映画『彼方の閃光』を鑑賞しての備忘録
監督・原案・音楽は、半野喜弘。
脚本は、半野喜弘、島尾ナツヲ、岡田亨。
撮影監督は、池田直矢。
録音は、城野直樹。
美術は、山内麻央と木下沙和美。
ヘアメイクは、橋本申二。
スタイリストは、半野喜弘と上野恒太。
編集は、横山昌吾。
2070年。山林に潜んでいる鹿を、防塵マスクをした男が銃で狙う。銃声がする。
【第1部:世界の秘密(2009)】
空は手の届かない遠くにある。青という名が付いているらしい。みんなが綺麗だ綺麗だというけど、よく分からない。2009年6月23日。生田光。
光るがカセットテープレコーダーに録音する。そこへ母親が医師を伴ってやって来る。光、窓を開けないでってあれだけ言ったのに。母親が小言を言う。光君、面白そうなものを持っているね。カセットレコーダー。介護病棟の佐々木さんがくれたの。へえ、佐々木君が。今日の空はとても綺麗だよ。…。先生に返事しなさい。…空は触れないし、聞こえないから、分からないんだ…。広くて、青くて、透き通って、…何というか、とても綺麗なんだ。手術は勇気がいる。でもきっと見えるようになる。先生を信じてくれないか? 検査の結果が良かったら手術しよう。
佐々木のお爺さんが言いました。トウマツなんとかの写真。8月9日は長崎に原爆が落とされた。佐々木のお爺さんは、珈琲と煙草を合わせた匂い。小さい頃、家を出ていったお父さんと同じ匂いだ。6月25日。生田光。
さあ、光君、ゆっくり目を開けてごらん。ちゃんと見えるから。光、大丈夫、きっと見えるよ。
海の中で見上げる太陽の光。
【第2部:今際の際(2019)】
小さい頃の俺は光がどんなものか知らなかった。俺の世界には色がない。
光(眞栄田郷敦)が自宅でイーゼルに架けたキャンヴァスに向かって絵を描いている。傍らには沢山の絵具チューブ。光は指を使って絵具を伸ばし、そのうち掌で画面を潰すように絵具を塗りたくる。絵を描くのを止めた光は椅子に腰を降ろし、カセットテーレコーダーを手に取る。
黒は青で青は黒。だから全ての色は青だ。2019年10月8日。生田光。
部屋の一角には幼い頃から録り溜めたカセットテープが積まれている。
喫茶店。光が1人で珈琲を飲んでいると、ダイヴィングするのに最高だから宮古島に行こうと男が女を誘う声が静かな店内に響いた。男は写真集を取り出し、彼女に差し出す。ヒガシマツショウメイの写真集、欲しがってたでしょ。嬉しい。「東(トウ)」松照明ね。だからさ、行こうよ、沖縄。いい写真撮れるからさ。彼女は『〈11時02分〉NAGASAKI』や『沖縄に基地があるのではなく基地の中に沖縄がある』などを挙げて東松照明について語るが、男は関心がなさそうだった。彼女がトイレに席を立った隙に、光が男の元に行く。久しぶり。沖縄で一緒に潜ったよな、波照間島。怪訝な顔をする男。宮古島だったかも。人違いじゃない? 山口、俺だよ。俺は山口じゃねえし、波照間島に行ったこともねえよ。光が男の向かいの席に腰を降ろして話し続けるので男は痺れを切らす。光は椅子の上の写真集を荷物で隠して盗むと、逃げるように喫茶店を出て行く。外は雨が降り込めている。高架下に入り込むと東松照明の写真集『太陽の鉛筆』を食い入るように見詰める。とりわけ光の目を奪ったのは、波照間島の海の上に浮かぶ雲の写真だった。
僕が生まれるずっと前に日本は戦争をして、アメリカが広島と長崎に原爆を落として、とても多くの人が死んだらしい。佐々木のお爺さんと戦争をしてはいけないということを覚えておいて欲しいと約束した。約束したから覚えておこうと思う。光は、幼い頃のテープを聞く。光は、東松照明について教えてくれた、佐々木のお爺さんについての録音を聞いた。部屋には、『太陽の鉛筆』とともに、『〈11時02分〉NAGASAKI』も置かれている。
光は長崎の平和公園を訪れた。
2009年。目の見えない10歳の生田光は、佐々木という老人にもらったカセットテープレコーダーに気づいたことや言われたことを吹き込んでメモを取ることを始めた。その中には佐々木から教えられたとトウマツなんとかという写真家のこと、佐々木との戦争をしてはいけないとの約束もあった。間もなく光は医師や母の薦めで目の手術を受けることになった。手術は成功し、目は見えるようになったが、色は感知できないままだった。
2019年。東京の美大で絵画を学ぶ19歳の光(眞栄田郷敦)は、色の区別が付かないことで、制作に行き詰まりを感じていた。喫茶店で、見知らぬカップルが東松照明を話題にしているのを耳にする。光は、東松照明の写真集をプレゼントされた女性が席を外した隙に男に知人を装って近付き、写真集を盗み出す。店から逃げ出すとすぐさま『太陽の鉛筆』を読み耽る。光はとりわけ波照間島の海の写真に魅入られた。東松照明の『〈11時02分〉NAGASAKI』を手に入れた光は、東松照明の足跡を訪ねようと長崎へ飛ぶ。光は東松照明の写真集とカメラを手に平和公園の爆心地、続いて孔子廟を巡る。胡散臭い男(池内博之)が密かにカメラのレンズを光に向けていた。男は光に話しかける。青年、青年、どこから来たのか。青年はどこへ行くのか。人類の謎だな。男は光が今時奇特な若者だなどと一方的に捲し立てる。光は情熱的に語る友部という男のペースに次第に呑み込まれていく。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
2009年、2019年,2070年の三部構成。なお、2070年の社会は、温暖化による砂漠化の進行、海面上昇による浸水被害、スーパー颱風の続発、マイクロプラスチック汚染による生物濃縮など地球環境問題が深刻化している。日本の人口は6000万人になり、人々は防塵マスクを装着して山間部のコミュニティで生活していると描かれている。
直接に体験していない戦争――「彼方の閃光」――をいかに伝えるか。血縁者や現地住民以外の人々――観光客のような人――が戦争を語ることができるのか。映画のテーマは極めて明快である。盲目の少年を戦争を知らない子供のメタファーとして、戦争の語り伝えの可能性を、モノクロームの美しい映像――友部と詠美(Awich)が車を挟んで煙草を吸うシーン、友部・光・糸洲(尚玄)が階段に立つシーンなど――で描き出していく。
かつて存在しなかった目に見えないプルトニウムが現在することは、戦争が現在進行形の問題であることの象徴である。目には見えない問題を知覚することで、戦争に当事者適格などなく、誰でもが戦争について語ることができる。口先だけの革命家、遺棄された過去から社会を恨む友部にも、戦争をしてはならないと声を挙げることができる。戦争が基地によって目に見える沖縄においてはなおさらだ。
光の描く絵画は、世代から世代への伝承を可能にする、語りであり、カセットテープである。東松照明が光を長崎・沖縄に誘ったように、絵画・写真・映画などの鑑賞体験は生の体験同様に人にメッセージを伝え、人を動かすことができる。
光は父親を求めさすらう物語でもある。姿を消した父親は、珈琲と煙草の混ざった匂いとして記憶されている。光は友部に父親を見る。友部に抱かれることは、父親の喪失を埋め合わせることだ。
モノクロームと天然色の違い。とりわけ詠美が海岸で傘を差すシーンの違いにははっとさせられた。