可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 水上愛美・若林菜穂二人展『静かの海』

展覧会 水上愛美・若林菜穂二人展『静かの海』
駒込倉庫にて、2023年11月25日~12月17日。

水上愛美と若林菜穂の絵画を展観。

水上愛美《Castle of solitude, Pale Fire》(1630mm×1315mm)には、シルエットに近い人物が坐って頰杖を突き、隣に立つ人物が坐る人物の肩に手を載せている。二人の背後にはカーテンのかかる窓から青空が覗き、二人の手前のランプシェード付きのライトスタンドが光を放つ。床に倒れたランプシェードから立ち上がる炎、坐る人物の膝の辺りの黄緑色の円(発光体〉や背後の鳥(鳳凰?)、床の左足、ライトスタンドから立ち上る煙か流体。経年変化した壁画のような画面――画面の縁が支持体から食み出しているために崩れかけた壁の印象を強める――には、断片的なイメージが、塗り潰されずに残存したかのように散らばる。画面の下部に垂らされた何も描かれていない画布――わずかに絵具が散る――が、作業中ないし未完成であることそ示唆する。球体の連なる形状のライトスタンド、鳥、窓などのモティーフで共通する水上愛美《Dear Sentiment Ⅴ》(470mm×350mm)では、窓枠や画面の周囲から煉瓦造の建物の中であることがはっきりと打ち出されている。カーテンのかからない窓からは月明かりが射し込み、窓辺に立ち大きく目を見開いた人物が照らし出される。そこに鳥が舞い込んで来ている。
水上愛美《unfinished poem》(1000mm×735mm)には、一枝の植物が置かれた机の前に腰掛ける人物の後ろ姿――斜め後ろから捉えた姿――が描かれる。肩より上は画面の外で分からない。人物は膨らませかけたシャボン玉を手にし、椅子の脚には緑の円(発光体)が浮かぶ。左足は何かの断片の上に置かれ、床にはリボンのようなものが散乱している。下層に描かれた赤い管のようなものが画面の下端から露出しているが何であるかは判然としない。描かれていない画布が垂れるとともに、画面の背後の木枠には、木彫の像などが飾られる。
水上愛美の作品に共通するのは、ダンジョンのような朽ちた建物の中を彷徨い、あるいは囚われた人物である。手と足とが大きく表現されているために、手探りで歩き廻り探索する印象が強められる。会場の1階は通りに面した入口が全面ガラスだが、2階の展示室の通り側は布で覆われるとともに、柱――但し、地面には付かずに天井から吊され浮いている――が4本ほどあり、ダンジョンの演出がなされている。そこには水上愛美《emptiness》(920mm×650mm)と題された作品が壁面に架けられている。廃城を進む人物のもとに流れ込んできた白い流体は空虚であり、探索の果てには何も無いことが判明する。それもそのはず、古城とは探索者自身であり、予め決められた意味など無いからである。ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)の「実存は本質に先立つ(l'existence précède l'essence)」の絵解きである。

若林菜穂《雲行き》(910mm×1166mm)には、海面と空に広がる雲との風景に、紐で繋がれた2脚の籐椅子が重ね合わされている。椅子は海景に影を落とす。椅子は作家であり、2脚が紐で繋がれているのは、二人展であることを表わすのだろう。海とは、現実の海ではなく、内に広がる海であることが、椅子が影を落とすことで示されている。
若林菜穂《しらせ》(1300mm×1620mm)には、多角形の錐とその上部に器のようなものを載せた、てるてる坊主のような置物や、細長い首と2つの脚を持つ脳のような胴の得体の知れない彫像とが、青やオレンジの光の中に浮かぶ。背後には青い管が2本うねっている。管は水上愛美《unfinished poem》の赤い管に連なる。
若林菜穂《in you》(1290mm×1930mm)には、プールのような水辺の周囲に広がる森に、アパルトマンや花が重ねられている。夕映えの空には洗濯物を干した手摺のある窓や植物が浮かび、アパルトマンの建物の前には包丁が×の印とともに浮かんでいる。包丁は水上愛美《emptiness》の短剣に通じる。
若林菜穂《反射》(650mm×910mm)は浅瀬に立つ人物の影と足元を、水面に当たる光とともに描き出している。若林菜穂《解く》(910mm×1166mm)にも色取り取りの石の浅瀬と、そこに入れられた足先とが描かれている。足は、水上愛美の作品に特徴的である。
若林菜穂の作品で印象的なのは、光である。《in you》の水辺にひっそりと佇む家の中に点る灯り、《反射》や《解く》の水面が反射する光、《雲行き》においても、籐椅子を結ぶ紐が明るく照らし出されている。「静かの海」とは、内なる海である。そこでは海の上に籐椅子が浮かぶこともあり得る。常識から解き放たれた限りの無さに、作家は光=希望を見出そうとしている。「静かの海」とは、無窮の可能性である。