可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 揚妻博之個展『Bhel』

展覧会『揚妻博之「Bhel」』を鑑賞しての備忘録
HIGURE 17-15 casにて、2023年4月18日~29日。

7点の絵画で構成される揚妻博之の個展。20分に1回、会場に作家自作の《鎮魂歌》が流れる。

表題作《Bhel》(1900mm×1400mm)の画面には、ラベンダー色のシャツに水色のスカートを穿いた女性が立ち、その傍らには黒く焼け焦げた人体らしきものが横たわっている。《花壇》(1500mm×1700mm)には、花壇というより熔岩と煙とが噴き上がる火山のような風景が表わされている。会場に並ぶ作品には全て具体的なモティーフが描かれていながら、ヴェール(veil)に覆われたような曖昧なイメージとなっている。何故に判然としないモティーフが描かれているのか。
《天使と堕天使》(1800mm×1500mm)の画面は全体に黄緑が支配する。葉叢であろうか。中央右寄りに女性の姿が幽く表わされている。やや俯く頭部の髪、胸元の開いた濃紺のワンピース、そのスカートの裾に向かっては焔を映すようにオレンジが輝く。彼女の左右(画面の左右の端)にもオレンジや黄がぼんやりと浮かび上がっている。それは天使ないし堕天使の象徴であろうか。その間(はざま)に立つ女性は、天使にも堕天使にもなり得る両義的な存在のようだ。
《海のこちら側》(360mm×310mm)は、巨大な壁のように屹立する大波を背景に、鑑賞者の側を振り返る横向きの男性の肖像である。着衣や瞳がオレンジで表わされた人物が立っているのは「こちら側」である。エレキギターによって奏でられる《鎮魂歌》が時に会場に流されていることを踏まえれば、此岸とは生者の世界である(これに対して《眠る家族》(1800mm×1500mm)において頭から布を被った人物群は、十字架が描かれていることから、彼岸に立つものと考えられる)。大波が打ち寄せて傾けば、黄泉比良坂となろう。男性は此岸の側で彼岸との境界に直面しているのだ。《鎮魂歌》が流れる時、境界を跨ぎ越すのかもしれない。同時に、音楽の「再生」に着目すれば、演奏が彼岸から彼岸への帰還――しかもその繰り返し――を示すことにもなる。実際、岩に腰掛ける女性の上を覆い被さる曖昧模糊とした巨大な女性のイメージが脱皮する「蛇女」(あるいは「蛇女」の抜け殻)を描いた、その名も《蛇女》(290mm×260mm)において、作家は再生の象徴を主題としている。
作家のステートメントによれば、展覧会タイトルに冠された「Bhel」とは「印欧語根において輝きや明るい色を指し示したり、繁栄や咲くこと、膨らむもの、あるいは焼けこげるものや血、黒、空白だったりを意味する」という。光(≒輝き)であるとともに闇(≒黒)でもある、両義的な意味を持つ語根である。生命はエネルギーであり、熱であり、光でもある。他方、生命は時間であり、変化である。作家が「Bhel」の作品群をveilに包むように提示するのは、常に変化が生じることを、その潜勢力を判然としないモティーフによって表現するためではなかろうか。生者は死者に死者は生者に常に反転する、全ては両義的な存在であると。