可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『PERFECT DAYS』

映画『PERFECT DAYS』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の日本映画。
124分。
監督は、ビム・ベンダース(Wim Wenders)。
脚本は、ビム・ベンダース(Wim Wenders)と高崎卓馬。
撮影は、フランツ・ラスティグ(Franz Lustig)。
美術は、桑島十和子。
スタイリングは、伊賀大介
ヘアメイクは、勇見勝彦。
編集は、トニ・フロッシュハマー(Toni Froschhammer)。

 

未明の東京。スカイツリーに近い、古いアパルトマン。近所の女性(田中都子)が箒で掃く音に平山(役所広司)が目を覚ます。辺りはまだ薄暗い。起き上がって布団を畳み、畳の本と眼鏡を机に置く。階段を降りて台所で歯ブラシを手に取る。口髭を鋏で調え、電気剃刀を当てる。霧吹きを手にして階段を上がり、居間の隣の部屋へ。卓袱台にびっしり並ぶ茶碗に植えた植物に水を吹きかけるうち顔が綻ぶ。居間で背に"The Tokyo Toilet"のロゴのある青い作業着に着替える。階段を降り霧吹きを台所に戻すと、玄関脇の棚に置いた財布や鍵を手にする。扉を開けると空を見上げ満足げに微笑む。小銭を手に近くの自販機に向かい、カフェオレを買う。目の前の駐車場に停めた瑠璃色のヴァンに乗り込むと、カフェオレをぐいっと飲む。カセットテープのコレクションを取り出してどれにするか迷う。エンジンをかけ、路地を抜け大通りへ。聳えるスカイツリーを見上げる。カセットテープをセットして音楽をかける。車は首都高に入る。
高速を降りて平山が向かったのは、最初に清掃作業を行う恵比寿東公園。車を停めると、自前の清掃道具の詰まったウエストポーチを腰に装着し、モップ、バケツ、表示パネル、トイレットペーパーなどを持って通称タコ公園のイカトイレへ向かう。まずはゴミを拾って廻ると、トイレットペーパーを補充する。続いて棚を拭き、便器を磨き始める。手鏡を使って見えない部分の汚れも念入りの確認する。朝まで飲んでいたサラリーマン(水間ロン)がやって来て平山は作業を中断し外へ出る。朝陽に光り輝く公園の樹木の梢を眺めていると、足元をふらつかせたサラリーマンは表示パネルを蹴倒して出て行った。モップ絞り器でモップの水を切り、床にモップをかけていると、オートバイに乗ったタカシ(柄本時生)がようやく姿を現わした。道が混んでたと言い訳し、朝は酔っ払いの吐瀉物があって面倒だとかまともな作業もせずべらべら言い散らし、挙げ句どうせ汚れるんだからと丁寧な仕事をする平山を否定しさえする。
平山は鍋島松濤公園に向かう。トイレは杉板ルーバーに覆われた5つの小屋で構成されている。平山が扉を開けると、中から2人の子供が飛び出して来て驚く。清掃を開始すると、子供の泣き声が漏れ聞こえた。別のトイレを開けると、男の子(嶋崎希祐)が1人で泣いていた。大丈夫。平山が声をかけ、彼の手を引いてトイレの外へ連れ出す。そこへベビーカーを押していた女性(川崎ゆり子)が飛んできてまるで平山の姿が見えないかのように男の子をひったくる。ずっと探してたんだよママは。離れないでって言ったよね。母親はベビーカーを押し、男の子の手を引っ張って立ち去る。男の子は振り返ると、平山に手を振った。平山の顔に笑みがこぼれる。
代々木八幡宮の参道入口に位置する3本のキノコのようなトイレへ。平山が鏡を磨く。
平山は代々木八幡宮の鳥居を一礼して潜ると、木の下に腰を降ろす。鎮守の杜の木々を見上げながらサンドイッチを頬張る。フィルムカメラを取り出すと、上に向けてノーファインダーでシャッターを押す。平山は木の根元に小さな苗を見付けた。ちょうど向かいに神主(原田文明)が姿を現わしたので黙礼する。平山は持ち帰って育てるため、手製の新聞紙のカップを取り出すと、少量の土とともに苗を入れた。

 

平山(役所広司)はスカイツリーに近い下町の古い木造アパルトマンで一人暮らし。趣味は木々の写真を撮ることと苗木を育てること。早朝、自宅で作業着を身につけると瑠璃色のヴァンに乗り、都心へ向かう。建築家やデザイナーが手掛けた斬新な意匠のトイレを巡り、手製の清掃道具で隅々まで綺麗にして廻るのが仕事だ。その丁寧さは同僚のタカシ(柄本時生)が奇異に感じるほど。仕事を終えた平山は自転車で銭湯へ。一番風呂を浴びて浅草の地下街へ晩酌に繰り出す。家に戻ると、眠くなるまで本を読む。休日には仄かな想いを寄せるママ(石川さゆり)のいる小料理社に通う。規則正しい生活を送る平山のもとに突然姪のニコ(中野有紗)が現れる。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

平山はトイレの清掃員として単調な日々を送る。カセットテープ、自動車のタイヤ、環状の高速道路、自転車の車輪などの回転のイメージが、繰り返しを響かせる。だが、そんな繰り返しも全く同じではありえない。

 「地球はな、ものすごい勢いで回転しながら太陽のまわりを回ってるわけだけど、ただ円を描いて回ってるんじゃなくて、こうスパイラル状に宇宙を駆け抜けてるんだ」
 貫一は炒め物の皿に残っていたうずら卵を楊枝で刺し、それを顔の前でぐるぐる回した。
 「太陽だってじっとしてるわけじゃなくて天の川銀河に所属する2千億個の恒星のひとつで、渦巻状に回ってる。だからおれたちはぴったり同じ軌道には一瞬も戻れない」(山本文緒『自転しながら公転する』新潮社〔新潮文庫〕/2022/p.103)

多田淳之介が舞台で端的に表現した『再生』でもある。平山もカセットテープも巻き戻し再生する。

平山がスカイツリーの近くのアパルトマンに居住するのは、平山が機会があれば樹木を見上げることを象徴する。誰もがスマートフォンを手に下を向く中、平山は上を向く。
平山は毎晩モノクロームの夢を見る。毎日見上げる樹木の姿に、記憶の断片が重なる。モノクロームの陰影は、映像=光とともにフィルムのコマ送りのために3分の1ほど闇が差し挟まれた映画のメタファーである。

平山は姪のニコとともに自転車で桜橋を渡る。平山は妹でありニコの母であるケイコ(麻生祐未)とは住む世界が違うという。ニコは自分と伯父さんの世界はどうなるかと尋ねる。ニコは隅田川の流れを見て、向こうに海があるのかと平山に確認し、海に行こうという。全てが流れ込む海では、水が象徴する生命が邂逅する。だが、海は水=生命の行き着く先であり、死である。ニコは平山の蔵書であるパトリシア・ハイスミス(Patricia Highsmith)の短篇集『11の物語(Eleven)』を読み、「すっぽん」の少年ヴィクターに共鳴していた。鬱屈し、破壊衝動を抱えている。平山はニコに答える。今度な。今度っていつ? 聞き返すニコ。今度は今度、今は今。死への先駆により自らの生を捉え直すマルティン・ハイデガー(Martin Heidegger)の思考が底流にある。ニコは平山の言葉に重大な何かが隠されていると直観する。だから思春期の少女らしく巫山戯てみせながらも平山の言葉を繰り返し、肝に銘じるだろう。忘れがたいシーンである。同じ隅田川(の橋)が舞台ということもあり、橋本紡永代橋』の小学生の千恵と祖父エンジとの別れの名場面を思い出してしまう。