可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 松川朋奈個展『Dear』

展覧会『松川朋奈「Dear」』を鑑賞しての備忘録
KOTARO NUKAGAにて、2023年10月7日~12月2日。

絵画17点で構成される、松川朋奈の個展。

《Daughter, wife, mother》(1167mm×803mm)は、縦に「娘で妻で母」と書かれた文字を描いている。書いたように描かれた文字である。文字は水によって滲み、あるいは水滴が周囲に飛び散っている。「娘で妻で母」が表わすのは、無論、三従である。家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後は子に従うという儒教的道徳観だ。描かれていることから描かれていないことへ目を向けよと、作家は促すのである。

メインヴィジュアルに採用された《It was pouring rainthat day》(1620mm×1120mm)は、緑のシルクのドレスの女性の横向きの肖像画である。髪が掛かって目が隠れている。耳を飾るピアスは宝石が輝き、垂れている。本作の左側には、左手に支えられた陶製のツバメを大きく描く《It's ok to be sad after making the right decision》(1620mm×1120mm)が並んでいる。ツバメは、オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)の「幸福な王子(The Happy Prince)」に登場する、エジプトに渡ることを諦め、王子の像の願いに忠実に生きた、あのツバメだろう。《It was pouring rainthat day》の女性の目が髪の毛で見えなくなっているのは、「王子」の目が失われたことのメタファーだ。耳から垂れる宝石は、王子が下賜したサファイア――王子の眼球――などである。両作品の右側には、暗闇に置かれながら明るい光を確かに受け取っている観葉植物を描く《Seven years》(1620mm×1120mm)がある。それは神の庭を象徴する。《It was pouring rainthat day》の「王子」と《It's ok to be sad after making the right decision》の「ツバメ」とがともに右に向いているのは、楽園に迎え入れられるからである。

《I am》(1310mm×1350mm)には、暗闇を背景に布の上に置かれた女性の左手――人差指と薬指に指輪が見える――が、彼女と手と同サイズの、釉薬により光沢のある青白い陶製の人形の左手に触れている場面が描かれる。生きていない人形の手に触れることは、マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger)の言う、死の可能性の内への先駆を象徴するものではないか。死への不安から眼を逸らすことなく、直視することを選び取るとき、現存在(=I am)に本来性がもたらされる。

目を背けたいもの(=死)は見ることが叶わない。見えることから見なくてはならない。作家流のヴァニタス、メメント・モリ(memento mori)の作品群である。