レヴィナスはハンスを殺せないという倫理的不可能性を感ずるであろう。ハンスを殺す理由は皆無だからだ。レヴィナスが言うように、他者は兵士の兵士としての把握能力をはみ出ている。兵士は敵兵である者を殲滅することはできる。そのとき残念なことに、他者もたしかに死ぬ。しかし兵士は敵兵であるかぎりの他人を殺したの出会って、他人であるかぎりの他者を殺せたわけではない。兵士には、他者を殺すことができないという倫理的不可能性があるでは一般に、社会的地位を離れた誰かが、同じく社会的地位を離れた誰かを、すなわち顔をもち名で呼ばれる誰かを殺すことは不可能なのだろうか。私は不可能だと確信している。少なくとも、大岡昇平の実例がある。社会的地位を捨象した人間、すなわち自然物としての人間においては、〈殺すことはない〉。
 しかしレヴィナスのように、高貴な殺人のリミットにおいて殺人の倫理的不可能性を示すというやり方は、社会的には絶対に有効ではない。実際の戦争や殺害や、そもそも高貴であろうなどとはしていないからである。それでもレヴィナスは、彼なりの仕方で〈殺すことはない〉という戒律の核心を示している。わかる人にはわかることだが、わからない人には決してわからないことだ。そして実は、わからない人より、わかる人のほうが、はるかに多いのである。(小泉義之『弔い・生殖・病の哲学 小泉義之前期哲学集成』月曜社/2023/p.62-65)

「私に何ができるか」と作家が自問しつつ行っていること。それは、「名を知って名を呼んで」撮影する(shoot)ことである。「すなわち顔をもち名で呼ばれる誰かを殺すことは不可能なのだ」と示すことである。