可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『サン・セバスチャンへ、ようこそ』

映画『サン・セバスチャンへ、ようこそ』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のスペイン・アメリカ・イタリア合作映画。
88分。
監督・脚本は、ウッディ・アレン(Woody Allen)。
撮影は、ビットリオ・ストラーロ(Vittorio Storaro)。
美術は、アライン・バイネ(Alain Bainée)。
衣装は、ソニア・グランデ(Sonia Grande)。
編集は、アリサ・レプセルター(Alisa Lepselter)。
音楽は、ステファーヌ・レンブル(Stephane Wrembel)。
原題は、"Rifkin's Festival"。

 

ニューヨーク。夕陽の射し込む精神科医(Michael Garvey)のオフィス。モート・リフキン(Wallace Shawn)が語り始めた。何処から話すべきか分からないんだけどね、突然、小説の執筆を中断して妻のスー(Gina Gershon)に付いてサン・セバスチャン国際映画祭に行くことになったんだ。妻は仕事でね、現地の顧客の代理人をしていたから、広報を務めることになっててね。皮肉なことだけどね、以前私が映画の講義を担当していた頃は映画祭に行くことを考えるだけでワクワクしたものですよ。だけどね、映画祭はもう以前のようなものではなくなってしまっているんですよ。私が教えていたような内容ではなくなってるんだ。私はね、映画は芸術だと教えました。ヨーロッパの偉大な巨匠たちです。それでも私が足を運んだのはね、妻が広報を担当する映画監督に少々好意を持っていると踏んだからですよ。
サン・セバスチャン。モートはスーとともにサン・セバスチャン国際映画祭の会場の1つとなっているホテルにやって来る。監督が女優に出演を口説いたり、映画人同士で特別上映を話題にしたり、インタヴュアーが女優に質問したりしている。スーが担当する映画監督フィリップ(Louis Garrel)が記者たちの囲み取材を受けていた。佇まいが素晴らしいわ、すごく洗練されてる。スーが受け答えをしているフィリップを褒める。ユニバーサルの上映会で会ったの覚えてる? スーがモートに尋ねる。『赤ちゃん教育』について馬鹿馬鹿しい言い合いになったでしょ。フィリップは気に入ってたけど、あなたはそうじゃなかったから。『お熱いのがお好き』についてもそう。彼は『素晴らしき哉、人生!』って言いたい人だけど、あなたは違うから。それで彼が冗談を言って、あなたのことをグリンチって言ったのよ。ああ、覚えてるよ。女性記者がフィリップに質問する。ヨーロッパ中の人があなたの映画を愛しています。今朝の上映会は大盛況でした。戦争は地獄だとおっしゃっていましたね? 良い戦争も悪い戦争もありますね。時に戦争が戦闘化されることもある。別の女性記者が尋ねる。次回作の構想は? 混迷する中東情勢を描くつもりです。アラブとイスラエルの間の解決策を提案できればいいなと。フランスの大臣の妻と不倫関係にあるとの噂がありますが? 男性記者が尋ねる。私もそんな噂を聞きました。あなたが彼女の妊娠させたとか、何かコメントは…。そこでスーが記者たちの前に出て行って取材を終らせ、フィリップを記者たちから引き離す。ちょうどいいタイミングだったね。遅くなって申し訳ないわ。モートを覚えてる? もちろん、グリンチでしょ。おめでとう、新作映画の評判は上々だね。そうだけど、現実を扱った映画は批評家が芸術として持ち上げるから。戦争は地獄ということだね、知見の通り。
モートはスーと滞在する部屋でバッグから衣装などを取り出している。もう少し自分がどう映るか考えてもらえないかしら? 敵意が露わになってるわ。グリンチなんて言われて嬉しいはずがないだろ。あなたが何でも低俗で片付けるからでしょ。彼を低俗だとは言ってないさ。平凡ではあるがね。彼は政治に目を向けているわ。次回作の構想を聞いたでしょ。彼はアラブとイスラエルを和解させようと考えてるのよ。SF志向とは喜ばしいね。政治ってのは全く以て儚いものだ。根源的な問いが欠落してるよ。根源的な問いって何なの? 全ては存在するのか、それともそれ以上であり得るのか。本当に重要な問題だよ。フィリップが弄んでるのは些細なことに過ぎん。彼は深淵な事柄だと思ってるが、そうじゃないんだ。要はね、政治的な理想郷を実現したとして、畏るべき問題は未解決のままなんだよ。おっ、心臓の辺りが痛い。心臓発作じゃないわよ。機内でタコスを食べ過ぎただけでしょ。ああ、そういやタコスは重かった。

 

ニューヨーク。映画評論家のモート・リフキン(Wallace Shawn)が精神科医(Michael Garvey)に相談に訪れる。妻のスー(Gina Gershon)が新進気鋭の映画監督フィリップ(Louis Garrel)と浮気するのではと疑い、スーの付き添いでサン・セバスチャン国際映画祭に出かけた顚末を語る。スーは広報担当としてフィリップと常に行動をともにするのみならず、晩餐などモートと過すプライヴェートな時間にもフィリップを招き、しかもモートの存在をほとんど忘れているかのように2人で盛り上がっている。嫉妬したモートが眠りに就くとモノクロームの名画のワンシーンの中に入り込んだような夢を見たり、昼日中にも空想に囚われたりする。心痛と寝不足のため心臓に痛みを感じたモートは友人のトマス(Enrique Arce)に現地の医師を紹介してもらった。心臓に異常は見られなかったものの、ジョー・ロハス医師(Elena Anaya)に一目惚れしたモートは、症状をでっちあげてはクリニックに通う。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

モートは映画評論家。妻のスーはかつて文学を専攻し、モートの評論に才気を感じて交際に至った。モートは小説を執筆しているが、巨匠と並び立つような優れた作品を書こうとの気負いから筆が進まない。モートは、自らの文才の輝きが失われた――あるいは見込み違いだった――とスーが感じてきたことが、新進気鋭の映画監督フィリップとの浮気の原因になっていると踏んでいる。映画を講義していた頃以来離れていた映画祭に足を運んだのは、スーの浮気を確認するためであったが、若く才能溢れるフィリップに対する嫉妬は、却ってスーとの関係を遠ざけてしまう。
モートを苛む不安――文才の無さや妻を失うこと――は、夢や幻想となって現れる。夢や幻想はモノクロームであり、往年のモノクロームの名画のシーンの中に自らの来し方が重ね合わされる。
モートの弟(Steve Guttenberg)の妻ドリス(Tammy Blanchard)とは、モートが先に出会っていた。ドリスを妻にする機会を失ったのは自信の無さからアプローチをしなかったからだとの後悔は、モートの心の奥底で澱となっていた。モートは、心臓を診てもらったジョー・ロハス医師に対して積極的になる。
モートは精神科医にどうすべきか相談する。精神科医の助言は明らかにされない。恐らくはサン・セバスチャンでの経緯を文章にすることが勧められるだろう。